YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

釈然としない……モヤモヤな就職と課題提出

フルタイム就職はもう叶わないと諦めた。

派遣としての採用はあるのだろうが、また期間満了で次の仕事、またその次の新しい業務内容を覚え直すのもしんどい。

そしてもう履歴書、職務経歴書、書くのが嫌になったし、8枚セットの証明写真がラスト。

今月誕生日を迎え、五十代も最後となる。

60を超えてしまえば、かえって募集が増える、でもそれまで待てない、社会保健を途切れさせたくなかったけど、叶わず、仕方なく今は国民健康保険、パートでも社会保健に入れるなら良しとしなくちゃ、働かねば!


すぐ近くの、障害者就労継続支援A型の小さな施設で軽作業の仕事をしている。

正社員の募集は9時から5時半まで勤務だったので、パートの4時まででも「勤務時間応相談」とあったから9時5時とかのフルタイムパートにしてもらえるかも、と思って応募し、面接時に伝えた。

叶わなかった。

ちなみに、4時までの勤務も叶わなかった。

社会保健にも入れてもらえなかった。

その場所での利用者さんの作業は3時まで、車で駅まで送ったり、出来上がった物を載せて業者さんに納品に行くことが出来そうなら、

あるいは、

車で10分ほど離れた場所にも別施設があって、そちらに利用者さんと朝一緒に車に乗って行き、そっちでの作業をしてまた夕方戻ってくるということが出来そうなら、4時まで仕事はありそうだけど、ここでの仕事は、
3時で利用者さんが帰ってから、片付けや掃除で3時半で仕事はほぼ終わってしまう

車の運転に自信がないようだし、年齢的にも、最初から社会保健に入ってもらえます、というのは難しいので、一旦国民健康保険のままで、3時半までのパートで身体も慣れてもらって、様子見ってことでどうですか?
その条件でオッケーなら、いつ来てもらってもいいです。

とのことで、面接後、ハローワークの個人担当さんに電話した。

個人担当さんもそれを聞いて、「え~、そういうことー、4時までじゃないの。株式会社なんだから社会保健入れてよ~、じゃあいっそのこと週20時間程度の出勤にして貰って失業保険をそのまま受給中にします?」と。

なんだかモヤモヤしていたが、『一旦』の言葉もあるので、試用期間2ヶ月後にはひょっとしたら4時まで勤務で社会保健、厚生年金にしてもらえる?働き次第ってことか?
もう応募先を探すのも履歴書書くのも嫌になっていて、「まぁ、試用期間後も見据えてここにして、足りない収入は、このままタイミーのバイトを入れようかなと思います」とハローワーク担当さんに伝えた。

「お近くで通勤に時間を取られないことを思えば良いかもしれませんね、でも、ほんとに人を乗せての運転に自信がないのなら、ずっと大きな車の運転できませんって断っていた方がいいと思います。お互いに様子見で、もし、ここじゃない、って思われたら、早目の再度転職をお勧めします。あなたにとって、良き就業先であることをお祈りしております。また困ったことがあればいつでもご連絡くださいね」
と言ってくれて、これまでのお礼を伝え、サヨナラした。


7月1日より出勤している。
祝日は休みではない。
土曜日も出勤がある月ある。
昼ごはん休憩50分は、チャリっと3分で自宅で息子と食べている。
この就業先の何がいいかって、これがいい。
息子の精神安定にもなっている。
昼間に午後からの学校の予定や出かけなくてはいけない時間などの確認が私とできるから。

そして、私は、着ていく服や靴に気を遣うことなく、普段通りなのがむちゃくちゃ楽、ノーメイク、ヘアカラー落ちまくりの白髪で行っている。

軽作業の職業指導員って立場だけど、軽作業を一緒にするというか流れをつかんで、こっちの人にこれ、あっちの人に新たにこの作業をお願いする、とか、段取り組が重要な役割で、まだ顔と名前も一致しない上に、人によって出来ないこと任せられない内容など違っているのでまだまださっぱりだ。3日目に、機嫌を損ねて、暴言呟かれた利用者さんに「慣れてなくてごめんなさいね~」と謝る場面も。(3日目にして上手くできるるわけなし)

そして、ちょっとは座る作業もあるかと思いきや、ずっと立ち仕事、あるいは動きっぱなし。


二週間が経過した今日、腰と足がヤバい。

トラックからの荷下ろしや積込もあった。

会社としても、儲かる仕事ではないのだから、60手前のおばさんがこなしていけるのか、やっていけるのか、役に立つのか、よく見ないと、ってところだと思う。

社長も、その補佐的存在の生活指導員の責任者も私と同年代か少し下の女性だ。
テキパキとキリモリして、自らも積極的に作業に加わり社員さんに指示を出す。
そして、利用者さんが帰り、片付けや掃除、納品の段取り中に、暑いからと皆にアイスを配ったり甘いお菓子をスタッフに配る。
そして、頂き物の野菜や果物を私も含めたパート主婦さんに持ち帰りように分けて置いてくれる。
これまで、スイカやトウモロコシ、トマトなど貰って帰った。
手当てや福利厚生などは大手会社勤めとは雲泥の差だけど、家庭的な職場ではある。スタッフの成り手、人手確保はとても難しいだろうから大事にしなきゃという想いは伝わる。


連日、色んな請求書が届く。

その度に胸が苦しくなる。


これまでよりも収入を上げるつもりでいた私にとって、良き就業先だったかはまだまだ分からない。モヤモヤするけど、でも目の前のやるべきことを堅実にやって行くしかないと自分に言い聞かせている。


新しい仕事を始める少し前から、長男の数学レポートの提出に二人で悩んで苦しんだ。
夜眠れなくて、授業動画を観たり、教科書を何度も読み返し、ノートに書き写して、夜中リビングでひっそり問題を解いてみたりした。
長男に解説できるように添え書きしたり。

提出期限まで約一週間を残して、とりあえずすべて提出出来た。
とりあえずだ。
最後の、サイン、コサイン、タンジェントの問題……これでいいのか、悪いのか、間違ってるかもしれないね、と長男と二人で全く理解出来なかった問題があったが、とりあえず書いた。

長男も「あーもういいや、間違ってるかもしれんけど俺まったく分からん、俺には理解できん、もう提出!」
ポチっとタブレットの提出ボタンを押したらしい。

普段は、『ちゃんとやらなきゃ』の気持ちが大きく、ちゃんと出来ない自分が嫌で嫌で仕方なく、泣きながら自分を叩いたり痛めつけたりする。『適当に』が難しいヤツ。

60点未満だと再提出。

そうなったらなったでいいやん、期限までに全部埋めて出すことがまず大事や!と言ってやった。

『適当に』が少しできるようになってきている。

ゆるゆるでいいよ息子よ!

息子の初チャレンジ戦利品

お久しぶりのブログ投稿

ご無沙汰しております。

暑い、暑くなりました。

梅雨入り?今頃?


失業保険で生きています、何とか。

2回目の失業認定日、朝一番にハローワークへ、9時の受付開始前から、ベンチに座ることなく、ファイル立てが置かれる場所に一人だけ立って待つ。

係員がファイルの束の入った箱を台に置きながら「受付開始しまーす」開始一番にファイルをとって、書類を入れて中の番号札を取り受付箱へ。

そのかいあって、一番に呼ばれて、9時5分頃には「はい、じゃあ次の認定日は7月○日ですから、今回は28日分出てますからね、口座の金額確認してくださいね、お疲れ様でした」
と書類を渡され終了。


急いだのには理由がある。

この日、読み書き障害・HSPADHD・最近追加された強迫性障害である長男の通信制高校の行事と被っていたからだ。

小5から不登校の息子は、現在高校1年生、この春から自転車で通える距離の通信制高校に入学して頑張っている。

でも、小学校高学年からまともに勉強していない彼は、簡単な通信高校の問題がほんとにわからない。解らなすぎて自分を殴ったり、壁に頭やおでこを打ち付けたり、床を足で強打したり、とうとう自室の壁に穴が空いた!

タブレットのレポートを解いてタッチペンで書いて出来たら提出ボタンを押して送信するのだが、解らないから授業にも頑張って出るようにして、家でも頑張っている。

ちなみに母も手伝うこと、とても頑張っているし、さっぱりわからない、忘れてしまっている数学もYouTube講座を観て勉強したり、検索したり親子共々頑張っています。

〆切までに何とか終わってくれることを願ってますが。



その他に行事ごとに参加すると単位がもらえるため、入学前の履修セミナーの際に出来そうなもの、お金がかからないものを自分で選んでいて、市内の水族館への遠足に申し込みをしてあった。


それが、私の失業認定日とかぶった。


小学校高学年から不登校なため、集団行動や、校外学習などに参加しておらず、人混みが苦手、地下鉄も大嫌いで苦手以上に体調不良になる。

単独で電車に乗ってどこかに出かけるなんてことしたことなし。

そして、この間は、学校で予期しない出来事があり、パニックで私の携帯へLINEするも既読にならない、電話するも出ない、余計にパニックで『早くしろ早くしろ早くしろ』『気づけ気づけ気づけ』の文字が300くらいの連打。
いつもの逃げ場、学校の屋上へつながる階段の踊り場で一人私に助けを求めていた。
私がLINEに気がついてからも「このまま熱中症で倒れて死んだ方がいい」などの言葉も送ってきたので、さすがに学校へ電話して、場所を伝えて声かけしてもらうようお願いした。


そんなこともあった危うい息子。


途中乗り換えのある地下鉄利用、不安で仕方ない様子、このままでは当日の朝「やっぱり無理」って布団かぶって引きこもりしそうな気がすると思った。


二人で事前訓練をすることにした。


朝から雨がひどく長女を駅まで車で送った遠足日の2日前、実際に水族館の入口前まで地下鉄を使って行ってみた。
案内板のチェックや経路確認、乗り換え駅の様子や注意点、要所要所で写メ撮りながら。

水族館に入らずとも、港には色々ある。

外国人観光客もいる。

着いた頃には雨も上がって散策もできた。

船が繋留されている小さな入江で何度も何度も数匹の魚が跳ねている。何だろあれ、トビウオのような綺麗な飛躍ではなく、跳び跳ねている。漁師さんか沿岸警備の船もあるので、柵の向う側に誰か通ったら、聞いてみたい、と思ったが誰もいなかった。
ほんとにずっと跳ねて飛んでいて、下に大きな魚がいて食べられそうになっているからか?
いや、同じ範囲でずっと跳ねていてそんな様子ではなく、まるで集団で飛躍距離を競いあって遊んでいるようだった。


フードコートで昼食にラーメンも食べた。

外食嫌いな長男。

雨の平日、お店も空いていて落ち着きを放って、久しぶりのインスタントラーメン以外のラーメンを楽しんでいた息子。

「久しぶりにお母さんと出かけられて外食もできて、楽しいな」


また平日の空いたところで一緒にまたどこかにお出かけしようと約束した。


帰りルートの確認も丁寧に。

お姉ちゃんのお迎え時間ちょうどになりそうだ。

ほんとにグッドタイミングな時間で長女のお迎えができた。

当日は母のハローワーク行く予定があるが、終わってから駅で合流して、港の駅まで送って行けるからと伝えた。集合場所で先生やお友達にバレないように離れて行動するからという計画。

帰宅して、少し自信がついた長男。

そして、「お母ぁ、俺、頑張って一人で行ってみたい」


おう!

いいね、息子、いいよ、訓練、訓練


最近よく話題に出るプラモデル作りが共通趣味のお友達に当日一緒に行かないかとLINEで誘ってみた様子。
お友達の最寄駅名も聞いたことない駅。
そして、駅名読めない。
利用電車が違う。

息子はようやく自分の最寄駅と路線が覚えられたところなので、他の路線や駅など全く解らずどうすればいいのか、スマホ片手にアドバイスを求めにくる。

やり取りの末、お友達が自分が当日利用予定の経路スクショを送ってきてくれた。それぞれの発着時間も載っている。

地下鉄利用の経路がしっかり共通なので一緒に行くには好都合、でもお友達が地下鉄に乗り換えるメイン駅は、恐ろしく人がいっぱいで、ホームでの待ち合わせは難しいから、乗り換え駅のホームで待ち合わせを勧めてみた。
乗り換え駅なので混むけれど、今日行った様子では、待っていられるスペースもホームにある感じだったからと。

無事、約束と当日の作戦も立てられ、当日着ていく予定の服の写真をお友達に送信もできた、と一安心

というところだが、息子は何度も、駅名や段取りなどを聞き返すので、私がメモを書いてやることにして落ち着いた。
スマホで経路が見れるはずなのだが、それもちゃんと見れるかが不安になるので、アナログが一番。
行き帰りの行動カンニングメモだ。

路線の色に合わせて駅名や路線名などもクーピーで色をつけてやった。

1ヶ所の乗り換えだけうまく行けば、なんてことはない簡単な経路、乗り換え駅でお友達とうまく出会えればそこからは安心して行動できるだろう。



当日

ハローワークでの失業認定を早々に済ませることができた私は地下鉄に乗り帰路へ。
最寄駅に着いて、駅員さんに乗り換え駅でスムーズに乗り換え口に着く車両を尋ねた。
そして、息子はもう少しで家を出る時間なのでLINEする。

ADHD傾向の長男、忘れ物ないようカバンの中身チェックを再度促し、このメッセージを見てるスマホもそのままカバンに入れるんだよ、と。

そう、息子はスマホをよく忘れる。
中学では持って行ってはいけない物だったが、高校では使うため必須、カバンに入れる習慣がない。
何度か学校に届けに行った。

「乗り換えに便利な車両を駅員さんに聞けた、前の方が便利だそうだから、このまま母は前の方の車両のホームのベンチで座って待ってるわ。
電車に乗るのを見送ってあげるよ。」

息子:「うぃ、出発する」

自転車で家を出て、有料の自転車置場に自転車を置くレクチャーもした。

そのうち、正解の行き先のホームに降りて来る息子。緊張感満載の顔。

「電車に乗ったらどこに居ればいい?」

2駅目がメイン駅で人の乗り降りや混み具合が激しい、入口付近に居ると迷惑で押しやられることもあるけど、乗り換え駅でスムーズに降りれるようにと考えると、入口ドアと椅子との隙間に一人だけはまれるスペースあるから、そこが空いてればそこ、空いてなければ、出入り口に出来るだけ近い椅子前の通路スペースとアドバイス

電車が着いて乗り込み、空いていた乗り換え駅降り口側のドア横、一人分のスペースにスポっとハマって、『ここでいいよね?』とアイコンタクトでホームの私を見る。

うんうんと頷いてやる。

ドアが閉まり出かけて行った。

私が帰宅してすぐ、LINEが入る。

お友達とスムーズに合流でき、乗り換え出来た車両でベンチに座り扇子であおぐ姿のオタク感満載なお友達の写真。

笑、笑

お初にお目にかかります、息子と仲良くしてくれてありがとう、どうぞ宜しく、な気持ちで眺め、LINE返信「お友達おもろいやんけ」

その後も数回写真を送ってくれ様子を知らせてくれた。


帰りは途中で、この電車でいいのか、LINEで随時報告が入ってきたが、無事途中の駅でお友達と別れ、やり遂げた良い顔で帰宅した。


そして、自分に記念品も買って来れた。

良くできました。

4月から初めてがいくつもいくつも出来てるよ、息子。

少しずつ、これまでの空白を埋めて行こう。少しずつ自分で立てる訓練をこなして行こう。

通学用リュックに戦利品を自分でつけてました。シャチ、「オルカだね」って息子に言ったら、何それ?って返された。世代やね。

失業中の母とティーンエイジャー最後の日の娘と立派な肩書きいっぱいの息子と。

長らく、ご無沙汰だった。

我が家の経済的危機は、借金という形での乗り切りとなった。

長女の学費不足分、長男の高校の学費、納入期限が迫る中、旦那からのLINE
「お金ないからもう親に貸してもらうしかない」

親?

1階の二人のこと?

私は姑に、旦那からは生活費ももらってなくて子供達のための費用も足りないこともぶちまけている。
それでも、「私もお金ないから、月末に残った小銭をコツコツ貯めて税金を何とか払ってる」と言って、自分達の分の食費や光熱費を払うわ、という話にはならなかった。
そんな親をあてにするの?
と絶望した。

でも、結局は、あったらしい、お金。

親に借りたと言ってお金をもらえ、学費の振込が間に合った。

あるんじゃん、お金。

まぁ、あるよね、きっと、何かのための貯金が。
孫には度々お祝いだ、なんだかんだとちょいちょいお金を渡してくれる姑。

その後、また姑とさしで内緒で話したが、もう去年の秋頃に「50万貸してくれ」と旦那に言われ、貸したらしい、年末に返してきたそうだが。

多分、劇団関係の費用だったんだろうな。


姑にも、私の正直なところを話した。

さすがに、もう今回は、どうにも、見捨てたいって。

子供達を傷つけたくないし、ローンを組んで建てたこの家を一緒にここまで守ってきたし、私が働かなければローン返済も不可能、頑張って完済して長男に家を渡してやりたいから、別れはしないけど、って。



私は、4月中の就職がかなわなかった!
面接まで2件進んだ。
1件は、採用、でも記載内容と面接時の話でちょっと食い違いもあり、すでにもう1件の面接が控えていたため、返事を少し待って欲しいとしたら、「じゃあ、この話は一旦なかったことに」となってしまった。
2件目の面接はとてもいい感じ。
場所も自転車で行ける距離でしかも自転車置場があるので、公共自転車置場で一日100円を払う必要もなし、長男が春から通う通信高校にむちゃくちゃ近い。
でも、条件がいいとライバルも多くなるよね。
私が応募した際には60代の方一人だけがライバルだったのでイケる!と思った。
私の面接後、面接官の方「いやー想像以上に多数の方が応募頂いて、これから週末までずっと面接が続くので、結果のご連絡が遅くなります、すみません」と。

面接官ではない、本社の採用担当の方から電話
「残念ながら、他の方に決まりましたので」と。

ここまで待って、応募から面接日までも待って、結果も待って………不採用

落ち込んだ、社会保険の継続は不可能となった

でもすぐまたその日にハローワークへ。

ハローワークの担当に励ましとともに、失業保険申請を勧めてもらった。

タイミーのバイトを入れて働いてたので、ダメかと思っていたが、週に20時間程度のバイトならいいらしい。
書類が揃ったので申請中です。


長女は明日、二十歳になります。
今日のこの十代最後の日も夜までスーパーのレジのバイトです。
明日の誕生日は、私と居酒屋へ行く予定。


長男は、この桜咲く日、通信高校の入学式に出席が出来ました。お友達も出来てます。
(イケメン長身でびっくり)
でも、誘ってもらった授業に行く予定の日、出かけられない日も続いています。

中学卒業前に、自ら、「前に行ってた病院にまた通いたい」と、(スクールカウンセラーさんに勧められたか、あるいは、卒業したらカウンセリングというアドバイスがなくなる不安からか)行き始めたメンタルクリニックで先日、待合室で待っている私を長男が呼びに来る。
「先生が、薬飲むかどうか聞きたいって」

??

本人もびっくり、『強迫性障害』との診断。


不登校児、LDディスクラシア、HSPADHD
にまた一つ増えました。

母、動揺し、空をあおいで涙する

今週のお題「卒業したいもの」

生活不安の波が大きく押し寄せている。

時折その波にのまれそうになり、家事や仕事、子供のことあれこれ、手に着かないことが度々ある。

夜も布団に入ってからあれこれ考えてしまい、なかなか眠れない。


これまで、私のパート代は食費や生活雑貨、医療費や子供たちの文具や着替えなど現金で支払うようなものですべて消え失せていた。

そんなことはもう長年のことで、旦那にも伝えているので十分過ぎるほど分かっているはずのこと。


昨年末、長年勤めたパート先を退職し、何とか自身の収入を上げたくて、正社員の仕事を得ようと頑張ってきたが、履歴書を送るだけでいつの間にかハローワークのマイページを確認すると「不採用」になっており落ち込む。
ウエブ面接で、是非ともと言ってくれた今月末までの派遣会社での仕事、平日9時5時フルタイムの間をぬって4月からの仕事の就活。
やっぱり面接にも進めない。
冷静に考えれば、還暦まで一年半の、正社員の経験ないオバサンを採用しようなんて会社、よっぽど人手に困っている介護関係か医療関係ぐらいだと思われる。
でも私には医療事務も介護保険関係もちんぷんかんぷんだし、資格も経験もない。

仕事をしながら、就活にも疲れてきた。
そして週末は子供の新学期や入学準備などで埋もれる上、日雇いのバイト、タイミーで何か今日出来そうな仕事はないかと探している。



不登校長男は、春から近くにある通信制高校に通う。
先日、入学説明会に2人でチャリで出かけ、履修選択や行事の選択(参加行事にもそれぞれ単位がある)をしたが、積極的に自分が参加出来そうなものを考えて選んでいた。
頑張ろうという気持ちが伝わってきた。


長女はもうとっくに春休みで、バイトもそんなにシフトが入ってないし、この時期でないともう通えないかもしれないからと車校に行く事になった。
車校代は自分で出す予定だったが、先月の学校の海外研修は任意の行事なので、割引はあるものの自費だ。子供の頃からお年玉など貯めていた貯金とこれまでのバイト代をはたいて参加したため、車校代はない。
この時期でないともう免許取得が難しくなるだろうと私も思ったので、私が唯一あるまとまったお金、数年前に満期になった農協の年金型定期預金、100万、それがこの数年で子供のための出費でどんどん減りに減り、残り40万円、そこから30万おろして、長女自身の2万2000円を合わせて、32万2000円を二人で、振込に行った。

午前中、長男の入学説明会、その午後、現金で振り込もうと出かけた銀行で10万以上はATMで振り込めない、一旦母の普通口座に入れ直して振込人の名前変更する、口座のないその銀行から近くのショッピングセンターのATMコーナーへ行くなど、もたついたが期限内振込で間に合った。
いや、振込案内をもらって帰ってきて2日後が振込期限はキツ過ぎる。
オートマ限定ではなくマニュアルを頑張りたいって本人の希望、少し高くなった車校代。
マニュアルにしたいと言ったのは自分だからと、端数の2万二千円は彼女の最後の残りの預金から。
入金できてホッとしている長女と、前々から気になっていたそのいつものショッピングセンターのお茶屋さんでひと息つくことにした。
お茶屋さんの、抹茶ミニソフト、長女はお煎茶と白玉ぜんざい。ここの支払いぐらいは、私がもちろん出す。

毎月、2万円ずつ私に返してくれる予定とのこと。ごめんね、ありがとう。

ホッとしている長女と、ニコニコしながらも内心はワタワタしている母。

午前中は長男の、午後は長女の

我が子二人の未来に向けての希望、頑張る気持ちに触れた。
涙が出そうだ。




旦那から「いついつに、いくら要る、という具体的な指示をくれ」と去年から言われていた。
だから、秋に長男の通信制高校の募集要項の学費案内の部分もコピーして、マーカーも引いて分かるようにし、年末近くにちょっと恥ずかしいなと思いつつ、わざわざ学校へ電話して学校指定のタブレットはいくらぐらいしそうで、いつ頃までに費用を用意しておけばよいものなのか問い合わせた。
まだ年が明けてから業者との打ち合わせなどが始まり、その後決定し、2月頃に案内できると思うがおおまかには昨年同様5万円程度で、学費が決定する入学説明会よりも先の支払い期限になるかもしれない、とのこと。
それを旦那にもすぐに伝えてあった。


少し前にそれがネットでの購入だったため、私のクレジットカードで払い、金額をLINEしておいた。
そして実物も届く。
確かに5万円代だったが、ADHDグレーゾーンの長男のこと、三年間保証付きのものにしたので、6万8000円。
私のゆうちょ口座にはもう生活費のための少額しかないため、カード分が引き落としになってマイナスになってしまう前にお金をください、とお願いした。

すると、しばらくして、ゆうちょの封筒がリビングテーブルに置いてある。

中身を見ると5万円。


????

あれ?

なんで?

6万8000円ってLINEしたよね?とスマホの履歴を確認する。

封筒に小さな字で何か書いてあることにしばらくして気がつく。

「今はこれで精一杯です」

冷や汗が出る



長女の春季、二年生半年前期分の学費振込用紙も届いていて、学費用の口座の残金では足りない。不足分の金額も伝えてある。

そして、長男は入学説明会で春からの履修選択をしてきたので、その単位数によって学費が決まるため、振込はこれから。大まかな目安は、渡した募集要項に書いてあるし伝わっているはず。


LINEした。

5万円が精一杯って………

「私の母の形見の指輪など売らないといけないような状況なら教えて」


旦那からの返信を仕事終わりに見る
「お金はもうありません。
申し訳ありません。
福祉はお金がありません。
貯金ができておらず、電気代、税金、学資ローン全て貯金を切り崩しています。」


動揺した。

真っ白

「え?どういうこと?
給料もらえてないの?
払えるよね?学費
Kは入学できるよね?」

するとまた返信がしばらくして入っていた。

「給料はもらってます
払います。
最終的にこちらがいくら払えばいいのか教えて」

こちらが?

は?

『こちらが』って何

こちらもあちらもないでしょ

返信する気にはなれなかった


さすがに、今回は真剣に見捨てたくなりました。

これまで、生活費も貰わず、何年も破れたままの下着を着て、やりくりを頑張り、死を口にするようになった不登校長男に寄り添い、長女の受験などワンオペ育児に奮闘しながら生活費も稼いできた、あなたの両親の食いぶちも。


どうしようもないこの感情を

誰かに相談することもできず、ぶちまけることもできず、涙が

うるうると、何度も

じわじわと何度も

子ども達に動揺している様を悟られないように

でも、ところ構わず不安と動揺と情けなさが押し寄せ涙が滲みそうなる

その日は、翌日も、どうしようもなく、仕方なく、Xにだけつぶやいた。



この家を見捨てて子ども二人と出る?


いや、できない、これ以上、子どもたちを父親を嫌いにさせたくない、落胆させたくない、長男はまた心が潰れるかも

長女はとっくに呆れて信頼感もなくしているが、高校三年生の夏、この短大希望、推薦で入学できる、奨学金制度、ローンは自分が就職してから払うものにした方がいいのか、親が払うローンにするのかの問いかけ。
旦那に短大の募集要項を見せ、学費面で気にしてもらう所に印をつけて机に置いておいた。「もしローンが組めないってなっても学費は払えそう?」とあとでLINEで聞いた。
「払えます、親が払うローンでいい」とのこと。

払えるほどの預金があるんだ、とホッとした。

でもすぐに長男が高校生になる、その時点で行くかどうかもあやしいほどの状態の息子だったが。
だから、預金で払えるとしても、一部は教育ローンにした方が安全だと考えて、無理のない2万円ほどずつで、私の定年までに完済できそうな額を設定して申し込むことにした。
旦那も了承した。
その後、長女に「もうお小遣いはあげられないからバイトして自分の必要なもの買うようにしてくれるなら、お父さんが払うローンで学費を払ってくれるって」

バイト頑張る、と、その時に少し長女の父親への信頼感は戻ったかに思えた。

それなのに、もう二年生になる学費が払えないかも、なんて知ったら、いや払えるのかもしれいけどお金ないです、って言ってくる父親と知ったら
取り返せない

長男も頼れない父を気にやんでいるが、自分が心配と苦労をかけていると思って高校生活を頑張ろうとしている。
父ちゃんも頑張ってるんだから、って。
タブレットも買ってもらった、って思っている。まさか全額払えません、って母の口座がマイナスになっているとは思ってもないだろう。
私のなけなしの40万は、長男が高校入学時のもしものお金として取っておきたいから、と旦那に以前伝えたが、この通信高校のためとかではない。
通信高校はちょっとした塾程度の費用だけど、もしかしたら、やっぱり普通の高校へ行く!行きたい!ってなったらその気持ちを妨げないように、そのために取っておきたかった。
父としては通信高校の費用で良かったと思っているのか、もし私立高校に行くってなったらどうするつもりだった?
何を考えて、この子どもにお金が
かかる時期に劇団を旗揚げした?


いつも、早目早目にことを済ませる母が、「学費振り込んだよー」って言わない!大丈夫かな?ってそろそろ不信に思うよ、長女。
振込用紙がとっくに届いているの知ってるもん。

お願いです。

お金をください。

学費分、何とかしてください。

誰か助けて~

こんな経済的不安から早く卒業させて

頑張っている子ども達を助けて。

母が、母が何とかしなくてはならないのか

何とかできるのか

卒業おめでとう、ありがとう息子よ

不登校長男、中学を本日卒業しました。

少し前に「卒業式、出ようかな~」
なんて言ったけど、今日の通常の卒業式抜けてには出られませんでした。

小5から不登校になり、週1ほどのペースで別室へ登校するようになり、小学校の卒業式は先生や友達の助けをかりて出席でき、楽しかった~との感想だったので、中学もあるかな?っと思っていましたが、プレッシャーをかけないよえに、「あ母さんは、どっちゃでもええよ~」と伝えていました。

中学では二年生から、通常教室に通えない子のための居場所、学年を越えて自由に過ごせる部屋ができ、そこに週1か 2日通うようになっていました。
さらに三年生になってからは、週3日行くような時もありました。

先生によると、後輩に慕われることもあり先輩らしい振る舞いができるようになったらしい。

ほんとに、あのスペースを作ってもらえて感謝しかない。

つい最近は、同級生の受験も終わり、また通信ゲームをいつものメンバーでやっているのをよく見かけるようになった。
だからまた少しずつ身近な子達とのつながりで、コミュニケーションを取ろうとしている息子がいた。

卒業式の練習の前に学年最後のレクリエーションがあるから、ちょっと来てみる?と先生に勧められ参加した。
最初は、いつもゲームしたりLINEしたりの小学校からの仲間二人だけが側に居ただけだったらしいのだけど、そのうち「K?Kなの?」
と同じ小学校からの子達数名に囲まれてしまったらしい。
先生が教えてくれた。
やはり、その日仕事から帰ると、長男はベッドで布団にくるまりスマホで動画を観て疲れた顔をしていた。
「疲れた!眠い。 いやもうちょっとあの人たちが気持ち悪い」
なんて言い出した。

そして、やっぱり卒業式は出れないとなった。

それでも、連日最後を惜しむようにあの別教室に通った。
昨日の最後も充実していたようで、そして「さみしいなあ~」と、ほんとにさみしそうに呟いていた。

その昨日朝、長男は卒業式には出ないつもりでいることと、午後2時に卒業証書を取りに行く約束をしてきたと聞きましたと言う報告も兼ねて、担任との連絡用にしていたノートに、学校や先生方への感謝の気持ちをしたため、朝の出勤時、いつものように中学の門の前を自転車で通り、校門前でいつものように朝の出迎え挨拶声かけ中の先生方の一人に、担任先生に渡してもらうようお願いしておいた。

ほんとに、学校内に居場所を作ってくれ、無理なく通わせてくれたことに感謝しかない。


そして、出かけるほんの少し前、小学校からの仲間の一人、転校してきた父子家庭の子、悲しいことがあってうちの小学校に来て、うちの息子に救われたって当時の先生が教えてくれ、すごく元気になった親友が電話のあとに家に訪ねてきた。
ほんの5分ほどの庭での会話。
息子は前々から知っていたそうだけど、なんともう今日の夜に引っ越しだそう。
同じ町内、ブロック2つほどの距離の賃貸に父子で住んでいた親友となったその子は県内だけど電車で片道1時間ほどの市へ行ってしまうそう。
小学生ですでに160センチ越えのその子はうちの最小長男と居ると親子のようでした。
学校もそちら方面の高校受験をしたのかもです。
泣くこともなく、意外とサバサバして戻った息子。
「なんかあんまり実感ないから」

そうね、また通信でゲームできるしね。

近況報告またできるね。



そして
卒業証書を取りに行くだけのつもりで一緒に学校へ。


それが、校長先生はじめ、担任先生も数名の先生もうやうやしく、なんだか様子が。


荷物を置いて、担任と副担の後ろに親子で並び、校長室へ。

数席並べてある椅子に、スクールカウンセラーさんや別教室を立ち上げてくださった長女も知ってる一年生からの学年主任の先生やら、その中へ進む。
先頭の席に親子座り、教務の先生の司会で長男だけの卒業式が始まりました。

校長先生の祝辞や卒業証書授与、学年主任先生の暖かい言葉、先生全員で合唱してくれた校歌、司会の女性教務先生は涙でグシュグシュになりながら一生懸命話してくれました。
母も涙が止まらない。
そして、息子自身にも何か一言お願い、って教務の先生。
ちゃんと言えました。
「ご迷惑ばかりかけてすみませんでした。三年間大変お世話になりました」

頭を下げまくって出た校長室から、荷物を置いていた部屋で担任のお二人からも贈る言葉をしっかりいただきました。
担任の男性先生はお子さん2人とも低体重児で生まれ、無事に今は元気に育っているとのことから、生まれて、ここまで育って生きているってことだけで奇跡なんだよ、感謝だよ、よくここまで育って先生と過ごしてくれて、ありがとう、と。

学校の出口、先生方数名でアーチを作ってくださり親子でくぐる。
卒業式の看板前で、親子で、担任と、主任先生と、写真を取りまくり、同じ2人の子供の母である主任先生に母はハグされて、お互いを励まし合い、さようならーと。
「また明日朝、前通るんですけどね」
と笑いながら、学校をあとにしました。

帰り道、長男「俺もうるうるでこぼれそうでヤバかった」と。

2人で感謝だね、頑張ろうね、と話しながら帰宅しました。

そう、平日の貴重な午前中、長女の学費納入も危ういかもしれない危機感があり、なけなしの自身のわずかな貯蓄、平日の3時まででしか下ろせない農協へおろしに出かけ、息子の卒業の日にお金の工面をどうしようか思い悩む自分が嫌で沈んでたんですよ、実は。
母の形見のダイヤの指輪も持ってでましたが、近くの買取りショップは定休日で今日は現金を学費用の口座へ入れるだけにしました。
もちろん、子供たちには察せられないように振る舞ってましたが。



特別なソロ卒業式

母、いや、親子共々、大きな元気をいただきました。

ありがとうございました。

長女 無事イギリスより帰宅


長女、長男、コロナになり、派遣先の仕事をやむなく4日休んだ。

長男は可哀想に2回目、初回よりも軽くはあったが高熱は出た。
でも、自室にこもり慣れたもんで、トイレから出るときアルコールティッシュであちこち拭き拭き、無言で部屋に戻る。

長女はしんどそうだったが、2日後には平熱、元気、私もホッとして仕事に復帰。


やれやれ、っと思ったのもつかの間

仕事の昼ごはん休憩中に長女のLINE

「またヘルペス出来ちゃった~、塗り薬もうなかったっけ?どっかにある?」

仕事終わり、ちょうど向かいに大きなドラッグストア、表にはデカデカと『処方箋受付』

よし、薬剤師さんの居る薬局だから、口唇ヘルペスの塗り薬を売ってもらえる!

急ぎ帰宅、ヘルペスだけでなく、微熱を出しており鼻水が半端なく出る!っと咳も頻繁で調子の悪そうな長女。

えー!

まさか、今度はインフルエンザ?
だったらイギリスにはいけなくなる。

ドキドキでまたクリニックへ。


インフルエンザは陰性


親子二人の大げさな安堵の声にかかりつけ医の先生
「どした?何かあるの?」

日曜日、学校の海外研修でロンドンへ行く予定です。

「薬飲んで熱下がれば、行っちゃえばいいよ」と先生。

アレルギーもあるし、コロナで抵抗力下がってたし、風邪ひいたらしい。

ヘルペスの薬やら、鼻水、咳、解熱剤、色々もらった。

咳、鼻水ひどく、ちょうど生理も来て生理痛も。
ほんと当日まで行けるのか、ダメなのかハラハラ。

日曜日当日、ようやく荷造りできて夕方長男が荷物運びとして付き添い、車で最寄りの駅まで送る。

スーツケースを車から下ろし、運び、長女と一緒に改札口へ上がるエレベーターに乗る長男が頼もしい。

ほどなく、ロータリーに停車して待っている私の所に長男が戻ってくる。
「お姉ちゃん、ちゃんとカードにお金チャージして改札入ってったよ」


連日、写真をLINEで送ってきてくれていた長女。
咳はまだひどいけど元気、と。

長男と二人で夕飯を食べる頃に、ロンドンの長女は朝食のメニューの報告。

ほんとにハラハラしたけど、行けて良かった~

向こうも2日ほど雨だったらしく、
特に、ストーンヘンジでは、雨と暴風、寒さがヤバかったらしい。

昨日の夜遅く、また最寄り駅まで車でお迎え。

とっくにいつもなら就寝している長男、起きていて、「また荷物、俺が運ばないと大変だろ」
そう、あなたは貴重な我が家の男手。
まぁ、大丈夫ではあるけど、でもとても助かります。
一緒に車でお迎え。
ロータリーに着くとすぐエレベーター窓に長女のスーツケースらしいミントグリーンがチラッと見える。
ぴったりタイミング。
すぐさま、車を下りて荷物を受け取りに駆けて行く長男。

良かった、良かった、元気そうにお姉ちゃんが帰ってきて良かったね、息子よ。

これまでの人生で避けてきた道にヒョイっと降ろされた…出口は遠い。

1月半ば、派遣の仕事が始まった。

昨年、この歳で就活、正社員を諦めかけ、エイッと応募した高時給のパート。
派遣の仕事だった。

事務の仕事、中心街の高層ビルの中、広々としたキレイなオフィスで働いている。

社員応募に不採用が続いて萎えていた時、高時給につられて応募ボタンポチッ、ウエブ面接を受け、すぐに「是非ともお願いしたい」と折り返しの電話があり、「経理関係はほとんどやった事がないので」と面接時にも伝えたが、大丈夫、難しくはないので、と採用。

経理関係の書類が大量に届くので書類が全部揃っているかチェックする仕事で、ずっと電卓をポチポチして計算するような仕事ではないので大丈夫ですよ」と面接官に言われたのだ。


でも、でも………

毎日、毎日、電卓でポチポチしてる!

とんでもなくポチポチしてる。

何ならポチポチのし過ぎでテニス肘が再発しそうに腕が痛い。

そして、老眼がひどいのに、超細かい数字を見て計算しているため、目の疲れが半端ない。
かすみ目がひどい。

もちろん、書類が揃っているかチェックする仕事ではあるが、その書類の計算も合っているかのチェックもだ。



私は数字と計算が大の苦手。

それは過去の記事でも何度か話しています。

毎年やってくる旦那の確定申告を私がずっとやっていて、それがずっと苦痛だと話していた。

簡単なものでも避けて通りたい。

数々のバイト経験はあるが、お金を扱うもの、計算が伴うものはずーっと避けて通ってきた。

なんてこと!ここに来て苦手の王道を歩いている。

そして、いちいちIDカードでピッとしないとドアが開かないようなオフィスでの勤務、デニムやカーゴパンツにスニーカーでずっと仕事をしてきた私がオフィスカジュアルを頑張って着て、通っている。
何台もある高速エレベーターは朝は人が並ぶので順番待ちで遅刻しないよう、かなり気も使う。

書類不足や間違いがあった所に、電話をかけ、内容説明や修正して再提出のお願いをするのだけれど、電話をかけることに抵抗はなく、サクサク会話して終わりにする。でも、デスクに電話機がないので、他の社員さんの間に入り「ちょっとお電話お借りします」としなくてはならないのが難点。
もう一人の同じ派遣の方、かなり電話が苦手な様子で、ご自分でも派遣元の担当者に「電話はどうも、どんな人が出るのかドキドキしてしまって緊張します」と言っていたので、「電話は平気なので、良かったら代わりに電話しますよ、但し、どこがどのようなに間違ってるのか私で説明できるケースであれば、ですが」と伝えておいた。
あちらは電話が苦手。
私は計算が苦手。
お互いがカバーできればなと思いました。


苦手だからと言ってもいられないし、期限のあるものだからと頑張っており、ようやく、自分の中で段取りのようなものが出来上がってきたこの頃。


やむを得ず、今、おやすみ中。
何てこと。
うまくいかない。

土曜日深夜、長女が高熱。
日曜日朝、「喉が痛い」と長男が起きてくる。
そして昼頃。長男も高熱。
二人とも咳がないので、てっきり学校で流行中のインフルエンザか!と思ってたら、月曜日、かかりつけ医で「コロナの反応出てるね」
日曜日わざわざ、薬剤師さんの居るドラッグストアへ行って検査薬を二人分買い、丁寧に検査をして陰性だったから!インフルエンザだと思ってたのに!

コロナだった!

長男は2回目だよ、可哀想に。

そして、長男は中学生なので医療費は市が負担してくれるのだが、長女は大人と一緒。
先生が説明してくれる。
「ちょっと前までは無料だったんだけど、今、国が負担する事をやめたからコロナの薬が高額で、9000円するけど飲む? 飲まなくても治っていくだろうけど、時間もかかるし、ずるずると長く症状を引きずってしまうこともある、どうする?」
長女は値段を聞いて目を丸くし「できれば飲みたくない、今月の研修のロンドンへ行ければ何でもいい我慢できる」と言う。

私も値段にびっくりしたが、ずるずると症状を引きずって、学校生活に影響が出るようでは困るので、と長女の薬もお願いした。


濃厚接触者という概念はなくなったので、自分に症状がなければ出勤しても基本的にはいいのだけれど、そうもいかない。
結局、金曜日に出勤することでお願いした。


長女は昨日すでに平熱だったが、長男は今朝までまだ熱、ようやく夕方平熱。
でも二人とも喉がひどく痛いため、通常の食事が出来ず、麺類やお粥、雑炊などが中心。
私自身に症状が出ないこと、懇願している。
ドキドキしている。
寒さが少し緩み、梅の花が咲いた。
花粉の季節もやってくる。


頑張りたくても頑張れない状況がもどかしい。