YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

365記事記念感謝の回

今回が365回目投稿、一年分を書いた。

しばらくぶり、10日ほど空いての投稿になりましたが、ここまできました。みんなみんなに感謝です。

当たり前が幸せ。

無くなって分かる当たり前。


何がその人にとって当たり前かは違うけど、私にとっての当たり前のように続くだろうと思っていた道は、突然に消えた。


このブログを書き始めた頃は、長男もごくごく普通に小学校へ通い、お友達ともわちゃわちゃしながら、遊び、笑顔で話し、時に泣き、私と剣道に通って、下手くそながらも、先輩になっていく息子を誇らしく感じていた。

ブログを書き始めてからほどなく、長男の様子がしんどそうになり、五年生になって学校へ行けなくなった。

毎朝、黒のランドセルを背負って家のすぐ横の集合場所で、副班長の長男は班の最後尾で、すぐ近くの小学校へ向かう後ろ姿を洗濯物を干しながらベランダで見送る。

そんな朝は無くなった。


長女が何かしら学校で使う物を買う時、いずれ弟も使うからと、男子でも使えるカラーの物を選んでくれた。青やネイビーや黒。
野外学習用のリュック、習字道具……
中学でバスケ部だった長女、小学校からの水筒では真夏は足りなくて2本持ち、それでも不便があって大きめな保冷水筒1本欲しい、真夏だけしか使わないけど、と。
中学ではサッカー部に入ると言っていた弟がいずれ使うからと黒青の水筒を選んで購入。
ワンシーズンだけ長女が使ったその水筒は、台所の棚の片隅にキレイな状態で今も使われないまま置かれている。


当たり前に、目覚ましが鳴っても、何度起こしてもなかなか起きないで、髪の毛ボサボサのまま、めんどくさいめんどくさいって言いながら、友達と一緒にワラワワとダラダラと、時にはギリギリでウオーっと走りながら中学へ通うのだろう、思春期で、「腹へった、飯」「風呂」「寝る」しか言わなくなるだろう息子を想像していた。

そんな日常は来なかった。


約三年前。


長男小5の春雨登校の頃、小学校の教務先生からの勧めで隣の中学の新しく赴任してきたスクールカウンセラーさんがこっちにも来てくれるから、相談してみる?と。
長男自身も、自分の不調を何とかしたくて、会ってみる、話してみる、って出会ったN先生。30代かな?そんなぐらいのスラッとしたイケメンな先生、声がとてもソフトです。

中学に上がる時、N先生が居るから大丈夫だと本人も私も安心していた。

そんな先生がこの春が最後、来年度は違う学校に行ったしまう。

できれば、長男が卒業まで居たいんですけど、こればっかりはどうにもならない、残れるか、転任か、本当は内緒なんだけど、分かったらすぐお知らせします、って少し前に言っていた。
金曜日、スクールカウンセラーさんの日、長男が手紙をもらって帰ってきた様子。

パートは定休で、長男を朝学校に送ってから、長男のメンタルクリニックへ私一人通院、帰宅すると先に帰っていた長男がリビングでテレビを観ながら
「N先生、変わっちゃうって、学校。 新しい先生お友達らしいけどね、まだ内緒だよ」


リビングのテーブルに、不器用に破られた長男宛ての封筒。
中身はない。
まさか、呼んでもう捨てた?
いや、ちゃんととってあるよ、と長男。長男宛ての手紙だから読もうとは思わないが、きっとその辺に置いてあるだけだろうと思っていた。

大事な物も、しまっておくって事ができない息子。
お年玉も、ゲームの説明書も大事だからと勉強机の上に置く。

でも、手紙の中身、便箋はどこにもない、長男の部屋にも見当たらない、きっと部屋を掃除したら、リュックの中身を整理したら、ペラっと出てくるのだろうと思っていた。
でもどこにもなく、出て来ない。

土曜日出勤だったので私は昼間家に居なかった。がっかりして、不安で、また布団にくるまったまま、部屋にこもっているのかなぁ~と心配だった。



実は、ここの所、長男は調子が良くなかった。

3回連続、登校予定日に行けなかった。朝、起きれなかったり、布団にくるまったまま出て来なかったり、「行く気力ない」と。
夕飯を食べなかったり、風呂に入らなかったり、「めんどくさい」「お腹は空いてるけど、動きたくない、めんどくさい」

好きなゲームもずっとあまりしなかった。
一度、ちょっとやってみるか、と夜やり始めたが、うまくいかなくて、イライラが身体に速攻出始める。
両手の至るところに湿疹がブワーと出て、痒みで、お互いの手を掻き破りはじめる。叫びたいのをこらえて、泣きながら座っている椅子を殴りだし、バンバン、足で床をガンガン。
そのうち、疲れきってぐったりし始めたので、抱きしめて、「お母さんはどうしてあげればいいかな?…………まずは、手に薬塗ろうか、ベタベタが気持ち悪いだろうから、両方に包帯巻くね」と、処置をしてやると落ち着いてきて、一緒に部屋に上がった。
布団に寝かしてやった。

バンバン、ドンドンとやっている間、長女は部屋から出て来なかったが、旦那はリビングすぐの部屋から出てきて、ドアの前で立って固まっているだけなのは、眼の端から見えた。何も言わず、何もせず、そのうちすぐ部屋に戻って行った。

また、ある日、寝てると思っていたら長男は布団にいなくて、夜中、電気もつけずにテレビの前に座って、人形のようにYouTubeを観ていたこともあり、声かけしても反応せず、抱き抱えるようにして一緒に階段を上り、部屋の布団に横にさせ、布団をかけた。
しばらくして寝息が聞こえきた。

そんな日が続いたので、担任もスクールカウンセラーさんも心配で面談をすることになり、話しをした。
私にも担任にもスクールカウンセラーさんにも、直接の原因は言わないし、本人にもよくわからないかもしれないが、ゲーム中にお友達とのチャットで何かあったのかもしれず、それで好きなゲームもあまりやらなくなったのか、あるいは、自分が下手だから迷惑かけると思ってやらなくなったのか、2年生になる不安からか、スクールカウンセラーさんが今年で最後で別の学校に異動になってしまうかもしれないから、より不安が押し寄せてきてしまっているのか、アレルギー症状もひどくなる時期だから、さらに心もしんどいのか………

結局、色々複合的な原因かもしれないって話しになった。

その後、ある寝る前の布団の中で長男がもらした「絶望している、受験にも、お父うにも」と。

受験はまだ先だし、今はいろんな選択肢があるから大丈夫、先生もそう言ってたとなだめた。
1、2年生向けの受験制度変更のオンライン説明会があるとの担任の案内に、『もう受験を考えなくちゃ』と焦ったのだと思う。

父については、あのドンドンガンガンとやっていた日のように、実は、人形のようにYouTubeを暗いリビングで観ていた時にも、同じ事をしていたらしい。

だから「父ちゃんは自分も心の病気で薬飲んでるぐらいだから自分のことで精一杯なんだって、許してやってよ」と伝えたが、多分長男にとって、将来の自分に重ねて希望が持てないというところの『お父ぅにも絶望している』かもしれない。


そんな事もスクールカウンセラーさんには伝えた。


そして、土曜日夜、「明日はN先生の手紙、頑張って書くかな」と長男。

そうだね、そうだね、三年間一緒に頑張ったもんね、文字の少しも書こうとしない長男、先生へのお礼の手紙は書こうという気になっている。
読み書き障害かも?と気が付いてくれたのもN先生。書けない、書かない子からの手紙なんて、泣いちゃうかもよ、先生。


日曜日、もう何ヵ月も勉強机に向かっている姿を見てませんでしたが、母のとっておきレターセット(年代物、初期ガンダムの、未開封だったならプレミア付きで高額で売れたかも)で、母と長女が買い物へ出かけている間中、書いていました。
帰宅しても机にいて「あとは俺の住所とか書くだけた、オレ携帯って何番?」「オレ、こういうの超苦手、手伝ってくれ」と便箋をずれないようにキレイに折りたいらしく手伝う。
その机の上に、先生からだろう白い便箋、置いてありました。
そして、その手紙は、机の長引き出しの中の仕切りトレイの下、へそくりを入れている大事な場所に入れていた。
そうか、そこか、そこに大切に仕舞っていたのか。

小学校の頃からの、思い出も綴ってくれていたらしいです。小学校の体育館で二人で身体を動かして楽しかったことが書いてあったらしい。

力になったみたい。

三年間、丁寧に、のんびりと力になってくださって、本当にありがとうございました。

息子は、これで最後の別れとは思ってないみたい。手紙に住所も自分の携帯番号まで書いていた。


笑顔が見える日もあるのだから、それでいいとしよう。

ゆっくりと歩んでいこう。

生きていることに、生きていられることに感謝しよう。

ありがとう、N先生にも、家族にも、みんな、みんなに、どうかいっぱいの幸あれ。

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