YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

アイコン見たら丸分かりなやつやん。

今週のお題「部活」
中、高、見ての通り『剣道部』です。
私の時代、小学校に部活はありません、クラブ活動だけでした。
5年6年だけだった記憶、しかも、今の時代では考えられない差別、ド田舎だったせいもあるかもしれませんが、私の入っていた「ボール運動部」は入るのに先生の許可?というか、選ばれるというか、入りたいから入るというものではありませんでした。
基本的にはバスケが中心で、バスケ大会に向け練習、ソフトボール大会が近くなればソフトボール、バレーボールの大会があればバレーボールの練習!大会が近付けば授業内だけじゃなく、放課後の練習も。
まさにボール運動何でも屋、大会請負人集団なクラブでした。当時は何の疑問も抱かず、スポーツ得意だから入るのは当たり前で、なんなら義務のようにも思ってました。大人になってから、「うわ!あれってスッゲー差別じゃん、許されるのか?いいのか?」と気がつきました💦

子供の頃から自信のあるものと言ったら運動神経しかなく…でも、何かのスポーツに突出して出来るわけではなく、足も速いけど大会の代表という程でもなく、何でもある程度上手、いいか悪いか、よく母親に「器用貧乏」と言われていました。
でもそれはスポーツだけではなく演技や仕事にも共通しているようです。
私にとって、スポーツは楽しい遊び、ストレス発散の自分の居場所。
両親の喧嘩や、喧嘩もしなくなった家庭内離婚状態の暮らし、歳の離れた下の姉弟は双子で手がかかり、妹は小児喘息のため入退院を繰り返し、弟にとって母親代わりの自分、勉強嫌いで楽しくない授業、不安や寂しさ、むしゃくしゃするとラケットを振ったりボールを投げたり。
なので、おもちゃはほぼスポーツ用品。バトミントンセット、打ったら返ってくるゴム付きボールのテニスセット、男子に呼ばれて参加の草野球用のグローブ、バレーボールにローラースケート、卓球のラケットまで持ってたな。

剣道はまだ小さい頃、いつも遊んで面倒みてくれていた三つ年上の従兄弟の兄ちゃんが始めたので興味を持ちました。まだ生まれた街っ子だった頃、兄ちゃんは電車に乗って剣道を習いに行っていました。(母子家庭のその兄ちゃん、剣道も勉強も頑張って、後に警察官になり今も現役です)見たくて、母親に頼んで一度わざわざ覗きに行った事があり、益々やりたくなりましたが、通える距離ではなく、小三で私はド田舎に引っ越したのであきらめました。

そのド田舎で四年生になった時、学校からのプリントを見てびっくり‼️喜び勇んで家に帰って母に一番に見せ「絶対やる❗️」
プリントには市が主催で小学校の体育館を借りて毎週土曜午後に剣道教室を始めます、小学校四年生以上参加可能、とありました。
自身の小学校ではなく、隣町の小学校での開催、母は下の姉弟で手一杯で大変、通う事はもちろん何事も自分でやる約束で始めました。まだ土曜午前は学校があった頃の話です。そして、土曜は茶道と華道の稽古も入っていたので大変でした。学校から帰ったら急いで昼御飯を食べ、竹刀をチャリにくくりつけ隣町の小学校へ、稽古が終わり汗だくのまま、またチャリに股がりド田舎の繁華街の中の茶道華道の先生宅へ。
はははっ😄
剣道茶道華道……どっぷり『和』な小学生でしたね。
市の剣道教室は地域の有段者の方々のボランティアでいつも同じ先生ではなかったし、防具貸出用も寄せ集め、早く行かないと動けない程ブカブカな防具しかなくなってしまい、小さな小さな私は稽古についていくのに必死でした。
上級生になる頃は小さくても一番、級もどんどん上がり、試合にも出るようになり、身体に合わない防具が勝負の妨げとなっていて、防具を買ってもらいました。始めての赤胴です。従兄弟の兄ちゃんに聞いた一番近い防具屋さんは都会の方にしかなく車で片道一時間ぐらい、でも母の運転でよくそこには行きました。
その教室で三年間続いたのは私ぐらいだったかも。
途中、6年生になった頃かな?自分の小学校の校長先生が先生を引退し、この剣道教室の先生で来てくれていた。小学校でさようならをした校長先生が土曜の剣道に行ったら胴着着て居てびっくり😲。
無口で、自分から友達を作ろうとはしない照れ屋な男の子みたいな性格の私を気にかけてくれていたのか、何をしてくれるでもなく、ただ剣道を教えてくれただけ、でも自分の所の校長先生に上手になった
自分を見てもらえると思って、嬉しかった。
防具が自分のになってからは荷物を自転車にくくりつけての行き帰り、山道登って下って、帰りが下り坂、ノンブレーキ猛スピードで下って、担いでた竹刀がガードレールに当たりぶっ飛ぶ‼️怪我しないようにチャリを素早く捨て着地……でも荷物や防具は散乱😅そんな事はしょっちゅうでした。雨の日はビニールとカッパ対策で準備も面倒。たまには母の軽トラで送ってもらった事もあったかな。でもその後、傘さして防具背負って歩いて茶道華道がしんどかった。そんな私を師匠はものすごく可愛がってくれていましたが、中学になると部活もあるし、先生もご高齢で教室を閉める事になり、茶道だけは免状を持ってますが池坊華道は何の資格もなく辞めてしまいました。

中学では、バスケ部先輩からのお誘いもあったので迷いましたが、やっぱり防具も買ってもらったし、続けようと剣道部に。
でも、顧問は剣道をやったことはあるけど、やってるわけではない年配な先生、練習は部員任せ。趣味がカメラだったのでよく写真は撮ってもらえ頂きました。白黒写真のこだわりがあったようですが。
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男子も女子も混ざっての稽古でしたが、先輩女子にも同級生にも私の敵はなし、先輩男子でさえもあまり負けた記憶がありません。入ってすぐ団体戦のレギュラーで先輩を押し退けてしまったので、女子の先輩には嫌われていたかもしれませんが気にしてませんでした。中学で段を取る生徒は私が初めてだったらしく、先生は木刀試験があることや、筆記試験もあるから教本を取り寄せたり問い合わせをしたり、大変だったようです。ありがとうございました。
今は木刀の形試験も事前稽古でしっかり教えてもらえますが、当時は道場の先生や先輩に教えてもらうしかなく、私は誰にも教えてもらえず、先生が取り寄せてくれた教本コピーの絵や言葉で解読、覚えなくてはならず、当日試験会場で他の人がやってるのを見て、「あー❗️あれはああいう事だったのか‼️」と現場で修正。先生も親も付き添いなく、中学生が単独で都会の武道館まで防具と竹刀を担いで試験を受けにいく、今考えると、すごいなぁ、頑張ってたなぁ私、と思います。
おしゃべり苦手、恥ずかしがり屋の性格も、何かの目的のためには勇気を出して分からない事は聞かなくてはなりません。貴重な経験でした。
我が中学で初の有段者となり、狭い田舎の中学の同級生はもちろん、先輩でも私を知らない人はいないぐらいでその頃先輩方には、他の部の先輩からも名前ではなく、「あかどー」とずっと呼ばれていました。
アイコンの赤胴は高校時代の赤胴姿です。始めての赤胴は子供用で小さくなってしまい、高校では大人用の防具を買ってもらいました。
最初の赤胴も大人用の赤胴もずっと実家にしまってあって、長男に私の赤胴をあげるからと剣道を始めて、いざ実家で探したらどこにもなかった。
母が亡くなってから父が色々整理してたので、誰かにあげたか処分したか、大人用の赤胴はすごく気に入ってたので残念でした。赤胴を約束してたから、長男には新しく買いました。私の現在は中古の品。

高校時代は、入った年、一年生の時の夏合宿で嫌な事があり、真剣にやる気が失せてしまい、習い事で少林寺拳法をかじり、両立難しく身体を壊し、女子は私を含め三人しかいなかったため、団体戦五人を三人で、一人掛けたら試合に出られなくなるので、大変、「相手三人しかいないじゃん❗️やったー」とよくバカにされたものです。
合宿での嫌な事は、夜中男女それぞれの部屋で夜中までおしゃべりやトランプ、その真夜中、男子部長に私だけ呼び出され男子部屋へ。先輩達数人に囲まれました。先輩の一人が私を好きで苦しんでるから付き合ってやれ、と言われました。囲まれさすがに、怖かったです。この状態で、回りには同級生の男子や真面目な先輩がグーグーイビキをかいて爆睡。ちくしょー、同級生の女子が囲まれて怖い思いしてるのに誰も助けてくれんのかー❗️
好きだと言うその先輩も囲っている中に居るのに、何故自分で言わない❗️怖いし腹が立つし、「嫌です」部長先輩に何を言われても、黙ってるか嫌だと言うのが精一杯。
そのうち、「そうかもういいわ」と解放され女子部屋に戻り、何だったのか、とそこも変な雰囲気、その後の合宿稽古も部分的に変な雰囲気。同級生男子だけは能天気な感じ。
その後の学校での稽古も何だか変な空気に感じ、高校の剣道は記憶にないぐらいつまらないものになりました。
でも、同級生男子の部長になった子、地元を離れたこの地の大会で、高校卒業以来の再会。息子も出ていた大会で、試合会場のオフィシャルのお手伝いをしていたら、その会場の審判員の一人が、どうも見覚えあり、パンフレットで審判員の名前確認、珍しい名字のため確信しました。審判員は順番で回って、一旦休憩に入りパイプ椅子に座るので、話しかけに言ったら向こうから「○○?」と私の旧姓。
向こうも私を気にしていたようで、お互い見るも無惨なおばさんおじさんになってましたが、こんな所で会えた‼️と再会を喜び、子供がもう少し手が離れたら飲みに行こうって約束してます。同級生はうちの師匠の知り合いでもあり、しょっちゅうあちこちの大会で会い、先日の息子が欠場した大会も息子が出る試合場の審判員、「何だ、欠場か、ちょっとでもかすったら旗挙げてやろうと思ってたのに」と冗談ですが、言ってくれ、申し訳なかった。
飲みに行けるようになったら、あの夏の合宿での事、話してやろう、と思っています。