YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

アメリカの家族からHo.Ho.Ho

今週のお題「クリスマス」
今年も届きました。クリスマスカード。
ずっと二枚届いてましたが、一枚になりました。
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もう何年間やりとりしているでしょうか。アメリカ、カリフォルニア州にホームステイしていた頃は二十歳の頃だから、三十数年間ですな。

子供達にも母にはアメリカにも家族がいるんだよ、と説明している。
ホストファミリーのママからの1枚は亡くなったため届かなくなった。凄い長生き。90過ぎまで元気に一人暮らしをしていました。ドイツ系アメリカ人で5人のママ。
今も届くもう1枚はその末娘から。当時私より10歳上だったから、もう60過ぎで、今年のカードには、とうとう、6月にリタイアするとありました。
彼女は大学のバレーボールのコーチです。私がホームステイをしていた頃はサブコーチでした。

元プロバレーボールプレーヤーだったから、あちこちの国にお友達がいるようで、手紙のやりとりで、今度スイスの友達の所に行くとか、海外にはよく行っていて、日本の私の田舎にメインコーチと2人で滞在したこともあります。
確か、バレーボールコーチの国際的な会議?集まり?か何かで日体大に招待されたとか、そのあと、私の所に遊びに来たいと連絡あり、新幹線の止まる最寄りの駅まで母親と車で迎えに行った。
こんなド田舎でいいのか?と思いましたが、東京には二週間程滞在した後だったから、良かったのかも。英会話可能は私だけだったので通訳でかなり疲れましたが、母をはじめ母の友人の田舎のおばちゃん達は身振り手振りでけっこう頑張ってました。昔のド田舎に背の高い(元バレーボール選手ですからね)白人外国人女性2人をあちこち連れて珍道中、注目を浴びてました。
2人も自然豊かな日本の田舎滞在に満足してたようです。
その後、2人は香港を観光してから帰るから一緒に行こう、と誘われ、マジか❗️と思いましたが、せっかくなので、2人の乗る便が空いてないか、問い合わせたり予約したり、帰りの便も予約したり、近いとは言え海外旅行、今のような気軽にネットで、な時代ではないし、2人のように海外あちこち旅なれた強者ではないので、バタバタ大変でした。
2人はビジネスクラス、私はエコノミーで、無事一緒に初の香港。ホテルは事前に2人が取っていた所に入り込みました。
6月のひどい蒸し暑さが、印象にあります。
でも、どこへ行っても、タクシーに乗っても、現地の人々は必ず現地の言葉で『私に』話しかけます。

白人女性2人と小さな私の3人組観光客。

どう見ても、私は2人のアメリカ人女性の現地通訳さん。

話しかけられる度「NO,I'm Japanese! 」と即答する私。
そのうち、「no no, she’s Japanese」と声かけする2人。
勘違いが面白かった。

レストランでご当地メニューはもちろん中華料理、メニューには英語での説明が添えてあるものの、2人ともどんな料理が出てくるのか想像できない様子。
私は、漢字と英語の両方で、何となく、多分こんな料理何だろうなと想像ができ、注文。
出てきた皆の料理たちに、2人は私が選んだものは全部正解だ、美味しそうだ、自分たちのは思ってたのと全然違う!と残念がってました。

その後も、私が再度アメリカに訪問し、末娘の家に泊まらせてもらい、拠点にして、ニューヨークやラスベガスに一人旅に出掛けたり、彼女達の友達の日本に興味津々な女性と遊んだり(その女性はすぐ日本に来て広島に住み着き、今も広島、日本語ペラペラで漢字検定も合格してるので今も日本語で手紙のやりとりしてます)
アメリカとの文通はずっと続いてましたが、お互い家庭を持って、クリスマスカードのやりとりだけになりました。連れ子のいる男性と結婚し、実子ではない娘の子供、つまり孫も何人もいます。

今年のこのカードには、引退後の事も書いてありました。
ご主人とホンジュラス、ロアタンに土地を買った。来年から家を建てる予定。
ホンジュラスって、犯罪が多い国じゃないか?あまり良い印象がなく、ネットで検索。
カリブ海、青い海のビーチが広がるリゾート地でした。

うちとはスケールが違い過ぎますが、家族がそんな所にも居る、数年後はそこからきっとクリスマスカードが届く。
そんな風に思ったら嬉しくなってきました。
クリスマスにはいつも異国の風と懐かしい想い出が届きます。