YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

卒業おめでとう、ありがとう息子よ

不登校長男、中学を本日卒業しました。

少し前に「卒業式、出ようかな~」
なんて言ったけど、今日の通常の卒業式抜けてには出られませんでした。

小5から不登校になり、週1ほどのペースで別室へ登校するようになり、小学校の卒業式は先生や友達の助けをかりて出席でき、楽しかった~との感想だったので、中学もあるかな?っと思っていましたが、プレッシャーをかけないよえに、「あ母さんは、どっちゃでもええよ~」と伝えていました。

中学では二年生から、通常教室に通えない子のための居場所、学年を越えて自由に過ごせる部屋ができ、そこに週1か 2日通うようになっていました。
さらに三年生になってからは、週3日行くような時もありました。

先生によると、後輩に慕われることもあり先輩らしい振る舞いができるようになったらしい。

ほんとに、あのスペースを作ってもらえて感謝しかない。

つい最近は、同級生の受験も終わり、また通信ゲームをいつものメンバーでやっているのをよく見かけるようになった。
だからまた少しずつ身近な子達とのつながりで、コミュニケーションを取ろうとしている息子がいた。

卒業式の練習の前に学年最後のレクリエーションがあるから、ちょっと来てみる?と先生に勧められ参加した。
最初は、いつもゲームしたりLINEしたりの小学校からの仲間二人だけが側に居ただけだったらしいのだけど、そのうち「K?Kなの?」
と同じ小学校からの子達数名に囲まれてしまったらしい。
先生が教えてくれた。
やはり、その日仕事から帰ると、長男はベッドで布団にくるまりスマホで動画を観て疲れた顔をしていた。
「疲れた!眠い。 いやもうちょっとあの人たちが気持ち悪い」
なんて言い出した。

そして、やっぱり卒業式は出れないとなった。

それでも、連日最後を惜しむようにあの別教室に通った。
昨日の最後も充実していたようで、そして「さみしいなあ~」と、ほんとにさみしそうに呟いていた。

その昨日朝、長男は卒業式には出ないつもりでいることと、午後2時に卒業証書を取りに行く約束をしてきたと聞きましたと言う報告も兼ねて、担任との連絡用にしていたノートに、学校や先生方への感謝の気持ちをしたため、朝の出勤時、いつものように中学の門の前を自転車で通り、校門前でいつものように朝の出迎え挨拶声かけ中の先生方の一人に、担任先生に渡してもらうようお願いしておいた。

ほんとに、学校内に居場所を作ってくれ、無理なく通わせてくれたことに感謝しかない。


そして、出かけるほんの少し前、小学校からの仲間の一人、転校してきた父子家庭の子、悲しいことがあってうちの小学校に来て、うちの息子に救われたって当時の先生が教えてくれ、すごく元気になった親友が電話のあとに家に訪ねてきた。
ほんの5分ほどの庭での会話。
息子は前々から知っていたそうだけど、なんともう今日の夜に引っ越しだそう。
同じ町内、ブロック2つほどの距離の賃貸に父子で住んでいた親友となったその子は県内だけど電車で片道1時間ほどの市へ行ってしまうそう。
小学生ですでに160センチ越えのその子はうちの最小長男と居ると親子のようでした。
学校もそちら方面の高校受験をしたのかもです。
泣くこともなく、意外とサバサバして戻った息子。
「なんかあんまり実感ないから」

そうね、また通信でゲームできるしね。

近況報告またできるね。



そして
卒業証書を取りに行くだけのつもりで一緒に学校へ。


それが、校長先生はじめ、担任先生も数名の先生もうやうやしく、なんだか様子が。


荷物を置いて、担任と副担の後ろに親子で並び、校長室へ。

数席並べてある椅子に、スクールカウンセラーさんや別教室を立ち上げてくださった長女も知ってる一年生からの学年主任の先生やら、その中へ進む。
先頭の席に親子座り、教務の先生の司会で長男だけの卒業式が始まりました。

校長先生の祝辞や卒業証書授与、学年主任先生の暖かい言葉、先生全員で合唱してくれた校歌、司会の女性教務先生は涙でグシュグシュになりながら一生懸命話してくれました。
母も涙が止まらない。
そして、息子自身にも何か一言お願い、って教務の先生。
ちゃんと言えました。
「ご迷惑ばかりかけてすみませんでした。三年間大変お世話になりました」

頭を下げまくって出た校長室から、荷物を置いていた部屋で担任のお二人からも贈る言葉をしっかりいただきました。
担任の男性先生はお子さん2人とも低体重児で生まれ、無事に今は元気に育っているとのことから、生まれて、ここまで育って生きているってことだけで奇跡なんだよ、感謝だよ、よくここまで育って先生と過ごしてくれて、ありがとう、と。

学校の出口、先生方数名でアーチを作ってくださり親子でくぐる。
卒業式の看板前で、親子で、担任と、主任先生と、写真を取りまくり、同じ2人の子供の母である主任先生に母はハグされて、お互いを励まし合い、さようならーと。
「また明日朝、前通るんですけどね」
と笑いながら、学校をあとにしました。

帰り道、長男「俺もうるうるでこぼれそうでヤバかった」と。

2人で感謝だね、頑張ろうね、と話しながら帰宅しました。

そう、平日の貴重な午前中、長女の学費納入も危ういかもしれない危機感があり、なけなしの自身のわずかな貯蓄、平日の3時まででしか下ろせない農協へおろしに出かけ、息子の卒業の日にお金の工面をどうしようか思い悩む自分が嫌で沈んでたんですよ、実は。
母の形見のダイヤの指輪も持ってでましたが、近くの買取りショップは定休日で今日は現金を学費用の口座へ入れるだけにしました。
もちろん、子供たちには察せられないように振る舞ってましたが。



特別なソロ卒業式

母、いや、親子共々、大きな元気をいただきました。

ありがとうございました。