YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

母、動揺し、空をあおいで涙する

今週のお題「卒業したいもの」

生活不安の波が大きく押し寄せている。

時折その波にのまれそうになり、家事や仕事、子供のことあれこれ、手に着かないことが度々ある。

夜も布団に入ってからあれこれ考えてしまい、なかなか眠れない。


これまで、私のパート代は食費や生活雑貨、医療費や子供たちの文具や着替えなど現金で支払うようなものですべて消え失せていた。

そんなことはもう長年のことで、旦那にも伝えているので十分過ぎるほど分かっているはずのこと。


昨年末、長年勤めたパート先を退職し、何とか自身の収入を上げたくて、正社員の仕事を得ようと頑張ってきたが、履歴書を送るだけでいつの間にかハローワークのマイページを確認すると「不採用」になっており落ち込む。
ウエブ面接で、是非ともと言ってくれた今月末までの派遣会社での仕事、平日9時5時フルタイムの間をぬって4月からの仕事の就活。
やっぱり面接にも進めない。
冷静に考えれば、還暦まで一年半の、正社員の経験ないオバサンを採用しようなんて会社、よっぽど人手に困っている介護関係か医療関係ぐらいだと思われる。
でも私には医療事務も介護保険関係もちんぷんかんぷんだし、資格も経験もない。

仕事をしながら、就活にも疲れてきた。
そして週末は子供の新学期や入学準備などで埋もれる上、日雇いのバイト、タイミーで何か今日出来そうな仕事はないかと探している。



不登校長男は、春から近くにある通信制高校に通う。
先日、入学説明会に2人でチャリで出かけ、履修選択や行事の選択(参加行事にもそれぞれ単位がある)をしたが、積極的に自分が参加出来そうなものを考えて選んでいた。
頑張ろうという気持ちが伝わってきた。


長女はもうとっくに春休みで、バイトもそんなにシフトが入ってないし、この時期でないともう通えないかもしれないからと車校に行く事になった。
車校代は自分で出す予定だったが、先月の学校の海外研修は任意の行事なので、割引はあるものの自費だ。子供の頃からお年玉など貯めていた貯金とこれまでのバイト代をはたいて参加したため、車校代はない。
この時期でないともう免許取得が難しくなるだろうと私も思ったので、私が唯一あるまとまったお金、数年前に満期になった農協の年金型定期預金、100万、それがこの数年で子供のための出費でどんどん減りに減り、残り40万円、そこから30万おろして、長女自身の2万2000円を合わせて、32万2000円を二人で、振込に行った。

午前中、長男の入学説明会、その午後、現金で振り込もうと出かけた銀行で10万以上はATMで振り込めない、一旦母の普通口座に入れ直して振込人の名前変更する、口座のないその銀行から近くのショッピングセンターのATMコーナーへ行くなど、もたついたが期限内振込で間に合った。
いや、振込案内をもらって帰ってきて2日後が振込期限はキツ過ぎる。
オートマ限定ではなくマニュアルを頑張りたいって本人の希望、少し高くなった車校代。
マニュアルにしたいと言ったのは自分だからと、端数の2万二千円は彼女の最後の残りの預金から。
入金できてホッとしている長女と、前々から気になっていたそのいつものショッピングセンターのお茶屋さんでひと息つくことにした。
お茶屋さんの、抹茶ミニソフト、長女はお煎茶と白玉ぜんざい。ここの支払いぐらいは、私がもちろん出す。

毎月、2万円ずつ私に返してくれる予定とのこと。ごめんね、ありがとう。

ホッとしている長女と、ニコニコしながらも内心はワタワタしている母。

午前中は長男の、午後は長女の

我が子二人の未来に向けての希望、頑張る気持ちに触れた。
涙が出そうだ。




旦那から「いついつに、いくら要る、という具体的な指示をくれ」と去年から言われていた。
だから、秋に長男の通信制高校の募集要項の学費案内の部分もコピーして、マーカーも引いて分かるようにし、年末近くにちょっと恥ずかしいなと思いつつ、わざわざ学校へ電話して学校指定のタブレットはいくらぐらいしそうで、いつ頃までに費用を用意しておけばよいものなのか問い合わせた。
まだ年が明けてから業者との打ち合わせなどが始まり、その後決定し、2月頃に案内できると思うがおおまかには昨年同様5万円程度で、学費が決定する入学説明会よりも先の支払い期限になるかもしれない、とのこと。
それを旦那にもすぐに伝えてあった。


少し前にそれがネットでの購入だったため、私のクレジットカードで払い、金額をLINEしておいた。
そして実物も届く。
確かに5万円代だったが、ADHDグレーゾーンの長男のこと、三年間保証付きのものにしたので、6万8000円。
私のゆうちょ口座にはもう生活費のための少額しかないため、カード分が引き落としになってマイナスになってしまう前にお金をください、とお願いした。

すると、しばらくして、ゆうちょの封筒がリビングテーブルに置いてある。

中身を見ると5万円。


????

あれ?

なんで?

6万8000円ってLINEしたよね?とスマホの履歴を確認する。

封筒に小さな字で何か書いてあることにしばらくして気がつく。

「今はこれで精一杯です」

冷や汗が出る



長女の春季、二年生半年前期分の学費振込用紙も届いていて、学費用の口座の残金では足りない。不足分の金額も伝えてある。

そして、長男は入学説明会で春からの履修選択をしてきたので、その単位数によって学費が決まるため、振込はこれから。大まかな目安は、渡した募集要項に書いてあるし伝わっているはず。


LINEした。

5万円が精一杯って………

「私の母の形見の指輪など売らないといけないような状況なら教えて」


旦那からの返信を仕事終わりに見る
「お金はもうありません。
申し訳ありません。
福祉はお金がありません。
貯金ができておらず、電気代、税金、学資ローン全て貯金を切り崩しています。」


動揺した。

真っ白

「え?どういうこと?
給料もらえてないの?
払えるよね?学費
Kは入学できるよね?」

するとまた返信がしばらくして入っていた。

「給料はもらってます
払います。
最終的にこちらがいくら払えばいいのか教えて」

こちらが?

は?

『こちらが』って何

こちらもあちらもないでしょ

返信する気にはなれなかった


さすがに、今回は真剣に見捨てたくなりました。

これまで、生活費も貰わず、何年も破れたままの下着を着て、やりくりを頑張り、死を口にするようになった不登校長男に寄り添い、長女の受験などワンオペ育児に奮闘しながら生活費も稼いできた、あなたの両親の食いぶちも。


どうしようもないこの感情を

誰かに相談することもできず、ぶちまけることもできず、涙が

うるうると、何度も

じわじわと何度も

子ども達に動揺している様を悟られないように

でも、ところ構わず不安と動揺と情けなさが押し寄せ涙が滲みそうなる

その日は、翌日も、どうしようもなく、仕方なく、Xにだけつぶやいた。



この家を見捨てて子ども二人と出る?


いや、できない、これ以上、子どもたちを父親を嫌いにさせたくない、落胆させたくない、長男はまた心が潰れるかも

長女はとっくに呆れて信頼感もなくしているが、高校三年生の夏、この短大希望、推薦で入学できる、奨学金制度、ローンは自分が就職してから払うものにした方がいいのか、親が払うローンにするのかの問いかけ。
旦那に短大の募集要項を見せ、学費面で気にしてもらう所に印をつけて机に置いておいた。「もしローンが組めないってなっても学費は払えそう?」とあとでLINEで聞いた。
「払えます、親が払うローンでいい」とのこと。

払えるほどの預金があるんだ、とホッとした。

でもすぐに長男が高校生になる、その時点で行くかどうかもあやしいほどの状態の息子だったが。
だから、預金で払えるとしても、一部は教育ローンにした方が安全だと考えて、無理のない2万円ほどずつで、私の定年までに完済できそうな額を設定して申し込むことにした。
旦那も了承した。
その後、長女に「もうお小遣いはあげられないからバイトして自分の必要なもの買うようにしてくれるなら、お父さんが払うローンで学費を払ってくれるって」

バイト頑張る、と、その時に少し長女の父親への信頼感は戻ったかに思えた。

それなのに、もう二年生になる学費が払えないかも、なんて知ったら、いや払えるのかもしれいけどお金ないです、って言ってくる父親と知ったら
取り返せない

長男も頼れない父を気にやんでいるが、自分が心配と苦労をかけていると思って高校生活を頑張ろうとしている。
父ちゃんも頑張ってるんだから、って。
タブレットも買ってもらった、って思っている。まさか全額払えません、って母の口座がマイナスになっているとは思ってもないだろう。
私のなけなしの40万は、長男が高校入学時のもしものお金として取っておきたいから、と旦那に以前伝えたが、この通信高校のためとかではない。
通信高校はちょっとした塾程度の費用だけど、もしかしたら、やっぱり普通の高校へ行く!行きたい!ってなったらその気持ちを妨げないように、そのために取っておきたかった。
父としては通信高校の費用で良かったと思っているのか、もし私立高校に行くってなったらどうするつもりだった?
何を考えて、この子どもにお金が
かかる時期に劇団を旗揚げした?


いつも、早目早目にことを済ませる母が、「学費振り込んだよー」って言わない!大丈夫かな?ってそろそろ不信に思うよ、長女。
振込用紙がとっくに届いているの知ってるもん。

お願いです。

お金をください。

学費分、何とかしてください。

誰か助けて~

こんな経済的不安から早く卒業させて

頑張っている子ども達を助けて。

母が、母が何とかしなくてはならないのか

何とかできるのか

卒業おめでとう、ありがとう息子よ

不登校長男、中学を本日卒業しました。

少し前に「卒業式、出ようかな~」
なんて言ったけど、今日の通常の卒業式抜けてには出られませんでした。

小5から不登校になり、週1ほどのペースで別室へ登校するようになり、小学校の卒業式は先生や友達の助けをかりて出席でき、楽しかった~との感想だったので、中学もあるかな?っと思っていましたが、プレッシャーをかけないよえに、「あ母さんは、どっちゃでもええよ~」と伝えていました。

中学では二年生から、通常教室に通えない子のための居場所、学年を越えて自由に過ごせる部屋ができ、そこに週1か 2日通うようになっていました。
さらに三年生になってからは、週3日行くような時もありました。

先生によると、後輩に慕われることもあり先輩らしい振る舞いができるようになったらしい。

ほんとに、あのスペースを作ってもらえて感謝しかない。

つい最近は、同級生の受験も終わり、また通信ゲームをいつものメンバーでやっているのをよく見かけるようになった。
だからまた少しずつ身近な子達とのつながりで、コミュニケーションを取ろうとしている息子がいた。

卒業式の練習の前に学年最後のレクリエーションがあるから、ちょっと来てみる?と先生に勧められ参加した。
最初は、いつもゲームしたりLINEしたりの小学校からの仲間二人だけが側に居ただけだったらしいのだけど、そのうち「K?Kなの?」
と同じ小学校からの子達数名に囲まれてしまったらしい。
先生が教えてくれた。
やはり、その日仕事から帰ると、長男はベッドで布団にくるまりスマホで動画を観て疲れた顔をしていた。
「疲れた!眠い。 いやもうちょっとあの人たちが気持ち悪い」
なんて言い出した。

そして、やっぱり卒業式は出れないとなった。

それでも、連日最後を惜しむようにあの別教室に通った。
昨日の最後も充実していたようで、そして「さみしいなあ~」と、ほんとにさみしそうに呟いていた。

その昨日朝、長男は卒業式には出ないつもりでいることと、午後2時に卒業証書を取りに行く約束をしてきたと聞きましたと言う報告も兼ねて、担任との連絡用にしていたノートに、学校や先生方への感謝の気持ちをしたため、朝の出勤時、いつものように中学の門の前を自転車で通り、校門前でいつものように朝の出迎え挨拶声かけ中の先生方の一人に、担任先生に渡してもらうようお願いしておいた。

ほんとに、学校内に居場所を作ってくれ、無理なく通わせてくれたことに感謝しかない。


そして、出かけるほんの少し前、小学校からの仲間の一人、転校してきた父子家庭の子、悲しいことがあってうちの小学校に来て、うちの息子に救われたって当時の先生が教えてくれ、すごく元気になった親友が電話のあとに家に訪ねてきた。
ほんの5分ほどの庭での会話。
息子は前々から知っていたそうだけど、なんともう今日の夜に引っ越しだそう。
同じ町内、ブロック2つほどの距離の賃貸に父子で住んでいた親友となったその子は県内だけど電車で片道1時間ほどの市へ行ってしまうそう。
小学生ですでに160センチ越えのその子はうちの最小長男と居ると親子のようでした。
学校もそちら方面の高校受験をしたのかもです。
泣くこともなく、意外とサバサバして戻った息子。
「なんかあんまり実感ないから」

そうね、また通信でゲームできるしね。

近況報告またできるね。



そして
卒業証書を取りに行くだけのつもりで一緒に学校へ。


それが、校長先生はじめ、担任先生も数名の先生もうやうやしく、なんだか様子が。


荷物を置いて、担任と副担の後ろに親子で並び、校長室へ。

数席並べてある椅子に、スクールカウンセラーさんや別教室を立ち上げてくださった長女も知ってる一年生からの学年主任の先生やら、その中へ進む。
先頭の席に親子座り、教務の先生の司会で長男だけの卒業式が始まりました。

校長先生の祝辞や卒業証書授与、学年主任先生の暖かい言葉、先生全員で合唱してくれた校歌、司会の女性教務先生は涙でグシュグシュになりながら一生懸命話してくれました。
母も涙が止まらない。
そして、息子自身にも何か一言お願い、って教務の先生。
ちゃんと言えました。
「ご迷惑ばかりかけてすみませんでした。三年間大変お世話になりました」

頭を下げまくって出た校長室から、荷物を置いていた部屋で担任のお二人からも贈る言葉をしっかりいただきました。
担任の男性先生はお子さん2人とも低体重児で生まれ、無事に今は元気に育っているとのことから、生まれて、ここまで育って生きているってことだけで奇跡なんだよ、感謝だよ、よくここまで育って先生と過ごしてくれて、ありがとう、と。

学校の出口、先生方数名でアーチを作ってくださり親子でくぐる。
卒業式の看板前で、親子で、担任と、主任先生と、写真を取りまくり、同じ2人の子供の母である主任先生に母はハグされて、お互いを励まし合い、さようならーと。
「また明日朝、前通るんですけどね」
と笑いながら、学校をあとにしました。

帰り道、長男「俺もうるうるでこぼれそうでヤバかった」と。

2人で感謝だね、頑張ろうね、と話しながら帰宅しました。

そう、平日の貴重な午前中、長女の学費納入も危ういかもしれない危機感があり、なけなしの自身のわずかな貯蓄、平日の3時まででしか下ろせない農協へおろしに出かけ、息子の卒業の日にお金の工面をどうしようか思い悩む自分が嫌で沈んでたんですよ、実は。
母の形見のダイヤの指輪も持ってでましたが、近くの買取りショップは定休日で今日は現金を学費用の口座へ入れるだけにしました。
もちろん、子供たちには察せられないように振る舞ってましたが。



特別なソロ卒業式

母、いや、親子共々、大きな元気をいただきました。

ありがとうございました。

長女 無事イギリスより帰宅


長女、長男、コロナになり、派遣先の仕事をやむなく4日休んだ。

長男は可哀想に2回目、初回よりも軽くはあったが高熱は出た。
でも、自室にこもり慣れたもんで、トイレから出るときアルコールティッシュであちこち拭き拭き、無言で部屋に戻る。

長女はしんどそうだったが、2日後には平熱、元気、私もホッとして仕事に復帰。


やれやれ、っと思ったのもつかの間

仕事の昼ごはん休憩中に長女のLINE

「またヘルペス出来ちゃった~、塗り薬もうなかったっけ?どっかにある?」

仕事終わり、ちょうど向かいに大きなドラッグストア、表にはデカデカと『処方箋受付』

よし、薬剤師さんの居る薬局だから、口唇ヘルペスの塗り薬を売ってもらえる!

急ぎ帰宅、ヘルペスだけでなく、微熱を出しており鼻水が半端なく出る!っと咳も頻繁で調子の悪そうな長女。

えー!

まさか、今度はインフルエンザ?
だったらイギリスにはいけなくなる。

ドキドキでまたクリニックへ。


インフルエンザは陰性


親子二人の大げさな安堵の声にかかりつけ医の先生
「どした?何かあるの?」

日曜日、学校の海外研修でロンドンへ行く予定です。

「薬飲んで熱下がれば、行っちゃえばいいよ」と先生。

アレルギーもあるし、コロナで抵抗力下がってたし、風邪ひいたらしい。

ヘルペスの薬やら、鼻水、咳、解熱剤、色々もらった。

咳、鼻水ひどく、ちょうど生理も来て生理痛も。
ほんと当日まで行けるのか、ダメなのかハラハラ。

日曜日当日、ようやく荷造りできて夕方長男が荷物運びとして付き添い、車で最寄りの駅まで送る。

スーツケースを車から下ろし、運び、長女と一緒に改札口へ上がるエレベーターに乗る長男が頼もしい。

ほどなく、ロータリーに停車して待っている私の所に長男が戻ってくる。
「お姉ちゃん、ちゃんとカードにお金チャージして改札入ってったよ」


連日、写真をLINEで送ってきてくれていた長女。
咳はまだひどいけど元気、と。

長男と二人で夕飯を食べる頃に、ロンドンの長女は朝食のメニューの報告。

ほんとにハラハラしたけど、行けて良かった~

向こうも2日ほど雨だったらしく、
特に、ストーンヘンジでは、雨と暴風、寒さがヤバかったらしい。

昨日の夜遅く、また最寄り駅まで車でお迎え。

とっくにいつもなら就寝している長男、起きていて、「また荷物、俺が運ばないと大変だろ」
そう、あなたは貴重な我が家の男手。
まぁ、大丈夫ではあるけど、でもとても助かります。
一緒に車でお迎え。
ロータリーに着くとすぐエレベーター窓に長女のスーツケースらしいミントグリーンがチラッと見える。
ぴったりタイミング。
すぐさま、車を下りて荷物を受け取りに駆けて行く長男。

良かった、良かった、元気そうにお姉ちゃんが帰ってきて良かったね、息子よ。

これまでの人生で避けてきた道にヒョイっと降ろされた…出口は遠い。

1月半ば、派遣の仕事が始まった。

昨年、この歳で就活、正社員を諦めかけ、エイッと応募した高時給のパート。
派遣の仕事だった。

事務の仕事、中心街の高層ビルの中、広々としたキレイなオフィスで働いている。

社員応募に不採用が続いて萎えていた時、高時給につられて応募ボタンポチッ、ウエブ面接を受け、すぐに「是非ともお願いしたい」と折り返しの電話があり、「経理関係はほとんどやった事がないので」と面接時にも伝えたが、大丈夫、難しくはないので、と採用。

経理関係の書類が大量に届くので書類が全部揃っているかチェックする仕事で、ずっと電卓をポチポチして計算するような仕事ではないので大丈夫ですよ」と面接官に言われたのだ。


でも、でも………

毎日、毎日、電卓でポチポチしてる!

とんでもなくポチポチしてる。

何ならポチポチのし過ぎでテニス肘が再発しそうに腕が痛い。

そして、老眼がひどいのに、超細かい数字を見て計算しているため、目の疲れが半端ない。
かすみ目がひどい。

もちろん、書類が揃っているかチェックする仕事ではあるが、その書類の計算も合っているかのチェックもだ。



私は数字と計算が大の苦手。

それは過去の記事でも何度か話しています。

毎年やってくる旦那の確定申告を私がずっとやっていて、それがずっと苦痛だと話していた。

簡単なものでも避けて通りたい。

数々のバイト経験はあるが、お金を扱うもの、計算が伴うものはずーっと避けて通ってきた。

なんてこと!ここに来て苦手の王道を歩いている。

そして、いちいちIDカードでピッとしないとドアが開かないようなオフィスでの勤務、デニムやカーゴパンツにスニーカーでずっと仕事をしてきた私がオフィスカジュアルを頑張って着て、通っている。
何台もある高速エレベーターは朝は人が並ぶので順番待ちで遅刻しないよう、かなり気も使う。

書類不足や間違いがあった所に、電話をかけ、内容説明や修正して再提出のお願いをするのだけれど、電話をかけることに抵抗はなく、サクサク会話して終わりにする。でも、デスクに電話機がないので、他の社員さんの間に入り「ちょっとお電話お借りします」としなくてはならないのが難点。
もう一人の同じ派遣の方、かなり電話が苦手な様子で、ご自分でも派遣元の担当者に「電話はどうも、どんな人が出るのかドキドキしてしまって緊張します」と言っていたので、「電話は平気なので、良かったら代わりに電話しますよ、但し、どこがどのようなに間違ってるのか私で説明できるケースであれば、ですが」と伝えておいた。
あちらは電話が苦手。
私は計算が苦手。
お互いがカバーできればなと思いました。


苦手だからと言ってもいられないし、期限のあるものだからと頑張っており、ようやく、自分の中で段取りのようなものが出来上がってきたこの頃。


やむを得ず、今、おやすみ中。
何てこと。
うまくいかない。

土曜日深夜、長女が高熱。
日曜日朝、「喉が痛い」と長男が起きてくる。
そして昼頃。長男も高熱。
二人とも咳がないので、てっきり学校で流行中のインフルエンザか!と思ってたら、月曜日、かかりつけ医で「コロナの反応出てるね」
日曜日わざわざ、薬剤師さんの居るドラッグストアへ行って検査薬を二人分買い、丁寧に検査をして陰性だったから!インフルエンザだと思ってたのに!

コロナだった!

長男は2回目だよ、可哀想に。

そして、長男は中学生なので医療費は市が負担してくれるのだが、長女は大人と一緒。
先生が説明してくれる。
「ちょっと前までは無料だったんだけど、今、国が負担する事をやめたからコロナの薬が高額で、9000円するけど飲む? 飲まなくても治っていくだろうけど、時間もかかるし、ずるずると長く症状を引きずってしまうこともある、どうする?」
長女は値段を聞いて目を丸くし「できれば飲みたくない、今月の研修のロンドンへ行ければ何でもいい我慢できる」と言う。

私も値段にびっくりしたが、ずるずると症状を引きずって、学校生活に影響が出るようでは困るので、と長女の薬もお願いした。


濃厚接触者という概念はなくなったので、自分に症状がなければ出勤しても基本的にはいいのだけれど、そうもいかない。
結局、金曜日に出勤することでお願いした。


長女は昨日すでに平熱だったが、長男は今朝までまだ熱、ようやく夕方平熱。
でも二人とも喉がひどく痛いため、通常の食事が出来ず、麺類やお粥、雑炊などが中心。
私自身に症状が出ないこと、懇願している。
ドキドキしている。
寒さが少し緩み、梅の花が咲いた。
花粉の季節もやってくる。


頑張りたくても頑張れない状況がもどかしい。

新しい環境へ、一生勉強や~

今週のお題「一生モノ」

物で言えば、母の形見の指輪か、母が買ってくれた着物『訪問着』か。


でも人と人とのつながり、良い出逢いは一生ものだろう。
一生、自身の生が終わった時、自分の葬儀で見かける顔、その人達とのつながりは一生モノと言えるのかもね。


長年勤めた会社の同僚たちが、新年早々に送別会を開いてくれた。
もちろん、気兼ねなく会社での出来事をバンバン話せるメンバーだけでの集まり。
小さなお子さんを旦那さんに任せて出席してくれた子や、出荷の仕事を終えてから駆けつけてくれた男性、先に辞めた前出荷の責任者の女性も、私を含めて12人でモツ鍋を囲んで酒盛。
会議室は夜まで営業だし、先に用事が入っていた数名は参加できなかったとのこと。

いつも飲み会の音頭とりをしているパートさんは、誘うメンバーもよく分かっていて、社長サイドのスタッフには声をかけないし、集まることも内緒にしている。仲良しメンバーばかり。


最後に居酒屋の店員さんに頼んで全員で記念写真を取ったのだけど、メンバーで一番新しい機種のスマホで撮影したためか、むちゃくちゃくっきりキレイに取れている写真で、フィルターをかけても、顔立ちくっきりわかってしまうような写真のため、ここに掲載できなかった。
途中の料理の写真でも撮れば良かったのにアホやなぁ~と後悔。

私の事の顛末やパワハラの状況をよく知らない数名は驚愕していたけど、先に辞めていった人達に起きていた私が知らないことも聞いて驚愕。
さらに、今まだ会社で頑張っている子達への社長からの言動にも「は~?そんなこと言われたの?」って驚くことばかりだった。

みんなには、うまく、うまく、社長をかわして、素直の仮面を上手にかぶって仕事すればいいと。仲良しは仲良く助け合い、適度にがんばれ~と伝えた。
最後も、最後じゃなく、みんなが「またね~」と。「毎回じゃなくていいから、飲み会の連絡をまたするから、来れる時だけでいいから来てね~。」と言ってくれて、『別れ』って感じじゃなかった。
『またね~』


劇団時代の苦労をともにした友人ともまだまだ繋がっているし、長く会わなくても、会えば時が戻る。そんなもんだな。



明日から新しい環境での、フルタイムの仕事が始まる。

履歴書に『秘書検定3級』って書いたけど、どんなんだっけ?名刺ってどうやって受け取るんだっけ?お茶出しって正しくはどうするんだっけ?うん10年前の学生時代に取得したからすっかり忘れた!
なーんて、思ったから、長女が高校生の時勉強して彼女も取得した秘書検3級、教科書取ってあるだろうなぁ~と思われ、聞いた。
やっぱり取ってあった。


なので、貸してもらって、読み直しました。


こんなんだっけ?っと思いながら、多分、昔と今では色々違っているだろうから、この機会に勉強し直しは良かった。

久しぶりの勉強。

何だか他にも資格取得をしたくなったけど、お金かかるんだよね~結構。

まずはしっかり仕事を覚えて、しっかり収入を増やすことからだ!

母は頑張ります。

一生モノ。

仲間、友人、家族、母の形見のキャッツアイの指輪、京都で買ってくれた着物、そして、自分のプライドと向上心。

#捨てなくて良かった2023

新年明けましておめでとうございます。

お正月三が日が過ぎ、仕事初めの方も多いかな?
まだまだ始まらない人、お正月休みなんて関係ないね、とずっとお仕事の人、様々でしょう。

私も去年退職しなければ、今日はヒーヒー言いながら仕事してたかもしれない。



2024年の幕開け、今も寒空のもと、不安と悲しみの中で耐えている方もいるかと思います。
でも、だからって、楽しそうな記事や日常を書くのを控えるとかもちょっと違うなと。
私の大好きなゲーム配信者さんは、何も考えずに見ていられるように、と自分で編集した長い時間の動画をあげていました。
自分が子どもの頃に被災した経験があるからかもしれませんが、想像したら、ものすごく助かることだと思った。その対応、自分が出来る範囲のことをって姿勢、カッコ良し、だから好きなんだな。

自分がもし学校体育館とかに避難して、ニュースばかりだったら……
楽しいもの見て不安や寒さを吹き飛ばしたいとか思う、子どもたちは何をして過ごせばいいのか、スマホで好きな人や好きなゲームの配信や動画が見れたら……日常が寄り添い、そのまま寝落ち出来るかも。

アメリカの友人からすぐメールが入った。アメリカ人からしたら、我が地域もすぐ近くに見えるだろう。無事であり、日常を過ごしている返信で、安心したらしい。
でも、我が地域もずっとずっと前から大地震の警戒地域、他人事ではない。この日常に感謝し、避難グッズを再度見直しすることを子どもたちと話した。



ここからは日常を語ります。

タイトルは特別お題に対抗してみた。w


今年の1月15日から新しい仕事が始まる、先月も有休消化中だったから、タイミーに登録して、出来そうなバイトを少しずつしている。

スキルの制限があるものもけっこうあるし、たいした物でもないが、持ち物や服装の制限などもある。
この正月2日から、飲食の洗い場のバイトに行ってきた。
白のポロシャツかカッターシャツ、黒か紺かグレーのズボン、動きやすい汚れてもよい替えの靴(衛生上、履いてきた靴では働けませんとのこと)が必要とのこと。
半袖の白ポロシャツは持ってるけど、動く仕事とは言え、さすがに寒いかな~、長袖の白……
あ、もしかして、着れるかな?長女の高校の制服のシャツ!
余裕で着れた!しかももう一枚替えもあるやん。これでよし。
靴か、確か小学校の体育館シューズ(と言っても普通の上履きタイプ)、私のサイズのがあるはず(長女が小学生の頃、PTAの行事で私の分も必要で買った)
いや、ペタンコシューズで長時間疲れるだろうなぁ~、私のアキレス腱断裂痕の左足はもつだろうか……
あれ?そうだ、体育館シューズある!スポーツシューズだし、私にぴったりだったから、破れて履ける靴がなくなったら使おうってとってあった長女の高校の体育館シューズ。

やっぱりぴったりでしかも楽。

捨てなくて良かった~

役立った、すごく。助かった!

でも、タイミーは、だいたい5時間のバイトでも休憩が全くないのでちょっとおばちゃんにはしんどいけどね。せめて水分補給ぐらいしたいな。まぁ、場所によったら「ちょっとお水飲ませて」って言うのもありだけどね。


タイミーでバイトする場合、白シャツ、白か黒のポロシャツ、白か黒のTシャツ、黒いズボン、黒い靴、ってのがあるとかなりできるバイトが広がる。

実は、私の前の前の仕事、劇団員と平行して長く続けていた配膳人紹介所の仕事であちこちのホテルに派遣で行っていたが、懐かしいその場たちの募集もよく見掛ける。
でも、その頃も必須で持ち歩いていた物が、今もなお必要だ。

肌色ストッキングと黒のパンプス。

かつては、柔らかく幅広で動きやすい黒パンプスを持っていた。長年、約10年ほど続けたその仕事でボロボロ。今はもうないし、パンプスはもう履けない、履いて仕事なんて出来ない。

動きやすい黒パンプスを持っていたら、さらにバイト先が広がっていただろう。
ちょっと残念。


これからも活躍してくれる長女のお古たち。

長くお勤めご苦労さん

二十数年、パートですが、勤めた会社、最終日。

さよならしてきました。

問屋街で事前に買って来ておいた駄菓子の箱買い、色々、休憩室にミニ駄菓子屋さん。(その写真も撮ってくれば良かったなぁ~)


今日は、社長をはじめ上の人たちは誰も出勤じゃなく、早々と年末休みに入ってるし、フルメンバーじゃないけど、一応それぞれ挨拶してきた。
上の人、経営者側の人たちが居なくて助かった。
有休消化に入る前にきちんと『最後のご挨拶』ってばりにあいさつしたから、もう会いたくない。

同僚たちは、休みなのに、わざわざ子ども抱えてまで会いに来てくれた子もいて、しかもお菓子やらなにやらのプレゼント。

会社の習慣みたくなってるのが、みんな300円ずつ出して集めたお金で商品券を渡すのだけど……私もこれまで何回300円を払ったことか!
300円払ってるから、もういいのに、色々もらった。
ありがとう。ごめんね。

でも、ほとんどの同僚には、年明けに会えるから、簡単にね、「またね~」って。

年明けすぐに、送別会兼新年会がある。

みんなじゃない。

気を使わない、愚痴バトルになりそうなメンバーばかり。
そして、前出荷部署の主任も来る!
同じように始末書を書かされ、そして辞めて行った人、同じように長年勤務してきた古参。
なんで同じことになってんだよ!って突っ込みくるな、きっと。



実は、今月の最終週に会議室の大掃除を頼まれていたので、月の最初の方に有休消化を入れてもらうようにして終わりの方で出勤予定だった。その有休消化に入る前日、退勤後、会社出てすぐ、通りで課長の子が私を呼ぶ声!走ってきた!「社長がお呼びです、すぐ捕まえてきてって電話が」

仕方なく会社に戻って社長室へ行き、笑顔でご挨拶、元気良く。
内心は顔見て吐きそうになってましたけど、もう最後みたいな雰囲気になっていたので、最後のご挨拶のつもりでこれまでのご恩について、ひとしきりお礼を言ってた。

私は月の終盤には再度出勤のつもりだったので、変な感じ、違和感がしてたけど、終わりの方の社長の言葉で合点がいった。

「こんな年末に大変だろうから、もう出勤して来なくていいですよ、出勤予定の日は全部有休にしますから」とのこと。
???

「最終週に会議室の備品やエアコンの大掃除する約束をKさんとしてるので出勤しますよ、まだ机とかもそのままで片付けもしてないですし」と私。

そこからきりかえされ、社長も笑顔でご機嫌な面持ちで今度は自分の自慢を喋り出す。
また、自慢話か。いや、その話、何度も聞きました。
もう退勤してるので、帰りたいんですが、そんな話は今さら要らんです。

そして、「で?まだ出勤するんですか?」ときた。

私:「はい。もちろん、約束しましたから大掃除のお手伝い。来ます。」

社長:「来るんですか……」


もう来て欲しくないようでした。同僚たちと仲良しなのは十分知ってるだろうから、余分なことを話して欲しくないからだろうな、と感じました。

もう帰らせて欲しくて、閉めの言葉と感じとってもらえるような挨拶をして、足早に出て行きました。

ところがです、数日後、有休消化中、課長の子からわざわざ電話。
「社長から、やっぱり大変だろうから、全部有休にするので休んでくださいって、電話するように言われました。会議室の方も、Kさんに確認とって、大丈夫ですと了承もらいましたから、休んでください」

わざわざ、電話までかけさせて、出てくるな、ってとこを出勤しますと言うのは、さすがに無理とは思ったので、
「机も片付けたいし、みんなに挨拶もしたいので、最終日は行きますし、もう1日、最終日に出勤じゃない人が居る日に、顔出します。仕事はしないからいいですよね?
片付けと挨拶だけだから」
ということで了承してもらった。

もう1日、の方で会議室の方のKさんに、すごく謝られたのと、愚痴も出た。「いや、すごい計画練ってたんですよ色々お願いすること、それなのに……」
いや、分かります、ほんとこっちこそごめんなさい、わざわざ電話で来るなって言われてるのに出て来るわけにもいかなくなってしまって、とお詫びした。

だから、今月はほとんど就活、そして、とりあえずの勤務先が決まってからは、バイトするようになった。
そして、目標だった、自分の子どもの頃からのコレクション、レコードと映画パンフレットの山々、全て、メルカリ出品、掲載完了!
お陰様で、毎日のように何かをコンビニ出荷しておりました。


勇気を出して、アナログおばさん、タイミーに登録。

タイミー、Timee

どうやるのか、ドキドキしましたが、やってみたら、簡単でホッとした。
いや、仕事が簡単ってことじゃないです。
出勤、退勤とか「QRコードを読み取る」ってどうゆうこと?ってずっとハテナだった。
申し込んだ勤務先に、QRコードの紙が貼ってあった!それをスマホで読み取れば良かった!

仕事事態は簡単ではないです、初めての場所へ行って、役に立たなくてはならないのですから。
わからないことは何でも確認し、聞く、若いタイミーさんもいて、聞くのが恥ずかしそうにしてたり、どうすればいいんだろーって右往左往している人も見かけます。ある意味、コミュニティお化けでないと難しいかもです。

何てったって、数えきれないほどのバイト歴ある、おばちゃんですから、そこんとこはお任せあれ。
そして、ご飯時を挟んでいる時間帯枠でも、5時間以上の仕事でも、休憩がない、ほとんどの仕事で。そこがしんどい。
そして、自前で用意しなくてはならない物がある仕事も多く、経験者のみ、という仕事も多い。

ある日、一番先頭に出てきた仕事をポチ!
持ち物「なし」、働く条件「なし」!
おー、何も要らんのか!

そして、場所がものすごく近く。(登録した住所から近いものから先頭に表示されるからだ)
歩いても行けるが、チャリなら3分ほど。
えー!こんなとこでこんなことしてたんかーって、よく前通るビルの一階。
お菓子の製造だった!
QRコードを読み取るためのスマホだけ持っていき、靴も作業着も用意されているものの中から自分が切れそうなサイズを探して服の上から着て、使い捨てキャップと手袋して、冷凍の餡を、黙々と求肥で包む 。

そんなバイトしてます。

ずっと立ち仕事だし、けっこう冷凍の餡を運び入れたり、出来上がった菓子がいっぱい入ったケースを再度運んで冷凍庫に入れるのも力仕事。でも、こういう作業の仕事の方が事務仕事より合ってるんだよなぁ、私。

気持ちが楽。

でも、本来の仕事にするには時給が安い。

作業的なものも含まれるてる事務員、ってのもあるから、その辺を選ぶべきかなぁ~。

近くにそんな仕事あるといいけどなぁ~

でも、ここまでよく頑張った。
よくやったよ、私、あの会社で。
褒めてやる。



さて、今年も終わり。


来年、不登校長男は、卒業、高校生、どうなるか。


親子共々、新たなる冒険の始まりです。


皆さんも、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。