YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

母、妻、嫁、どの私もあまい

今週のお題「あまい」

私はあまい、

いや、優しい?

そう言ったら良く聞こえるか。

厳しければ良かったのか?

いや、不服に感じるということは厳しいのか?人に対して。

でも、これまでの自分の経験、幼少期からの体験と比べるとかなりのゆるゆる感かと思うのだが……もはや何をもってあまいのか、優しいのか、わからない。



息子は小5から不登校、年下の旦那はメンタルが良い時も悪い時もあり、数年前にはとうとう薬を飲むようになり、最近は家族と話も出来ない。かと言って、今は仕事には行っていて、他人とは話が普通に出来ている様子、部屋から電話での会話も聞こえるが、全くもって普通の話し方、時には笑い声まで聞こえる。

子供のことは一切関わらなくなったし、聞いても来ない。
大切な長女の進学のことや学費のことなどはもっぱらLINE、文字での会話。
時に話しかけても、ウンウンと頷くか、首をふるか、一声出ても苦虫を噛み潰したような顔をして目を合わせず会話にはならないので、最近は私も会話しようとすることを諦めた。
というか、私が心臓がギューってなって苦しくなるから。



不登校の長男は現中2、もうすぐ最高学年、三年生、受験生だが、高校生になることも本人は諦めかけていて、三年生になってすぐ、5月の修学旅行も行かないと断言した。
週2回、1時間ほどの中学の別教室への登校以外、ほとんど外に出ない息子。
ふとした何かに興味をもって話しが出た時に、「じゃあ、ちょっと教科書かタブレットで調べてみる?」なんて声かけするだけで 、勉強のことには触れないでいる母だ。

長女は高校卒業、バイトも始めて頑張ってはいるが、本来18歳にもなって、もう少し家のことや自分自身のことなど、しっかりやるべきなのでは?と思うことが多々。
本当は今日、短大の特待生チャレンジの試験日2回目だったが、行きたくなくなり、自分で「体調不良で行けなくなりました」と電話していた。
友達と遊びに行く、ゲームする、動画観てダラダラダラダラ、やらなきゃいけないことを後回しにしてやる気がなくなりめんどくさいーってなって動かなくなる。
オンオフをしっかりして欲しいと思う。
が、母はあまい、言わない、「特待生じゃなくても、奨学生にはなってくれたんだから、良しとしなくちゃ、きっと彼女なりに頑張っているんだから」と自分に言い聞かせる。


一階の同居の義母義父、自分の息子の稼ぎでは食べていけないことなど知らないだろう、私の収入で食費や、生活雑貨などまかなえているが、よっぽどのことがない限り彼らに不平は言わない。
いや、不平というより他者に対してのマナーの問題がほとんどで、これまでよっぽどの事があって、何度か言いました。
でも、これも私の基準にすぎないか、と後で思うのですが、子供の頃から『よその人に迷惑をかけない』『働かざる者食うべからず』が口癖の私の母親に育てられたせいだな。


旦那は、今月末で、わりと長く勤めた夜勤の仕事を辞めるとの事です。夜勤が体力的にもう出来ないそうです。その仕事で社会保険に入っていたので、子供達の保険証はもうすぐ返上しなければなりません。
4月から、芝居関係の知り合いも居るグループホームでの仕事にしてそこで社会保険に入れてもらえるそうですが、しばらく切り替えに時間がかかるから、子供達の受診や薬代などは一旦実費で払うことになりそうです。
そして、ここのところ、芝居関係の仕事の事を切知らされません。確定申告の時に、源泉徴収票などで、「あ、こんな仕事やってたのか」と分かるぐらいでした。

前に書きましたが、相談も報告もなく劇団を立ち上げていた旦那。
立ち上げた劇団の公演の経費等も知らないし知らされないし、他のところからの源泉徴収票、支払い通知書なども貰えないので、例年のように私が確定申告の計算や書類を作成できるはずもなく、必要なものすべてそっくり旦那に渡しました。
もう期限過ぎましたが、できたのかどうかも分かりません。




これまで、子供たちの卒業記念で家族旅行、少しずつ貯めたお金で何度か出かけました。
でも、長女の中学卒業はコロナ禍まっさかり、旅行などもってのほか。
外食さえもできなかった。


先日、高校卒業、別の世界に生きている父親は、家族旅行など計画してくれるはずもなく、行くつもりもない様子。
ずっと行けなくて気になっていた私の両親の墓参りに3人で行こうと思いました。
くしくも、私の弟から「実家を売りに出した。家業も辞めるからその経費にあてる」との電話。
私の父が立ち上げた建築業の会社、社長である父が突然亡くなり、弟が引き継いだ会社、一年かけてゆっくり店じまいにするそうです。
弟は外に働きに出る予定だそうです。
売りに出したからすぐ売れるわけではないけど、売れたらもうそこには足を踏み入れられません。
うちの子ども達は何故か私の田舎が好き、半引きこもりの息子も私の実家には行きたがる。


お墓参りと実家にサヨナラしにいきました。

実家に来ると必ず門柱に登り、山々や田畑の景色を眺め深呼吸する長男。
これが最後かな。



少し足を伸ばして、実家から車で50分ほどの所の観光地へ。
卒業旅行のつもりで、私のパート先の会社が会員の豪華ホテルに予約を入れてもらいました。
スタッフならパートでも利用希望を入れて良いとしているので、これまでの会社からの私の扱いにしたら、これくらいお願いしてもバチはあたらない。
もちろんタダではありませんが、1室の値段なので、3人でビジネスホテルに宿泊する程度の出費で豪華ホテル。

天気は良くなかったけど、JK長女も引きこもり中学長男も喜んで、はしゃいでいました。
長男はゴルフ場が見える浴槽で、出窓に置いたミツヤサイダーを飲みながらのお風呂に大満足。
私は露天風呂もある大浴場へ。途中、迷子になりそうでしたが。
夕飯はレストランだととんでもなく高い料理なので、ホテルに着く前にスーパーで惣菜やお弁当、飲み物など調達し、部屋でゆっくりゆったり3人で楽しい食事となりました。
何より、外出しない長男が外の世界で楽しんでくれたのが、涙が出るほど嬉しかったです。

卒業式とひな祭り

3月3日、長女の高校、卒業式でした。

三年間、よく通えました。

ご苦労様でした。えらかった、よくやった!お姉ちゃん♥️




私も片道1時間かけて車を運転し、高校に行くのも最後。


体育館、窓もドアも開いたまま、1時間、寒い~!冷えた~!


先生や生徒の言葉にもあったけど、思えば高校受験がコロナ禍始め、中学卒業式も高校入学式も、簡略化ソーシャルディスタンスの例年とは違うけど、なんとか開催された。
でもすぐに休校になったり行事が中止になったり異質な高校生活だった。
ニュースにもあったけど、素顔を見たことがない同級生はいっぱいだ。
何年か後に、同窓会が開かれても、素顔ではわからない人だらけなんだろうな、きっと。


長女の高校は、基本マスクなしで卒業式、でも本人の選択自由としていた。
なので、皆マスク姿のまま。2人ほどノーマスクさんはいたかな。
卒業証書を抱いた写真も素顔は嫌だと言ってマスクのままの記念撮影だった。

マスクなしの日常は戻ってくるのか、戻った時の戸惑いと違和感を子供たちは体験するのだろう。


コロナ禍でなくても今のこの季節はマスク必須。鼻水ズルズル、連続くしゃみ、花粉症の私達親子には辛い季節だ。


仕事でも少しだけ良いことがあった。

出荷部署社員3人全員辞めたことは書いたが、そのうちの一人、貴重な男手が帰ってきた。
次の内定していた次の就職先の話しがダメになり、その事をうちの他部署の男性社員が知って説得、社長にも掛け合ってくれ、またうちで働くことになった。
が、出荷専属ではない。
というか、うちには部署専属のスタッフなんてほとんどいないけど。皆どこかのヘルプだったり、兼任だったりとややこし過ぎる。
でも、入荷商品の管理や重い大量の商品箱を倉庫に運ぶ、また倉庫から補充商品を出荷に入れてくれる男手がきて、なんと楽になったことか。
それでも、10時出勤なので、朝一でトラックが着くと荷受けは私達パートのおばちゃん達、トラックの運転手さんも大変そうだ。好意で、というか、早くここの仕事を終らせ次の仕事があるから手伝ってくれる。
私達も運転手さんの次を考えて、荷下ろし、カゴ車を準備、急ぐ。
午前中だけのパートさんは私よりもかなり年下だが、十分なおばさんで三人の母、そして私と違ってスリムで細腕、私がいない日荷受けをして商品が詰まったカゴ車を中に入れようとしたけどちょっとした段差が越えられず、運転手さんが手伝ってくれたが結局倒してしまい、商品が一部破損してしまった。
非力な女手が荷受けするのだから仕方ない、そういう会社だ。
でもいつか誰か大怪我しそうな現場だ。
それでも、男手君が戻ってきてくれ大変助かり嬉しいことだ。なんてったって、その子を失わないために、社長に進言した結果、20年近くオペレーターとして働いてきた私は出荷へ配属になったのだから。

あと、出荷や出荷にヘルプに来てくれる同僚からお礼にと菓子をよく貰う。そのため、我が家のおやつ事情は潤っている。

というのも、私はならないのだが、皆知らないうちに手首が傷だらけなのだそうで、アームカバーを使うようになり、ネットで買ったものが厚手で熱くなり扱いにくいそう、そしてデニムの色が服に着いて取れなかったりとかなり不具合があり結局使わなくなったので、私が家の余り布(ほとんど長女の高校の実習で使った布地)で薄手の綿素材で手作りしたアームカバーが楽で好評だったため、皆、お礼に菓子をくれた。

長女が甚平を作った時の余り布でアームカバー。農家のおばちゃんみたいでしょwww
でも、これ着けて梱包してる同僚はとても可愛いおばちゃんです。

「桜咲く」の便り待ち季節に梅が咲く

連日、寒さ厳しかったのが、少しやわらぎましたね。

近所の梅の木、蕾がぷっくりし、花が開きました。


春から短大に通うことが決まっている長女は今日、その短大に朝から行っています。

すでに指定校推薦で、奨学生として合格してますが、一般入試の試験を受けに行っています。
というのも、この一般入試試験で一定以上の点数が取れると特待生になれるから。

奨学生は学費25%引き、特待生は半額になる。
貧乏家庭に、ありがたや。
長女に感謝。
受けるのは無料だからダメ元です。
25%減免でもほんとに助かります。


数学、難しかったけど、解くの楽しかった、と帰って来ました。
私には全くわからない感情だ。
私は数学超苦手、数字大嫌い人間です。
とにもかくにも、お疲れ様お疲れ様。




物価高で食料買い物であれよあれよと財布の札がなくなって行くのに冷や汗です。
これまでもパートの収入で食費や生活雑貨、子供達の学用品や服なども捻出していたので、自分に使うお金ほとんどなし。少しずつセーブしたのを貯めて、3ヶ月に1度ぐらい白髪染めとカットに美容院へ行ったり、季節終わりまで我慢して安くなる頃、破れた服の替わりを買ったり。
それが、旦那の給料が入る口座に毎月残金が少ないのを見て、長女の通学交通費や検定料や教材費なども私が出すようなってきて、ほんとに自分にかけるお金はなくなりました。


最近、愕然と、というか、呆れて言葉を失う事実を知りました。


鬱病の薬を飲んでいるほどの旦那は、家族と会話せず、目を合わせず避けるように家を出て行く。
でも部屋からは普通に仕事仲間や関係者との会話が聞こえ笑い声まですることも。

昨年は頻繁に家を出て行くようになり、夫婦で一台しかない軽車両がいつもなくて、困ることが多かった。
そして、家にあるものがよく無くなったり、芝居用に借りたであろう椅子などの小道具を家のそこかしこに置くようになったり。

きっと養成所の舞台の手伝いや収入源確保のため舞台スタッフの仕事を入れて頑張ってくれているだろうと思っていた。
だから雨や雪でも大量の買い物でも歩きやチャリで私も頑張っていた。



ところが、自身の劇団を旗揚げしたらしい。
もちろん、相談も報告も一切ない。

昨年末、旗揚げ公演をしたそうだ。
手伝いではなかった。

劇場を借りて旗揚げ公演……規模からして持ち出しはあっても収入にはなってないであろう予想は、昔自主公演の制作もしていた私にはよく分かる。
頻繁に使用した車のガソリン代やあちこち行って停めた駐車料金の領収書……それは公演の収入から出たのか……難しいでしょうね

旦那のツイッターを見つけた。

たくさん差し入れ頂くなぁーと思っていた色々な銘柄のお酒、頂き物ではなく買ったようで、写真や味の感想など載せたり、舞台関係で知り合った人のお店での飲み食いのツイートなど、舞台稽古の様子や仲間の紹介など……

そこには全く家族の影はありません。

私がそっと部屋の机に置いておいたバレンタインチョコも、写真を掲載して、「頂き物です。チョコゼロを免れましたー」とツイート。
妻から貰えたチョコではないことになっています。


彼は異世界に住むことにしたみたいです。


梅は咲いても我が家に春は来るでしょうか?

おばさん、駆ける

今週のお題「かける」

久々の投稿です。

気がつけば年が明け、1月も終わり、節分も過ぎて、2月も半ばにさしかかるところですね。

ご無沙汰してます。

今日は東京では雪が降っているそうで、こちらは冷たい雨が降っています。
庭のウサギの置物も寒そう。

そんな天気の中、長女のJK、高校生活最後の授業に出掛けていきました。
もう、来月の卒業式まで登校しません。


1月から、スーパーのバイトを始めた長女、ほとんどレジの仕事らしいですが頑張っています。
明日からはバイト三昧とバイトで稼いだお金で、旅行にも行くつもりらしい。
夜、終了時のレジ閉めもスムーズにできるようになっているそうですが、こないだは古いレジで紙が詰まってしまい、帰りが遅めになったことも。


今朝、冷たい雨の中、不登校長男もスクールカウンセラーさんのところへ、中学へ登校できました。
送りがてら、私はクリニックへ定期受診。
花粉症ももうそろひどくなってくるころですね。子供たちのアレルギーの薬も一緒にもらってきました。


さて、私は去年末、勤続20年ほどのパート先、配属がオペレーターから『出荷』になり、還暦まであと2年半にして肉体労働者となりました。
1月4日、年明けから怒涛の仕事内容。
出荷を支えていた社員三人全員辞めてしまったあと、男手もない部署は、残された午前中だけの出荷パートさん(でもこの人も、元々はベテラン電話オペレーターです)の指示の元、私を始めとした素人おばさん軍団の現場は、肉体的にはかなりのしんどさでしたが、笑いに溢れた現場となりました。

さながら、おばさん達の運動部部活動、って感じでした。


私も、毎日、身体全体が筋肉痛、1日だけは身体が動かず休んでしまいました。
皆、手首や腕、腰、湿布だらけでの健闘でした。
年末休み明けの貯まった注文分、始まったキャンペーンの注文、会長(現社長)思いつきで強制的に始めたキャンペーンの影響での大量注文分、定期便分の発送、素人おばさん軍団で荷物が全部出せたのは奇跡的だと思う。
荷物を出すことに必死で、ミスは少し出ましたが、承知の上で、むしろこれだけのミスで済んだのも奇跡だと思う。


でも、現社長にしたら(『出荷』は誰でもできるから)なので、「ほら、できたでしょ、頑張ればできることなのよ、ミスはどうして出たのか、もう一度業務内容を見直してみて下さい」なんでしょうね。

出荷という仕事の無理解、見下している感じ、ハラスメントがひどいです。
だから社員三人全員が辞めることになったんですけどね。
そのことに、社長に意見を述べた私は社長にしたら誰でもできる『出荷』に配置替え、新しいことを覚える努力をしています。
昨日は月毎集計を出すロット(製造番号)報告書の書き方、提出の仕方を教えてもらいましたが、教える方も、昔少しやったことがあってこの怒涛の1月分をよくわからないなりに、やってくれた出荷準備部署の人なので、やっぱりわたしもよくわからないけど何とかなるかな、な精神です。


長年オペレーター兼、お客さんへの確認と手紙作成の担当業務から外れ、普段毎日大変なその業務。
担当の一人として残った社員の一人、この娘も辞めることになりました。
今月15日が最終勤務日だそうです。
ロッカー室で一緒になった時、声かけしたら「いやー、もう、…ちょっと……ごめんなさい、ご迷惑かけます」と。
「いや、迷惑なんて全然、ここじゃちゃんと仕事をさせてもらえないもんね。」とかえしました。これまで頑張ってくれてありがとう、です。

真面目でしっかりしている子ですが、
真面目なので、ちゃんと仕事をしたい気持ちが大きく、ミスもかなり気にする傾向です。
あれもこれも、でも時間までに何となきゃ、なので、ある程度の「まぁいいか」、でこなしていかないと追い付きません。私が出荷になり、隣の席の課長の子も、梱包が追い付かない時やパートが帰ったあとの閉め、宅配業者さん集荷時の対応もするようになり、オペレーター室に居ないことも多々。
その分、その子に大きな負担がかかりました。メール返信に関して何かあったようで社長に何か言われたのかもしれません。

また一人失います。

でも、しっかり次の勤め先が決まってるようで良かったです。


定期便の発送が済んで、少しは落ち着きが出てきたころ、でもまだ当日の出荷は私と午前中パートさんだけでは追い付かないため、課長の子と出荷準備の人がヘルプで梱包に来ており、出荷部署は4人のおばさん。


月末の棚卸しも通常通り行うよう社長指示が出ているため、合間を見つけて、午前中パートさんが外の倉庫の商品を数えてくれていました。
すると、外から「:・##~**##出てっちゃったー、助けて~」とそのパートさんの叫び!

出口に一番近い準備部署の人「私が行ってくる!」と素早い走り!

出口の窓から、通りの方向を見て走って行くのが見えたので、私も走って追いかけました。


梱包用の箱が山積みにしてあるカゴ車(滑車が付いた荷物を載せるオリみたいなやつ)が、歩道を越え、大通りの車道へ出て山積みの梱包用箱の束がいくつも道路に散らばっています!!!

大変!!

交通量も多い幹線道路です。

慌てて三人で、まず大通りのカゴ車を歩道に上げます。
私と出荷準備の人で会社の搬入口まで運び、午前中パートさんが道路に散らばった梱包箱の束を歩道にあげます。
搬入口の出荷出入口に向かって私が叫びます。
「大変なことになってるー!」

課長の子も走って出てきて、「はぁーっ!」
おばさん4人、大急ぎで道路の梱包箱たちを片付けました。

幸い、すぐの交差点信号が赤のため車の通りがなく、幸いでした。


本当に大事故にならなくて、良かった~、つめつめの倉庫の商品を数えるため、手前にいっぱいの梱包箱束が山積みのカゴ車を一旦外に出したものの、滑車にロックがかかっておらず、倉庫と搬入口のスロープを重いカゴ車は下ってしまい、制御不能、歩道を横切り、車道との段差でガシャンとこける。
歩道の通行人にも当たることなく、車にぶつかる事故もなく、本当に良かった~。

パート仲間にもケガがなく無事、ほんとに良かったです。

その後の仕事も忙しく、おばさん4人、朝から駆け抜けた1日でした。

仕事納め

昨日がパートの仕事納め。

はぁー。


クリスマスにも記事が書けなかったですが、ホワイトクリスマスになりましたね。
朝起きて、「あ~!!ク、クリスマスの買い物に行けない!どうしよう😱💧」ってなりましたが、午後には道路の雪が溶けてきていたので、出かけられました。

JK長女は高校のお友達と出かける予定でいないはずのクリスマスイヴ、高校の方の地域の電車が動かないので、取り止めとなってしまい、家に居ることになったので、長男と2人だけで簡単に済ませる予定だったクリスマスイヴは変更。
午後から、長女と色々買い物に、晩ごはんもそれらしい感じにはなりました。


そしてあっと言う間に年末です。


仕事のこと、どこまで書いたかなぁ~


現社長に社内メールで言及してから、出荷を支えていた社員3人、出荷はこれまで社員3人と午前だけのパート1人で、踏ん張っていたのですが、何も聞き入れてくれない社長に堪忍袋の尾が切れ、3人ともに辞めてしまいました。

そして社長にとってはうるさい私は、正当っぽい理由を並べられて(その時も、色々突っ込みを入れましたけど、矛盾した返答に理解不能でした)とうとう私は出荷の人になりました。
出荷の3人は残っている有給休暇も使えてないのでたくさん、それぞれバラバラに最終勤務日を迎え、力仕事の貴重な働き手だった若手男性は棚卸しが大変だからと最後の仕事納めの昨日までいてくれました。
数日前に最終勤務日を迎えた古参の主任女性は、スタッフ一人一人に挨拶と菓子折り手渡し、私も頂いた菓子折りに宛名がある小さな封筒がついていました。
それぞれにメッセージが添えられていたようです。
私には「いつも正論、すがすがしいと思っていました。ずっとそのままでいてください。お世話になりました。」と頂きました。

ありがとう。きっともうこの性格はなおりません。

今日の仕事納め、午前だけのパートさんが帰った後は一人で出荷で商品をピッキングし梱包、しかもその注文伝票は私が朝入力した分が多く、注文入力から出荷まで全部が私、他の人のチェックもなしの発送でミスがあったら全部私のせいじゃん!ってことになってます。

そもそも、これまでもよくあった電話のクレーム内容にも関わらず、私の対応が原因、大変なことになってしまいましたと社内メールで社長に文字を並べられ「私の教育がなってなかった」の文がありましたが責任を取ったのは社長ではなく、取らされたのは私、「配置換えです」と誰もいなくなった出荷に。


還暦まで三年にして肉体労働者になりました。


午前中だけのパートさんもほぼ同年代、その人と入力担当者のパートさん(長身で美人、モデルさんにもなれそうなママさん、小綺麗な趣味のよい服にヒール姿がまたお似合い、出荷の場所には似合わない)がヘルプで出荷の梱包に入った時の様子を見ていた私。
「女性2人でカゴ車を組み立てて移動するだけでヒーヒーいってますけど」の私の言葉に社長はニヤニヤして
「あなたが力(腕力)があるの、私は知ってますから」
社長も昔々大昔演劇人、私の劇団時代も知っています。

私:「あと三年で私還暦ですよ、勘弁してください」

ハッ!とした目をしてちょっとうろたえて「あぁそうですか、私は76ですから」

はい、ことあるごとにご自身の年齢を言うのでみんな知っています。だから?
あなたが歳を取ったように、私も歳をとりますよ、2輪バイクにまたがって芝居をやりながら会社に出勤していた私とは違うんですけど。
いまさらびっくりしてどうするんですか。



年明け4日から仕事が始まります。


どうなることやら。


とりあえず、旦那の弟家族4人は今年も帰省しないことになりました。
なので、10人分の買い物、食事準備はなくて助かりますが、それでも6人分の年末年始の食材の買い物はチャリに山盛載っけても、一度では済みませんでした。
また明日スーパーに行ってきます。
大掃除ははかどりません。
疲れるので適当にしておきます。
家事も仕事も頑張らないことにしました。

安堵&暗雲

不登校長男のいつもの日常姿

Apex中です。

小5からの不登校は3年半を越えました、週2回の別室への短時間登校も行けたり行けなかったり、最近は行けなくても少しがっかりするぐらいになり、前みたいに心臓の辺りがギューっとなるような心労はなくなりました。

この日常に慣れてきた?

慣れて良いものなのだろうか?

中2の二学期ももう終わろうとしています。

師走ですね、ブログ更新を1ヶ月もしていませんでした。
楽しい記事が書けなくて。


今日は、嬉しいというか、タイトルの一つ、安堵したことを記しておきます。


高校三年生の長女、進学希望の短大に指定校推薦で合格しました。
先月、面接試験を受け、12月1日、ネットで登録したマイページを長女自身が開いて見たところ、合格通知が来ていたと。
そして、金曜日午後、郵便で合格証書と手続き書類が届きました。
授業料25%減免の奨学生で合格です。


ありがとう。おめでとう。


入学金振込が平日8日期限だったので、仕事が始まったら振込に行けないかも、と思い、金曜日パートが休みだった私は、大事に取ってあった私の保険金満期のお金の一部と子ども手当てのお金と合わせて、その日に振込してとりあえずの手続きを済ませることができました。

入学金はとりあえずかき集めで支払うことができて良かったですが、合格通知のコピーを取って、教育ローンの手続きを進めなくては。


でも、ホッとしました。


奨学生の上、授業料半額減免の特待生もあり、来年2月に試験を受け合格すると特待生になれる可能性もあり、長女はチャレンジする方向で考えてくれているようです。

25%減免でも、ほんと助かる。


ありがとう。



暗雲は日常茶飯事、家庭にもかかっていますが、今日は会社の事です。

去年の夏、社長の突然の社内メール「退社のご挨拶」、9月末までで会社を辞め海外移住をするとのこと、10月から母親の前社長である会長が社長に復帰、そこから大変な事にどんどんなって行きました。


先日、出荷の主軸の子が退職願いを提出し辞めました。
その子が居ないと出来ない分からないこともいっぱいありますが、古参で出荷の主任ポジションの人がまだ会社にはいます。
ですが、はっきり物申す人で出荷のことに関して色々会長にも言うので、嫌になったんでしょう、違う仕事をさせたり、12月からは違う部署の担当になる指示が出ていました。
そのこともあって主軸の子は、もうやってられない!と退職。
でも、退職の理由は「他にやりたいことがあるため」としたそうで、会長自身は自分のせいだとは全く思ってないようです。


私のパートの先輩、私自身も最古参の一人ではありますが、私よりも数年先輩が、出荷の主任の人に関してはもはやイジメだよね、と。
出荷の仕事自体にも、これだけのことなら充分社員三人でできるわね、数日午前中だけのパートさん一人いて、大変な時にはヘルプに入ってもらう担当があるから、充分との考え方。
その出荷の梱包にも私は行っています。

本来、私の仕事は通販の受注と相談電話のオペレーターです。

でも出荷って伝票通りに商品をピックして梱包して宅配業者に渡すってだけの仕事じゃないんですよ、それをずっと主任の人はうったえていて、聞いてもらえず。


そして、主軸の子が辞めてしまったので、12月からの主任の人は別部署への配置はさすがに取り消して出荷に戻ってもらうだろうと思っていました。

が、社内メールで出荷Sさんの退職に伴い、担当教務を一部変更しましたので、と会長、いや現社長の添付ファイル。

出荷主任の人は、別部署へと配置そのまま、代わりに私の先輩オペレーターが出荷へ行くことに。
皆びっくり、違和感しかなかったです。
隣の課長の子は内線を事前に受けていたようで、苦悩の面持ちで、私に梱包の研修をその先輩にお願いしてきました。
私:「いやいや、研修って、私もヘルプができる程度の簡単なものしかやらしてもらってないし、研修するほどの作業してないから」

皆兼任業務を持ちすぎていて、真の電話オペレーターは一人も居ません。

内線を受ける前か受けたあとかは不明ですが、課長の子も「○さん、社長との交渉上手ですよね?お願いしたいことあって」とボソっと言ったこともありました。


直接、現社長に物申す人、私かその先輩か、出荷の主任。
先輩も「えー!私、出荷に行けなんて一言も聞いてないよ!」と、本人もびっくり。


定休金曜日の前、木曜日帰り際に、その現社長の社内メールに「担当業務のシフトを確認しました。疑問に思う事があります」とメッセージを入れて、退社しました。
突然の出荷Sさんの退職で、この危機に主任が出荷に戻ってきりもりしてもらうのが当然ではないかと思ってましたが、なぜそのままなんでしょうか?ご本人が希望されているからですか?戻ってもらった方がスムーズな業務進行でお客様にご迷惑をおかけするようなこともないと思います。
私やオペレーターが何人手伝いに行っても主任の1/4も仕事できないと思います。とかなんとか入れてきました。

出荷の残り一人社員、貴重な若い男手、この人も「え、俺一人にされるの?おばさん達いっぱい手伝いにきてくれても主任が戻るだけで解決なのに、なんで?俺もやってられない」って辞められたらもうアウトだと思ったからです。


そしたら、私のこの定休に、同じ子育て世代のパートさんからLINE。

「今日、こんな手紙が給料明細とともに皆に配られましたと写真。私ももう辞めたい気持ちでいっぱいだけど、出荷主任Oさんも1月末で辞めるって」と。

A4サイズの紙びっしり文字、2枚。

○(私の名前)さんからのご質問に対して……と文章は始まっており、びっしり文字の2枚を読む気になりませんでした。

こわっ

木曜日、出荷に行くことになった先輩も言ってました「もう終わりに向かってるね、会社、まぁ私はあと一年で定年だから、それまでは我慢するわ」


明日は出勤なので、何とかその手紙を読んでから頑張って出掛けます。

なんか、私、どこに居ても闘ってるなぁ~

楽しい記事が書けない日々に

週末、近くのモールへ長女と二人で自転車で出掛けました。


毎週末、特に何処へ行くでもなく家でゆっくり、そんな日々に、長女もモヤモヤしていたようです。


家族の中でも、JK長女が一番お出かけしてるんですけどね、お友達とショッピングやランチ、近場のテーマパークなど。


少ないなりにも数年前までは、ちょっとしたお出かけもしていた我が家。


家族でお出かけなんてしなくなった。


コロナ禍、長男の不登校とLD、鬱病で家族と目を合わせず会話しなくなった旦那、私の仕事先の社長が辞め経営者交替で業務内容の急変、9月の姑からの私と長男のコロナ感染……からの~後遺症、体力激減。


秋、美味しいもの色々あって庭でバーベキューでもしたいが、前は火起こしや焼き担当だった旦那があんな状態で参加するわけもなく、かと言って留守をねらって子供二人と私だけでやるのも、余計に旦那に疎外感を与えてしまうかと思い、実行できないでいる。
週末は掃除洗濯して近所のスーパーで食材買って家事をして、そんな日々がずっと続いている。


先日、3班に分かれての社員旅行もあったが、私は留守番チームの一人(強制ではないので都合がつく人の希望を聞いて日程を組んだのは、私がコロナ感染でお休み中だった。どのみち、子供たちを置いて一泊も無理だけどね)、各チームからお土産のお菓子を休憩室でお昼休みに頂くだけ、あ~どこかに行きたいって気持ちが倍増するのを抑え込み、すぐに虚無感。


楽しい記事が書けない。


でも、私達三人は何とか日々を平常心を保ちつつ生きています。



モールの服屋さんで長女と目の保養。
お手頃価格なおしゃれ服を取り揃えているショップであれやこれやおしゃべりしながら……これって母と娘の特権だよね、息子だとこうはいかない。
シックで安価なワンピースを見つけました。
約3000円、来年短大生になっても着れそうです。
試着して、大人っぽくなった長女にちょっとした寂しさも感じる母、これくらいなら買ってあげられるよと購入。

「じゃあ、私が代わりにおやつにスイーツを買うよ」と長女。

100均で私は壊れたスマホ用のイヤホンを購入。


そして、お持ち帰りで何か美味しそうなスイーツをと見て回る。

迷って迷って、結局ケーキ。

長男はケーキは苦手な方なので、長女と私の分だけ買って帰りました。
私は抹茶と栗
長女は可愛いデコのカヌレ