YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

御殿の組み立てがある雛人形は大変で長続きしません。

今週のお題「雛祭り」
いつも節分が終わるとお雛様を出す、ってタイミングで、いつもは旦那がやってくれることが多い。去年も長女の受験や学校対応でバタバタだった私は、買い物ついでに雛あられなど買って飾られた雛人形に御供えする程度だった気がします。
今年は、旦那がちょっと前までまた忙しさと闇落ちしていたため(現在は大分よくなってきています)、節分もお印程度で終わったし、その後すっかり忘れていて、スーパーで雛あられを見て思い出しました。ちょうど、あっ出さなきゃと思った休日が「建国記念日」大安吉日、私が今年は飾りました。

以前にひな人形自体は写真をアップした気がするので、(もうすぐブログ2年継続で記事が250もあって何を書いたかどんな写真を掲載したか、おばさんの記憶はあやふや)今年は、家のどこに、いつも飾るのか分かるような写真で。
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私達家族4人の生活スペースである2階から階段を下りてくると、一階廊下の棚、目の前に見えます。
一階廊下の壁は棚になっていて、家族全員のタオル、バスタオルなどがカゴに入っています。
その上に見ての通り、賞状や免状の額、旅の思い出の品などが飾ってあり、ひな人形や五月人形、クリスマスの飾りなどが出る場合は、賞状の額をずらしてスペースを作ります。


五月人形も同じように手軽に出せる木目込み人形タイプです。雛人形は亡き私の父親が買ってくれたもので、長男の時はもう父親はあの世だったので、同じ店で、同じように小スペースで簡単に出せるものを買い揃えました。


私の雛人形は、昔ながらのフル装備で飾るスペースはいっぱいいるし、ひな段を組むだけでなく、最上段は金屏風ではないんです!
何と、木組みの御殿を組み立てないとならない😅
毎年、母と2人で出すのに一苦労、そのうちもうしんどくて出さなくなりました。実家にいくつもの箱に入ったまま置きっぱなしです。

そのすごい豪華雛人形は、母親の父、すなわち私の母方の爺ちゃんが私に買ってくれた物です。私は初孫でもないのですが、建設業の親方で『頑固じしい』を絵に描いたような人で、他の孫をあやしたり、抱っこしたりしなかったらしいおじいちゃん。
外孫で初の女の子の私を、唯一溺愛していたらしいです。
雛人形も、嫌がる母親の反対を押し切って店で一番高いやつを買ったらしい。
小さい頃に亡くなったのでうっすらとしか覚えていませんが、可愛がって頂き感謝。
でもあの大変な雛人形と、でかくて不気味な市松人形、きらいだった。申し訳ない。


その経験あっての、娘の簡単に出せる可愛い雛人形


娘の雛人形も可愛いですが、我が家の仲良し姉弟もかわいいお内裏様とお雛様ですよ。

長女は学年末テストがすべて終了、弟に「ちいー、何かゲームやろうよ~」※(ちいー、とはチビの呼び名が進化した呼び方です)
嬉しい長男。
2人で相談しながら、あれこれ突っ込み入れながら、色んなゲームの体験版をやっています。
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小6弟とJK姉、まだまだ仲良く遊べるようです。平和なワンシーン。健やかな成長あれ。

レーズンパンフリスビーの達人

今週のお題「告白します」実は、昔々、小学生の頃、自室の窓から給食のレーズンパンを投げて捨てていました。

パンは今も昔も大好きですが、レーズンが大の苦手、しかも昔の給食のレーズンパンってレーズンがジュルン、ブヨンとしててさらに不味い。地域差があるとは思いますが。
パンは好きなのにレーズンパンの日は超ガックリでした。

食べ物を捨てるなんて罰当たりなことですが、昔って給食は残さず全部食べなさい、って指導で全部食べるまで掃除の時間まで食べさせられてましたよね。アラフィフの田舎育ちの方なら、この苦労、分かち合えるかもしれません。


私は食べるのが遅くて、掃除の時間まで食い込むことが多々。好き嫌いも多い方だったと思いますが、小学生の途中までいわゆる『受け口』(噛み合わせが上下逆)で、噛みことに時間がかかったからだと思います。

その上、レーズンパンだと食べれなくて、机の引き出しにトースト型のレーズンパンを隠すようになりました。

こういう人、けっこういないですか?

学校の引き出しからカビだらけの食パンが出てきたって話よく聞きました。


給食ナプキンは毎日持って行く学校習慣だったので、私は一旦机に隠したパンを、あとで給食ナプキンにこっそり包みランドセルに突っ込みます。
たまにレーズンパンだけでなく、食べきれなさそうだと思うと普通のパンも入れることもありました。
ランドセルに突っ込んだパン、家に帰っても食べられないし、残してきたのがバレると母親に怒られる。ゴミ箱に捨ててあってもバレる。

幸い、ど田舎。私の家は隣接した家はなく、周りは林か畑か田んぼ、しかも2階の私の部屋の窓の向こう、庭を越え、畦道の向こうは草ボーボーでめったに手入れもない空き地が広がっている。

夜の闇が来てから、ランドセルからパンを取り出し窓全開にして、フリスビーの要領で草むらに投げ捨てる。草ボーボーなので全くパンなんて見えなくなります。
たまには畦道に落ちたり、方向がビミョーにずれて畑に落ちパンが丸見えの時も。

でも焦らな~い❗️

ど田舎ですから。

夜になったら、動物ぐらいしか通りません。私の実家、突き当たりの家ですから、道の先は川です。街灯もなく真っ暗です。懐中電灯がないと歩けません。基本夜は誰も通りません。

翌朝、学校行く前に、しれっと拾って草むらにポイっでオッケーです。

休みの日でも大丈夫、寝坊しなければ。
普段から朝起きるのは母よりわたしが先なので。

何年も続いた捨てられたたくさんのパン、草の肥料になっていたか、カラスや他の鳥、虫の、あるいは動物のエサになっていたことでしょう。


でもたまにランドセルのパン忘れて入ったままになってたこともあった気がします。机の中のカビたパンじゃなく、ぐしゃぐしゃのランドセルのパン。あ、机の中に忘れたパンもあったかもしれない。遠~い記憶。
私のランドセルの中、パンの臭いがしたと思います。なんなら、教科書もパンの臭いがしたかも。いや、きっとしてたな。


今は食べられるだけで、多かったら戻しなさいって無理強いしない給食指導ですよね。だから、机の中のカビパンもランドセルのグシャパンもあり得ないと思いますが。


ちなみに、受け口は歯医者で矯正してません。当時の掛かり付け歯医者さんが、「このアゴの状態なら子供だし、テレビ観ながらずっと割りばし噛んでなさい、そしたらいつかスポッと上がはまるわ」そんな風に言われ、母親に割ってない割り箸を渡され、本当にテレビ観ながらクイクイ、ある日突然、普通の噛み合わせになりました。


パンの臭いは、今も昔も、切っても切れない縁。
本日、休日のお昼用、黒ゴマ入りチーズポンデケージョ。切り餅の残り物で簡単に美味しく出来ました♥️一口食べた長女の目がキラッ✨と、まぁるくなりましたよ。笑顔ゲット。
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不登校HSC長男の様子がちょっと変だった話しをこの前しました。
y-k-akado0725.hatenablog.jp

涙を流し、「告白されました」
学校が怖い理由。
ようやく、吐き出してくれた。
教務のT先生が苦手で、最近のある日、傷つくことを言われてしまったようです。
教務なので、担任以外でうちの子の対応をしてくださるのがT先生、去年うちの学校に赴任した新しい先生です。いつもの中学のスクールカウンセラーさんとスケジュール調整など繋げてくださるのもT先生、給食登校時は授業中のため、担任を持たない先生が玄関で出迎え給食食べる部屋まで連れて行ってくださるのですが、ほぼほぼT先生。
新しい先生で初めて会った私の印象は
「え?せ、先生?教務って今おっしゃった気がしたけど先生なんだ。事務員の方かと思ちゃった」

悪い先生ではないんですが、とても事務的な印象でして、なんと表現すればよいか。暖かさが伝わらない?

新しい先生なのでまだ長男と信頼関係ができていない上、ちょっと苦手なタイプです。実は私も。
学校に送って行く時は、怖さが襲って来ないよう、道々たわいもない話をしながら歩いて行きます。さっき観ていた動画や映画の話しや、気が紛れるような話をするようにしていますが、玄関で靴を履き替えながらも話しが続いてしまっていた時があり、学校に着いてT先生が迎え出て下さった時「先生今忙しいんだ、早くして」と角から呼び込まれ、急かされてしまったことがありました。
「あ、すみません、宜しくお願いします」
と私も忙しいのに申し訳ない気持ちとちょっと苦手だなという気持ちと同居していたことがあります。
もちろん、こんな言葉誰だって言います。担任先生だって前の教務の先生だって忙しいタイミングで来てしまったことも多々。ニュアンスというか、言い方が他の先生と違う、めんどくさい気持ちが見えてしまう言い方というか。
うちの長男は敏感です。HSC、他人の気持ちを読みます。すぐ伝わります。
傷つくことを言われたって言いましたが、何を言われたかは絶対に私にも言わないそうです。
ただ、給食登校に行って玄関から職員室前の長い廊下をT先生と歩く気まずい空気が怖い、会議室で同級生が給食を持ってきてくれるまでの時間が何時間にも思えて怖いそうです。
私に言うと担任先生に絶対言う、担任先生に言ったらT先生に伝わって、T先生が落ち込むじゃないか、可哀想じゃないか、と言うんです。先の先を想像し、一人苦しんでおりました。


本人が落ち着いてから、提案し担任先生にお願いしてきました。みんなとの給食は楽しいけど、学校が怖くなってしまい、玄関から会議室の道と皆が来るまでの時間が辛いので、母が部屋まで送ってみんなが来てくれるまで一緒に居ることに。
最初は「六年生にもなってずっと母に付いてきて貰うなんて恥ずかしいだろう」と変なプライドがありましたが、あと数回しかない給食、楽しい時間なら、そこへの道のりが怖くて行けないよりはよっぽど良いと思うよ、と。
担任先生も賛成でした。ありがたい。


おやつに長男の好きなチョコクッキー手作り。
今日は、チョコチップ入りチョコメロンパン風クッキー。もうちょっと丁寧に丸めたら、もっと良い出来でしたね。
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絶妙な塩梅ってかなり難易度高い

お題「#この1年の変化」去年の今ごろは、長女の受験、滑り止めの私立の合格、そのうちの一校に入学金を振り込み、ちょっとホッとしたところか、本命の県立高校受験に向け、母としては、何も出来ないが、リラックスと体調管理に気を遣っていた頃だろう。


長女の時と同様、一年後輩達もコロナ禍、緊急事態宣言中の下、受験に出掛け、卒業式が出きるのかどうか不安な日々を過ごしているだろう。


希望校に合格、不合格は別で、受験を乗り切った後の、うわ~っ終わった~と発散で遊びに出かける、卒業旅行で新しい生活に向けての希望とスタートさせる鋭気を養う、そんなこともできない状況に本人だけじゃなく、家族も苛立ちを覚えた。
今年もまた変わらないのかと思うと、残念でならない。
今年は、不登校HSC長男が小学校を卒業する。


六年生になっても不登校で引きこもりは変わらないのかもなぁ~と思ったり、いや担任によっては少し登校出来るのかも、と期待してみたり、気分は日々大きな波、上がり下がりしていた、何がしてやれるか、何をしない方がいいのか、思い悩んでいた去年のこの時期。


今年もコロナ禍で思うようにならないことが変わらない中、自分はどう変わったのか。


頑張り過ぎないようになった。少しだけ。


剣道場で二度も救急車のお世話になった私、師匠に言われた言葉「頑張り過ぎるな❗️」

そう、頑張り過ぎて迷惑をかける。だけど頑張り過ぎている意識が全くないから厄介だ。
長男が不登校生活になりHSCだと分かり、私の頑張りは彼の負担になっているのだと思えた。
子供には、言葉よりも、頑張って努力している親の背中を見せてやればいいのだと思っていた。
違う。
昭和の親父かよ、私。
もちろん、それも必要で一つの手段。
でも、それだけではダメだ。

敏感君は、『お母ぁがこんなに頑張っているのに、自分も頑張らなきゃ、しっかりしなきゃ、頑張ってるけどできない、俺はしっかりしてない、ダメなヤツ、役立たず』彼にはそんなふうに重くのしかかっていた。きっと。多分。
学校でもダメなヤツ、下手くそと女子に言われたのが原因の一つだから、余計にだろう。


情けないことに、自分では頑張り過ぎていることが分からないから、あえて『サボる』という意識をするようになった。
剣道も稽古中止が約半年、始まってからも『サボる』ことにした。
皆の稽古がスムーズに、ママ達の負担を少しでも減らすよう、役員の仕事、雑務だけはしっかりやって、自分の稽古はお預けにすることにした。

忙しく働いた仕事帰りに家族6人分の食材をスーパーで買って帰宅、4時半、息つくまもなく洗濯物を取り込み、夕飯を作り、稽古の準備をして5時半過ぎに防具担いで剣道場に行って稽古。8時前には帰って、順番に風呂、自分と息子で夕飯、片付けと明日の準備、……無理があった。

元々は仕事を引退した義母と週3と4で夕飯当番の約束をしたので、息子が剣道を始めた時に一緒にできると復帰した。でも、義母はすぐ掃除のパートを少し始めると言い、剣道の曜日以外なら構わないとお願いしたが、人がいないから頼まれたと簡単に私との約束はすぐなくなった。剣道の曜日も含め週5が私、義母は2日だけ。
コロナでパートの出勤が減り暇になっても変わってはくれないし、長男も不登校になって剣道も辞めてしまって私だけ。無理がたたって過労でひどい目眩で立てなくなり救急車の世話、そのまま入院してからは、かなり反省した。
気持ちと時間と体力に余裕がなければ稽古に出かけない、というか実際時間までに出かけられない。だから、自分の稽古はサボっている。

時々、遅れても稽古場に行って、初心者やちびちゃん達のお相手が少し出来れば良いなと、それで当分はヨシとしようって思うようになった。
また自分の子供達の手がまったく離れてから、自分の稽古が出来れば良いな、焦ることない、と思えるようになった。




今、私の長男への期待、長男本人の目標は卒業式に出席すること。


そこまで、ゆるゆる行くしかないなと思うように。
最後だからと今月の校外学習に行くと言った息子は、当日の朝、起きてからずっと、大きな深呼吸ばかりして、朝ランニングにも行ったけど、ご飯食べても、「はぁー」大きな深呼吸。
怖くて、震えて、涙が出てきて、出掛けられなかった。
がっかりはしたけど、先生や、同じ班になってくれた仲良し君達に申し訳ないな、と思いましたけど、仕方なし。
長男よ、行こうって思っただけで、努力が見える。


五年生から続いた週一回のスクールカウンセラーさんとの面談と、去年から給食登校、行けたり行けなかったり、何故こんな少しのことが耐えられないのかと、よくイライラして、息子と一緒に落ち込んだ。
そこに、旦那の鬱が入ってくるともう叫びたい気持ちでいっぱいだった。
「うちの男どもはどこまでメンタル弱いんじゃー、ふざけるなー」ってね。
そんなこと叫んでも無意味だけど。


家族のメンタル不調は私のせいかも、私が悪いのか、と思い、落ち込んだ時もあった。だからって頑張らなきゃってまたやり過ぎると、自分にも周りにも良くないと思えるようになったから。まだまだ、うまくサボれないけど。


うまくサボらせる、ことも難しいな。

生活態度に注意も必要なこともある、言いすぎると今度は「ダメなヤツなんだ」ってなるのが長男と旦那。
どこまで、許してやればよいのか、ただの甘やかしでは本当にダメなヤツになってしまいそうで、怖い。

バランスが難しい。

料理ってプロもそうだろうけど、家庭料理も経験値が必要。調味料も目分量で美味しく作れるのって年季がいる。
分からなければ本やサイトで見て、分量を計ればいいのだけれど、それが好みの味かどうか、自分に合っているのかは作ってみて、何度か作って自分の好みに合わせていくことも必要かな。それに似ていて、HSC不登校児対策も鬱病対応も、そして悩めるJKのメンタルケアも経験値がこの一年で上がった。


まだまだ、子供達の態度や行動に一喜一憂。サボることの修行が足りん❗️って感じ。


努力する、頑張る、自分に厳しく、だけが人間形成の道じゃない。


努力することと、サボることの絶妙な塩梅(あんばい)の人生達人、ほど遠いが目指そう。これも「心身を錬磨して旺盛なる気力を養う」「自己の修養に努める」に通じていると思えるようになった。
(一部、剣道の理念と剣道修錬の心構えより)


毎年来る計算地獄。数字と計算大嫌いの私。去年モンモンとしている様を書いたが、今年はかなり楽、なのだが、別の意味でやる気が失せて、途中やりでサボっている。確定申告の期限も延びたし。
コロナで旦那の仕事が減ったが、「こんなにもないのか❗️去年とこんなに違うのか、収入ないのに経費はこんなにあるじゃん、鬱病で障害申請したから講師の仕事してたけどギャラなし?あれって出演料こんだけの仕事だったの?持ち出しじゃないか😢」
等々、旦那に突っ込み入れたいのをグッと我満、落ち込む要素満載のため、一旦、気力を養う。

美味しいもの食べた時の長女の笑顔は最強だ。
何か食べたい物を聞いたら、「ケンタッキーのホットビスケットが食べたい」ケンタッキーはそんなに近くに店舗がない。
「ネットで見たらホットビスケットって作れそう」と。なら作ってみるよ、学年末テスト勉強中の長女に笑顔を貰おう。
家にある材料で簡単に出来た。
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ケンタッキーのよりちょっと甘味が足りない感じで不格好だったけど、焼き立てを食べてご満悦。
そうそう、この一年、手作りおやつや新しいメニューに挑戦することが増えたのも一つの変化です。

満開近い梅が凍えていました。

また寒くなりました。
めったに雪が積もらないこの地域で、昨日少し積もりました。

朝焼けとうっすら雪。
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ここのところ不登校長男は六時半頃目覚まし時計セットして、朝ランニングをしに近くのグランドへ行って7時頃に帰って来るってことを自らの考えで実行していた。
が、雨の日に走りに行けず途絶え、急に寒さのぶり返し、心折れている。


代わりに今日はベランダの雪で遊んでいる。
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雪玉を窓に向かって投げつけたり、庭に落としてみたり、「雪だるま、つくろ~」と例の歌を口ずさみながら。
家の前の道、数メートル先では長男が本来なら班長の登校班の子達が寒そうにして集合している。

ゴメンね~、頑張ってるね、みんな、偉いね。

うちの子もこんなんだけど、頑張ってるんだよ、これでも。心ボキボキに複雑骨折が、元通りにはならないけど、何とか形にはなって、でもあちこちすぐポキッ、ひっついてないんだー😅

最近、ちょっと、また学校が怖いとなって、心の中で何かと戦ってる感じ、様子が少し変。
中身、凍えてます。何だろうな。


この雪遊びでちょっと発散出来たらいいな。


元気になってよー❗️


母ちゃんはずっと側で待ってるよ。
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只今絶賛手作り中バレンタインデースイーツ

今週のお題「チョコレート」
日曜日で、緊急事態宣言中となれば、作るでしょう。
いつもバレンタインデーチョコは、長女が作る(長男もいつも手伝って自分の分をもらっている)が、大事な学年末テストが始まるテスト週間前のため、テストが終わってから作って配るそうだ。
それを聞いた不登校長男、代わりに今日はオラがお姉ちゃんに作るぞ、と。
『ちょっとそれは……ホワイトデーでいいのでは?主旨が違って来てるような』と思ったが、やる気は削がないように。

いつも溶かして飾るだけのチョコ、長女は前に私が作って気に入ったらしく、今年はテストが終わってからチョコチップ入りチョコスコーンを作って配ることにするそうです。


手作りチョコは長女から来るので、私はいつもちょっとしたチョコを買って来る。でも長男は美味しそうなアソート、トリュフチョコレートなどあまり好きじゃなく、長女の手作りチョコが好きでそっちはあっと言う間に食べてしまう。私とお婆ちゃんが買ってきたのは、ずっと残っている。甘いチョコやホワイトチョコ、キャラメル味など余分な味が嫌い。苦め、ビターなチョコが好き。それは長女も同じなので、溶かすだけでもブレンドして好みの味にしているから好きなのだろう。


本日、長男はいつものように、溶かすだけだがカカオ70のチョコも買って、味を見ながらビターに仕上げていた。
飾りはむちゃくちゃ適当だったけど。



長男は、明治のブラック板チョコが好き。
食べない高級感あるチョコを買っても仕方ないと思い、明治ブラックをスーパーで箱買いした。
板チョコ十枚入っている。
今朝、父用のシャアのかっこいい缶入りチョコとともに、こっそりラッピングした。
喜んでくれるかなぁ。


私は今年、長女が好きそうなスイーツを作ることにした。(好みが同じなので私も大好きそうですが)


長男がよく手伝ってくれました。
レモン果汁たっぷり『レモンクッキー』とホワイトチョコを溶かし入れた『抹茶レアチーズケーキ』
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おやつに三人で食べれるように、と。
(旦那は打ち合わせが入っているので夕方ですが買ったチョコは渡しました)

おやつの時間でーす。

長男の溶かして垂らして飾って固めたチョコ。
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苦味ばしった良い感じでした。
長女もニコニコして食べる。長男と二人で、いくつ食べたんた?無くなるぞ、もう。

レモンクッキー
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さっぱりして、美味しく、長女の手が止まりません。

抹茶レアチーズケーキ
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ちょっと失敗。
土台のビスケットが固まらなくてポロポロ。
もっとぎゅうぎゅうに押しつけないとダメだったな。
でも、うまーい。おいしい♥️もっと仕上げの抹茶振っても良かったな。
長女も「ン~~ッ♥️うっま❗️」ご満悦。


目をキラキラさせて喜んでくれた長男へのバレンタインチョコ。
「え~高かっただろ?」
「いえ、いつものチョコ買うぐらいで同じです。」
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長女は「目の前にあると食べちゃう」と、手が止まらず、おやつでお腹いっぱいになってしまいました。

晩御飯は野菜中心で控え目にしよう。

母もね。

美味しいもの作って食べて、コロナ禍で、また明日から、多忙極まりない仕事、雰囲気悪い女子クラスの高校生活、そして寂しさと戦う不登校生活、乗り切るぞー。

どんなバイトした?バイト歴多数あり、書き残してみる②

初めてのバイトは確か近所のケーキ店兼喫茶店
はっきり覚えていないが、まだ現役だったかと思う。校則厳しい県立高校だったが、確かご近所の知り合いの親戚?かな?近所に店を出して、オープンしてしばらくの、冬休みか春休みかの短期でお手伝い、学校には内緒、確か母からバイトはどうか?近所、徒歩3分、だからバレないだろうし、とおすすめされたような気がします。
母が知り合いにお願いされたのかもしれません。実は、喫茶店の経験があるから。

バイトじゃない、まぁ、お小遣い程度の御礼はもらってました。母の実の姉から。私からしたら叔母ですね。
母の姉はシングルマザーで息子二人を喫茶店をやって、生計を立て、育て上げました。私が物心ついた時はもう喫茶店のおばさんでした。子供の頃は近くに住んでいて、従兄弟二人によく遊んでもらったり面倒みてもらったり、剣道をやりたいと思ったのも、下の従兄弟の兄ちゃんの影響です。
母の母親は、母が中学生の時に亡くなっているので、姉と妹、母の三人姉妹はお互いに助け合いながらの子育てでした。小さな喫茶店ですが、場所が、けっこう由縁有名な参道と最寄り駅の近く、お正月は参拝客で混雑するため、うちが父の田舎に家を建て引っ越してからも、一人電車に乗って片道20分、たまに母の運転で送り迎えもしてもらったり手伝いに行っていました。


今、ここまで書きながら、思い出しました。


私の『働くこと』の原点はここか❗️


子供の頃から、母と日常の買い物帰りに寄ってココアをご馳走になったり、時にはお昼にサンドイッチを食べて帰ったり、でもお客さん優先なので、席がいっぱいになると2階の住居に持って上がったり。
お手伝いもしました。常連のお客さんにおしぼりを出したり、お水を人数分コップに入れたり。さげものをしたり。小さな時から。
おしぼりは洗濯したのを濡らして手巻きし、ウォーマーに入れていたので、予備のおしぼりを巻いてあげておいたり、流しの洗い物をしたり。カウンター席からコーヒーの入れ方やサンドイッチの作り方をよく見ていました。
お正月、叔母さんの店で次の電車を待つ参拝客が多く、回転率が良く稼ぎ時。手伝いが当たり前のようになっていました。ウエイトレスだけじゃなく、パン屋さんサンドイッチ用のパン、焼そば用の麺をスーパーに買いに走ったり。
息子二人を立派に育て上げ二人共警察官になって各々家庭と子供を持ち、隣の県に戸建ても建てて暮らしていましたが、お馴染みさんが通って来るからと店を一人暮らしで続けて、五年ほど前にやっと引退。長男の家に同居になりました。庭の手入れと散歩の留守番オババだと叔母。私は子供の頃、母をママ、叔母をお母さん、と呼んでいました。



物心ついた時から喫茶店の仕事が当たり前のように目の前にあったので、高校生でのバイトも、さほど不安はなく、(ただ愛想笑い、面白くないのに笑えない、剣道と拳法する思春期のJKですから何となく想像してもらえれば😁)
国道沿いにあり駐車場も広いから盛況でご近所さんも時には来て「あれ?Yちゃん?Kさんとこの?」と気づかれ苦笑いでオーダー聞くことも。仕事はこなせても愛想のないウエイトレスだったと思います。すごい人見知りで他人に笑顔なんてほとんど見せない、スポーツしてる時以外は。そんな子でしたから。よく雇ってくれたと思いますが、オープン後の忙繁期の猫の手、だったかも。


その後は、高校卒業前に地元大手企業工場で同級生数人と短期集団バイト。
配属先はけっこうなバラバラ。
ほんとに工場内で作業の子、事務所で書類整理やひたすらパソコンに数字入力などの子、私は一人工場で出来上がった小さな部品の梱包作業。周りはオバチャン達ばかりで、責任者の課長はおじいさん。
ここは大きな社員食堂があり、お昼は確か支給。ネジではないけど工業用の長細い部品をダース単位でプラの皿に並べ箱を組んで包む、をひたすら黙々と作業。手は工業用油でベタベタで手荒れもしたが、オバチャン達の手元の作業をよく観察し、すぐにコツを掴んで、ひけをとらない作業スピードで働いたので、最後の日にご挨拶で課長の所に行くと「卒業したら、うちに来てくれないかなぁ、無理だよね~?いや~さすが剣道で段持ってる子はちがうなあ」
手元に私の履歴書を持っているようだった。同じ高校からの集団バイトだから履歴書で、「うちの部署はこの子」とか上席が選んだのかな?
連れをはじめ、わりと女子は事務所の方で仕事してたけど何故私一人だけ、この部署?と不思議に思っていた。この作業に剣道の段は関係ないと思うのだが、オバチャンばかりの中に入るには難しいだろうとメンタル強そうな私が選ばれたのか?今考えると青田刈り?のためのバイト要請?

高校卒業後は、観光業の専門学校に電車を乗り継ぎ片道2時間近い道のりを二年間通ったのでバイトどころではなかったが、長期休暇中は短期のバイトをしたと思う。ダイエーの洋服売場でバイトしたなぁ、確か。ひたすら棚の服を畳んで、値札付け替えなど。ずっと立ちっぱらし以外は、楽なバイトだった。
あと着物を着て、その洗える着物の宣伝用のチラシを駅前で配る、というバイトを友達の紹介で友達数人とやった。毎日、違う着物が着れて嬉しかったが、体力的にはけっこう大変な仕事。

もちろん正月は叔母の喫茶店を手伝った。

専門学校卒業後、劇団養成所に入るまで、ちょっと、ふらふらしていた。いや、連れのせいで芝居に足を突っ込むことになり、就職もせず、モヤモヤ。
古巣の小学校講堂での剣道教室で小学生達の稽古のお手伝い。そして、生徒二人、弟の同級生の家庭教師。
無事希望校に入ったのを聞いて、劇団養成所に入ることになったので、田舎から脱出、地方都市での一人暮らしが始まり、友達の紹介で近所にあったヨット屋さんで昼間はバイト、夜間養成所での勉強の生活が始まった。ヨットなんてさっぱり知らない世界だったが、主には店番。用品も分からないが、店主はお客さんに聞けばいいし、全部値札付けたからその通りに売って帳簿につけといてくれればよいと。店主と中間?は別の所に帆の製造会社があり、ヨットの大会などの用事もあるので店を空けることが多いから、店番が必要だった。暇で、時給も超安いが何とか生計と授業料は払えていたがカツカツだったような気がする。
生活がきつかったから、そこは一年居たかどうか記憶になく、その後、配膳人紹介所所属でホテルレストランのバイトへとつながる。


劇団員同士で結婚して、最初の妊娠が稽留流産になり、力仕事もあり体力勝負のバイトはよくないかと思い、主婦パートとしては事務職が良いかなと今のオペレーター業に至ります。


今の通販電話オペレーター、周りには妊娠も繰り返しの流産も内緒で四度目の妊娠が無事に安定期を迎え出産予定の1ヶ月前に、退職。劇団も引退。


三歳過ぎまで専業主婦で一緒に過ごしたいのを我満して、旦那から経済的に苦しいと泣きが入ったから長女を保育園に二歳で入れて、再度同じ会社に入り直しました。
長男は7度目の妊娠で授かりましたが、そこに至るまでの不育症外来への通院にかなりのお金もかかっていたので、産休育休でお願いして、保育園の一歳児クラスへ入れることになって復職し、現在まで。現在の2代目になってからは、本当に何度辞めようと思ったことか。仕事内容も、なかなか続かない、メンタル壊して病院通いになり辞めて行く子達を何人見送ったかしれない仕事なのに、経営側のストレスも更にある今の会社、派遣でホテル業をしていた頃の時給にはどうやっても何年勤めても届かないけど、子供達がいるから、子供の行事、用事を優先して働いているから、続けられるかも。
また、ホテル業の時みたいに、いつ「今日辞めます」ってやらないとも限りませんが。

同僚は良い人たちばかりなので頑張れるかな。

長女も初めてのバイトは、仕事内容より周りの人柄が、人間関係がうまくいくのが続く要素だと思います。ベーカリーもいいけど、喫茶店、今はカフェ☕️かな、カフェもいいんじゃないかな。

ふと、仕事の昼休憩中、あまり好きじゃないインスタントコーヒーをすすり、窓から空を見上げ思う。
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どんなバイトした?バイト歴多数あり、書き残してみる①

長女がバイトしたいって言うが、果たしてこののんびりマイペースなゆとり世代のJKに勤まるのかと心配だ。

でもそれは母親側から見た長女。第三者から見たら違うかな~。でも中学の担任で部活の顧問であった先生が「マイペースで私からするとイライラすることが多い」と言った時、「お母さん、それがアイツの良いとこですよ」と。やっぱりはたからみてもマイペースか。
県立高校だからバイトは禁止、一年生は部活に所属は必須、なので時間的にも無理。つまらない楽しくない部活を二年生で続けるのか疑問。
特別理由があればバイトも許可される。
うちは十分、経済的理由が成り立つ。

パン職人になりたいパン好きな彼女、前々からベーカリーでバイトしたいと言っていたが、以前には常に貼ってあった求人広告、今はどこも提示していない。コロナ禍の影響だろう。


私も劇団若手の頃、パン屋さんでバイトしていたこともある。店には出ない。裏方だ。
というのも、早朝からのバイトで昼前に終わるから、劇団の稽古には影響が少なく、一応、公演や公演前の追い込み稽古で時々休むことを了承してもらってのバイトだった。ご夫婦で営むお店で、表側、店頭は奥さんとパートさんが一人いたような記憶。何年続いたかなぁ、けっこう勤めた。今でもマスターから年賀状が届く。私が働いていた頃、赤ちゃんと幼児さんだったお子さんに子供が出来、孫が可愛いとメッセージもある。お店は私が辞めて数年後に、経営が難しいと閉めてしまい、ご夫婦一緒にチェーンベーカリー店の雇われの身になった。

朝五時半には、サンドイッチ作りながら、マスターの補佐、トッピングや、主にはでかいオーブンで焼き担当でした。しょっちゅう天板で火傷していた。
出勤前のお昼ごはん用に買っていくお客さんに間に合わせるために時間との勝負。焦がしてしまって、マスターがブチギレたこともあります。でも、よくやった、できたほうだと思います。持ち前の腕力、脚力。だから、いまだに年賀状をくださるのだと思いますが。

劇団の方が若手から中堅になりつつあり忙しく、そして失礼ながらお安い時給にしんどくなり、元のバイトの業種に戻ったかと思います。

以前書いた気がしますが、元々は長く配膳人紹介所所属で、ホテルレストランでウェイトレス。英語がある程度活かせて、重宝されていたのですが、黒服さんの一人と口ケンカしてその日に辞めた。公演の度に、一週間ほど休むことがあり、良く思ってなかったのは気が付いていましたが、支配人はじめ、他の黒服さんにも若い社員やバイト仲間に応援、ご理解していただき、出勤の時は精一杯目一杯オーダーこなして働きました。
「一週間休む?ふざけるな」の言葉から芝居をやっていることを侮辱され、辞めちまえと言われたので、「分かりました辞めます、長くお世話になりました」と一言放って、その日に辞めました。
制服をお返しがてら支配人の事務所へ急に辞めることのお詫びとご挨拶に行きましたが、思い直すよう引き止められても、武士に二言はない、といったところ。無理です、申し訳ないとお詫びし、これまでの御礼を伝え、去りました。

このホテルに配膳人紹介所から派遣で専属になり、長くお世話になりましたし、朝食6時から出来る時はランチ終了の2時まで、毎日パントリーは戦場のようでしたが、料理皿4枚、ライス皿なら5枚一度に運べるようになり、ワインやシャンパンの開け方もここで培いました。
調理場とパントリーの間の役割、オーダー表を見て何番テーブルに何をいくつ運ぶか、ホールの人間を大声で呼び止め出来上がった料理を運ぶよう指示を出す、オーダーを通すポジション、デシャップ。
スゴく度胸と機転を要し、体力ないとできない大変なポジション。通常は社員が交代でやりますが、バイトでは一人ローテーションに入っていました。調理場の気の荒いシェフ達相手に、出来上がった料理は冷めないうちに、次に料理を見極め、ライスなのかパンなのか、サラダが必要か、パン焼いておく、ライス盛っておく、冷蔵庫からサラダ出しておく、パズルを解く頭脳と素早く動く運動能力、後々の貴重な役立つスキルとなりました。
舞台の裏方スキルにも大変役立ちました。



パン屋さんの後は、劇団の稽古、公演、たまにテレビやラジオの仕事なども入るようになったので、より融通の効くバイトが必要でした。
そのため、別の、以前所属していたところから独立した人の配膳人紹介所に入り、黒服さんランク程の時給を頂き、固定の場所に勤めない、ヘルプポジションで働きました。
公演や稽古都合で、バイトが出来る日と時間を選んで、あちこちのレストランやホテルへ単車で駆けつける。
忙しく固定スタッフでは足りない所へ派遣されるので、ポッと初めての場所へ行っても役に立たないといけません。紹介所の評判にかかわるので。
立食パーティーの大皿運びやビールケース運び、大量の下げもの、力仕事、婚礼も良く入りました。着物の事も分かるので、重宝され、婚礼の流れ、段取りが分かっているため、よくご両親のテーブル担当にされました。立って一礼するタイミングや、ご挨拶の誘導等々が分かっていないとなりません。


紹介所とホテル、レストラン側の約束で、ヘルプの人間は指名できません。何日、何時、何名、(但し、時給の上限は依頼出来るようです、1200円以下の人で、とかあるようです。予算があるから)
スケジュールが合っても、依頼ランクが合わなくて、よく紹介所側から「ごめん、時給下げて行ってくれる?いい?」と言われました。
指名はダメですが、何ヵ所かとは馴染みになるし、こっそり担当から私がいいって言われたんだけど空いてない?とか、いつもの所に派遣で行くと、「明日も空いてない?会社の方には言っておくから」など当日依頼されたり。
久々な場所に派遣されて行くと「やった~😃Kちゃんだ❗️助かった~」と黒服さんに喜ばれることも増えました。呼んだ側は、当日まで誰が派遣されて来るのか分からないのが普通なので。
現場でよく一緒になる男の子もいて、ツーカーな仕事分担が出来たりするので、二人一緒になると依頼担当の黒服さんは「ラッキー、KちゃんとO君じゃん、今日は楽勝ですよチーフ」と俺、良いくじ引き当てたでしょう、的な様子が面白かったです。

期待して頂く分、二人揃うと連携良く効率良く、しっかり働くようにどんどんなりました。
ちなみに、最初のうちは大学生で卒業してからもやってたような子だった気がします。かなり歳下なので、重いものなど率先してやってくれて、それに身長高いので、小さな私が届かない備品なども、ヒョイッと、私の頭の上から😅

そのうち、その紹介所からも枝が伸びるように独立した会社を作った所に出向することも。
所属派遣会社の社長とは、すっかり仲良しで、難しい所にも時給を下げてでも行くようにしていたので、かなり融通をきかせてもらいました。芝居の小道具で備品もこっそり貸してもらったこともあったと思います。
その社長から、枝分かれした先の会社の代表Aさん所のスタッフとして、いくつかの現場に行って欲しいと頼まれました。派遣先ホテルの最初の印象が大事だからと、私やO君や、他の古株も。飛び出して辞めたAさんなのに、親心だなぁと社長の人柄に感心しました。社長と言っても、デスクにいることは少なく、同じように現場に黒服着て毎日出ているような方です。いつもヘロヘロになってた印象。
そんなヘロヘロなガリガリしたおじさんに「Kちゃん、お願い、この日、ダブルお願い、ほんとお願い、人数足りない」って言われると、しんどくても劇団の方がなければダブルヘッダーに行きました。朝から昼過ぎ3時までレストラン、急いでバイクに股がり、次は4時からホテルの宴会場で、夜のパーティー準備から片付けまで9時10時。これ、ほんとしんどい。第一現場の仕事終わり3時頃昼ご飯、次の現場、パーティー開始前に4時半にまかないの夕飯、なんてこともざらにありました。さすがに食べれない。


劇団、演劇の世界も不健康、バイトも不健康でしたね。

あっちのレストラン、こっちのホテル、YAMAHAのZealにまたがって、このバイト、結婚しても続いていました。


高校生で初めてバイトして、そこから色々やりましたが、また次のお話で。