YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

意地悪な目と人心地

テレビってなかなか観れない。
これまで自身のくつろぐ生活範囲にテレビがなかったのもありますが、そもそも観る時間がほとんどなく、観たかった映画を撮っておいて休みの日に何とか鑑賞できるかどうか、というペース。

それが、一階にしかなかったテレビが2階の自分たちのリビングに来て、少しだけ観れるようになったが、私にチャンネル権はない。あまり欲しいとも思わないが。
他の家族が観ているものを何かをしながら飛び飛びで観るのが常。

だから世間話にうとい。
でも去年、アニメの鬼滅は追い付いたよ。


そして


実は、珍しく大河ドラマを録画して観ている。


2階テレビでは裏番組を常に録画しているため、1階の台所のテレビで。でもなかなか追い付かない。下でゆっくり観られる機会が来ない。

袖すり合うも………なんとやら、ほんとに衣装の袖が触れないほどの遠~い縁の方々が出演されているから観たいなと思った。
そして、最後の将軍、徳川慶喜に興味があり、それをK君が演るからだ。

んー、有名人でも名前ってそのままブログに載せるのに抵抗が………いやもうバレバレどころな話じゃないんですが。
やっぱりイニシャルトークで。


K君がまだグループにいて、しかもグループ自体もさほど有名って訳じゃない頃、すっごい若かりし頃、地元のテレビドラマに出演し、普段全く誰も誉めない共演の大御所が、まともな芝居してたとの言葉を言わしめた子、そのドラマのエキストラの一人として私は遠~くから拝見。
ファンってことではないんだけど、それ以来、ちょいちょい見かけるドラマなど、アイドルだけど演技には一目おいていた唯一の人。歌より芝居向きだよ、アイドル辞めても役者で生きていけるよ、とずっと思ってた。
大きな賞、授賞おめでとうございます。
相変わらずなニュートラルな俳優ぶり、主役を食わない、食わせない、そんな立ち位置に居ようって雰囲気が感じられます。



そして、私の田舎の方、地元の役者さんも出てるんです。

高校の同級生のお兄ちゃん、Wさん。
下積み長かったですよね、すっかり有名人で主要な脇役、任せて安心、そんな地位を確立されておられます。何か含みのある時の笑み、上手いなぁ。
見た目には、ちょっと、まぁるくなられたかな。貫禄が出てこられました。


地元で頭良い子が行く県立J高校出身のHさん。
県立Jに行けるほどではない子が私の出身県立高校に行くっていうのが、その頃地元の定番。
J校は文武両道、運動部も強いところが多く、うちの高校は何かとライバル意識が高かった。
剣道部も強かった。うちの剣道部女子、人数足りないし、弱小でしたから、ライバルには到底およびません。
あ、横道にそれました。

Hさん、貴重なこの年代のバイブレーヤー。
叱咤、文句を言う芝居、憎めない、コミカルな悲哀、中間管理職が最高に似合う方。
失礼かな。でもそんなポジションの役の時が好きです。

お二人は堅実な安心感。
それに、お二人とも黒羽織りにかつらの出立ちがなんとも、しっくりなお姿。
しかもしかも、役柄でつながってる!
地元つながり?嬉しい。

舞台出身でどう転んでも正解だと思われるこのような俳優さんがいるから物語が絞まる。
地元の誇りです。


主役も真っ直ぐ、純な、くったくない笑顔と演技。
いつものドラマを観る時の意地悪な目。
そんな目で私が観ても、知らずのうちに気持ちもゆるゆるして、ただのおばさんになっている自分がいる。

父のKさんには何も言うことがないのは当たり前だが、Kさんが父役でほんとーうに良かったねと主役のY君に言いたいところだ。
演技においても、どんなセリフも受け止めてくれそうで、そして役から外れても、昔と変わらず、気さくなおじさまで、大御所感オーラを出さずに楽しい現場になっている気がする。

今でも、私の宝物。

某Nテレビ局の早朝の、狭い衣裳部屋。
衣裳さんに自分の衣装をもらいに来ていた私。

突然、パンツいっちょうのKさんが飛び込んで来る。
「うぁー、ごめんね、こんな格好のまま来ちゃった」
衣裳さんは男性。すぐ向かいのご自分の楽屋から、女子(私もその頃はまだ二十代だったかと思う)がいるとは思わず入って来られたかと思います。
超有名人、大御所俳優さんがすぐ目の前で、しかもパンツいっちょう。ごめんねーと言いながら、いたずら小僧の面持ちの照れくさそうな笑顔。有名人のオーラなし。(大変失礼)普通の、気さくなおじさんだった。
テレビ画面で、懐かしくお目見え。
ほんと、凄い役者さんです。


今回の驚きは、お母さん。
いいなぁ、いいWさん。息子を見る目、旦那さんを見る目、息子を心配し、信じる目、旦那さんを見る目、信じる目。息子を想う気持ちが痛く解る。
そして、なんて可愛いお母さん。

昔から、可愛らしくて特長ある声でらしたけど、歳を重ねて良い味が。


でも、今時は、今のテレビ映像は怖いですね。
ほんと、小じわ1つもよく見えて。微妙な目線や皮膚の動き、丸見え。一秒たりとも、瞬き1つも隙を許さない。
怖い世界だ。
あそこに居なくて良かった。居られるはずもないのですが。


役者、俳優にとってはより厳しい世界になったけど、映像のキレイさが妙。


藍染め、青、色んな青が、大好きな藍染めの、色んな青が楽しい。
主人公の衣装、擦れた青もたまらない。
そして、自然の緑のコントラスト。
たまらなく、キレイで好き。


もはや意地悪な目はどこにもなくて、人心地。

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ドキドキする、親子揃って色んなドキドキ弥生月

今月から、剣道稽古は通常に戻った。
緊急事態宣言が出てしまって、体験見学を待ってもらっていた小学生は、今月末に来会予定。
そして、先日、もう一件、幼児さんの申し込みがあり、お友達と来たいのでスケジュールを相談してから連絡をくれることになっている。


嬉しいドキドキな母。

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体験用の竹刀。
このご時世、除菌対策も必要なため事前に念入りな準備。
幼児さんは30がいいかと思ったが一本しかない。すぐ、父母会のグループラインに空き竹刀がないか連絡。28ならあるらしい、仕方ないか。
真ん中の大きさ32はいっぱいあるのに。
身長まではお聞きしてないが、小学生の子は32でいけるだろうが、念のため34も準備しておこう。


しかし、こんなに竹刀の長さ、子供用が増えて、しかも市販されているなんて。
便利になった。面座布団や様々なサポーター、クッション付きの小手下、洗える小手!


私の子供時代には竹刀だって、36からしか市販されてなかった。

子供時代の剣道事情は以前書いたかと思うから、これくらいにしておこう。

新しく入ってくれたらいいなぁ。久々の新しい仲間。刺激になる。


長男についても、ドキドキ。
本人も私も、旦那も、もしかしたら長女も。
長男が卒業式に出ない、スーツは嫌いだ、と担任に言ったことは旦那にも長女にも伝わっている。
スーツを試着した時には長女も「恐ろしくぴったりじゃん」と言いながら、ニコニコしていた。
だから、お姉ちゃんなりに心を痛めているのかもしれないが、学年末テストの結果があまりよくなかったからかな?沈んでみえる。

でも、長男と話をした。
再度、卒業式に出る意味と長男の小さい頃からびっくりするほどすごいと思っていたこと。

人それぞれ違うだろうけど、母は『感謝』が一番だと思うと。

長男は小さな頃から、感謝の気持ちを素直に言葉に出すことが多かった。とても素直に自然に。
誕生日に本人の希望の店へ外食に行ったことがあった、まだ修学前だったと思う。誕生日の人はお店からロウソクではなくてチカチカ花火を指したプレートのデザートがサービスで出て、店員さんがマイクでアナウンスをしてくれる。
そして、お店全体で「おめでとう」の拍手。
彼は、すっと立ち上がり、満面の笑顔で「ありがとう~」とお店のあちこちに向け手を振った❗️
『コイツスゴいな』と母は思ったと。
今は思春期で、そんなこと恥ずかしくて出来ないだろうけど、あんたはそういう御礼が素直に言える。今でもお母さんやお姉ちゃんに、スッと、「ありがとう」って言ってくれる、それはすごいことだよ。なかなか出来ないよ、と。

学校は辛いこともいっぱいあっただろうけど、楽しいこともいっぱいあったでしょ?
三年生までは、お姉ちゃんと一緒に学校通って、お姉ちゃんはしょっちゅうあんたのクラス覗きにきたでしょ?嬉しかったね。

ごっこのチームも組んで、毎日してたこともあったでしょ?チーム名何だった?楽しそうにしてたよ。

そんな場所だったよ。最後だよ。

先生にお世話になった。担任先生の授業、六年生で、一度も受けてないよね?
作、演出、H先生の舞台の大事な演者の一人なんだよ、あんたも。
特技、演技でしよ?最後ぐらい、演じてあげてよ。きっと感謝伝わるよ。それに、誰か忘れてない?
感謝する人。
お父さんとお母さん。
あんたも六年間、すごく頑張ったけど、お母さんもすっごい小学校で頑張ったよ。PTAの役員もやったし、夏祭りの夜店、頑張ったよ。


「出る!スーツも着るぞ」

スーツさぁ、数時間のことだよ、同じだよ、ベルトのズボンにジャケット、スーツが着れてられないで中学の制服着れるの?

「あっ!そうか❗️」

「おう、大丈夫だ、着るぞお母ぁ」

「でも、あの一人で言うセリフはどうしても言いたくない」

いいよ、前の担当の子、あんたのセリフをもう覚えてくれてるって。

「証書もらって振り向いて、イエ~✌️とかなんか言わないのか?」

それじゃん、こないだ先生が考えてきて、っ原稿用紙もらってきたの。それは言うの?言えるの?

「うん、それは自分の言葉だから大丈夫、言えると思う。前の日のリハーサルは見学したい」

そうだね、ちゃんとやり方教えてもらわないと不安だね。


そんな、気持ちの切り替えが出来ましたが、また間近になって怖さが襲って尻込みするかもしれません。少しずつ、励ましていこうと思います。


去年の長女の中学卒業時もどこにも行かず、今年も全くどこにも出かけない、って悲しすぎると。
春休み、私の実家の方の墓参りと弟宅にずっと挨拶にも行ってないので、それも兼ねて一泊旅行を計画中。
私の田舎のちょっと先へ、劇団後輩が嫁いだお蕎麦屋さんに昼ご飯を。観光客も廃れてきて、コロナでかなりお客さん減ったそう、表敬訪問。
ちょっとだけ県をまたいでしまうけど。
温泉に一泊、美味しいもの食べて上げ膳据え膳。

でも、長女は何故か海、湖、川、水全般を見るのも恐くなった。テレビで映像が流れても目を伏せる。バタフライまで泳げるような人が。
なぜ?
旦那が数年前の福井、金沢方面の旅行で、何か、いや、誰か連れて来てしまったのではないか?と言う。東尋坊に行った際に。

ついてるのかなぁ、ドキドキ。

湖畔の温泉、一泊、行けるかな、ドキドキ。


今月は、様々、ドキドキがいっぱいです。

雨上がりで、強風、セーター着て家事をしたら汗。

今週のお題「花粉」
今日は一気に暖かく、恐ろしく風が強くなっています。ゴワー、ゴワーっと風の音。

道路の凹みの水溜まりが波打っています。

「花粉」ぶっ飛んできてますね。コワイコワイ。

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私の花粉症歴は大変長い。

もう何年間のお付き合い?
40年以上ってことか。
花粉症と言う名前すら聞いたことがないような時代からだ。当時は薬すらあまりなかった。

元々アレルギー体質で、小さな頃から身体も弱かった。すぐ熱出してましたね。
身体弱いのに足速くて、体育得意って、ちょっと変ですね。いや、運動神経と体力は関係ないか。
運動のおかげで『身体が弱かった』なんて、今は想像して頂けないほどになりました。
最近は歳相応に怪我や病気に気を付けないとならないなとは感じておりますが。



小学生高学年から中学、季節になると学校でも箱ティッシュを持ち歩きたいほど、くしゃみ鼻水。
中学の時、係りで職員室から先生の資料を運ぶのを手伝ったが、ほんの2教室先に運ぶだけなのに、連続くしゃみで前になかなか進めず、前を行く担任に爆笑された覚えがある。
あんなにひどいのに、よく剣道部やってたなぁ。


花粉症なんて言葉はなかったから、医者では「アレルギー性鼻炎」と言われ、その言葉も聞きなれない、知られていないような時代、薬もあまり効かなかった。
ある時、市販の薬「アレルギー性鼻炎には○○」とテレビCMに流れ、やっと市民権を得た心地になったことを覚えています。


生まれは、観光客も来るような街っ子ですが、小三の時にど田舎に引っ越し、周りの山々には杉も檜もいっぱい。
その後数年で発症することになるんですね。


今、私は、真冬と真夏以外、花粉症です。

スギよりもヒノキの方がひどいので、今よりもっと後の時期がひどいですね。
カモガヤやイネ科もですが、ヨモギもダメ。たくさん有りすぎて覚えてません。

花粉だけじゃなく他もあるので、息子同様、毎日アレルギーの薬を飲んでいます。


悩めるお歳なので、眠れない事も多々、寝不足だと必ず翌日の症状がひどい。
雨の日にひどかったりもします。
両方の鼻の穴にティッシュを突っ込んで生活したり。だって、意識なくポタポターって水が鼻から。ひどい時は寝る前に頓服も飲みます。ひどく眠くなるので、昼間は使えません。

なんか、ひどい、の言葉オンパレードだな。

長女はGW中に生まれたので、ひどい時期と寝不足続きで、さらにひどい症状が出て、退院後の約一ヶ月間、旦那の実家、今のこの土地に建っていた古い家屋の二階で初子育て。すでに自身の母親が他界していたので、旦那と義母が気を遣ってくれて。
きれいじゃない家で花粉以外のアレルギー症状も出て、ほんとに辛かったです。

洗濯や食事もしてくれたので助かりましたが、食事は塩辛くて食べれない物が多いし。早く自分達のアパートに戻りたかった。
早く亡くなった母親を恨んだもんです。

だから、娘の初子育ての時は生きていてやりたいとずっと思っていて、人生の目標です。

頑張って、身体大事に、鍛えなきゃ。

もうお雛様はしまいましたか?何だかヒソヒソ声が聞こえてきそう。

我が家は翌日に、とりあえず、お二人には後ろを向いて頂きます。
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土曜日は日が良いですが、天気があんまり良くなさそうですね。
どんよりした日、じめじめした雨の日なんかには仕舞わない方が良いし。来週まで待ってみようかな。

後ろ向きのお二人って、なんか水入らずでヒソヒソ話してそうに見えませんか?

「ふぅ、やっとお役目終えましたね」
「はぁ、肩凝りました~」
「毎年、このタイミングが一番好きです」
「見られないし、リラックスできますね」
「また、箱の中に入る前にたっぷり深呼吸しておきましょう」
「私達のご主人、大きくなりましたね~、びっくりしましたよ、もう数年したら一緒にどこかに引っ越しでしょうか」
「いや、まだまだでしょう、ここ、新しくなってまだ数年ですよ、居心地良いからまだずっと先ですよ」
「ああ、そうですね、きれいな場所になりましたもんね」
「せっかくきれいな良い居場所を用意してくれたからもっと、もう少し箱に入るまで楽しみましょう」

なんて言ってませんか。


前はちらし寿司など作ったり、和菓子を買って来て、お薄をたてていただいたり、してました。
うちの子、ちらし寿司好きじゃないし、お抹茶好きですが、まんじゅう苦手、特別な事をあまりしなくなりましたね。

あー、そう言えば、初節句の時にはまだ私の父が生きていて、田舎から高速とばして車で来てくれましたが、その時に美味しそうな色んな和菓子を買って来てくれた事、思い出しました。



そして、今年は、私も体調不良から全快とはならずでした。何とか夕飯の買い物には出かけ、そこで長女にチーズケーキを買って帰りました。

夕飯は、自分も食べられそうで、長男が前から食べたいと言っていた手作り鶏団子入りの鍋にしました。長女も鶏肉は大好き、豆腐もたっぷり入れお腹に優しいあったか鍋。
雛祭りっぽくないけど勘弁。
長女はデザートにチーズケーキ。

今年はこんな感じでした。

久しぶりの病気で動けないってこういう事だったと思い出した。

週末、旦那がやりたいと言うので寒空バーベキューをベランダでやった。
寒くて煙くて、でも炭火焼きはうまい。
旦那も長男も楽しそうにしていたので、よし、です。
次の日、バーベキューの材料がビミョーな残り
、工夫して夕飯のメニューに加える。

偏食の長男以外はみんな箸をつけたはず。

前日の身体の冷えが影響していたのか、その夜中お腹の中が冷たい感じ、時々キューっと胃を掴まれる感じ、痛くて眠れなかった。

痛さで気持ちが悪い。

とうとう3時頃、トイレに走る。
下と上からキラキラ、何度も。
げっそり。
何とか布団に戻るも動けない。
幸い、長女は三年生の卒業式で一年生は家庭学習、休み。早朝の弁当作りや朝食準備がない。
そして、幸い、旦那も仕事は夜から。

ご飯や洗濯物はお任せだ。
いつも長男と一緒にやる朝の運動、前はグランドまで走りに行っていたが、寒さのぶり返しに心折れて、今は庭先で木刀素振り。この日は旦那が一緒にやってくれた。


同じメニューを食べた旦那も長女も何ともない、何故私だけ、いや、私だけで良かった。
最近、毎日ビール一本だった、美味しいものの誘惑に負けている。そのせいで胃腸の調子がいまいちだなと思っていた。


朝も昼も何も食べれず、ポカリだけはよく飲んだ。やたら喉が乾く、熱い❗️どうやら熱が出てきた。ただの食あたりではなかったみたい、ナンチャラウイルスか、胃腸風邪ってやつか。
こんな時期に熱なんて、なんてことだ、熱、ってだけで保健所に回されそうだ。
でも咳も息苦しさも全くないし、コロナじゃないと自分に言い聞かせる。
熱のせいなのか、下痢嘔吐の体力消耗か、動けない、身体が鉛になったみたい。時々キューっと胃が痛い。悪いヤツはまだ身体から出切ってないようだ。

夕飯は旦那がレトルトカレーを買ってきた。
私にもお粥のレトルトを、その日初めて食べ物を口にしたが、不味い、吐きそうになったが堪えた。
この日はスマホを持上げ見ることもしんどい程だった。


翌日、今朝は熱もなし。
だが、身体が重い、頭痛がひどい、まだ胃もおかしい。
長女の弁当と朝食を作り送り出す。
彼女も今朝は元気なし、アレルギーがひどくなっていて、朝の頓服も目薬も差してダルい、と言って出かけた。花粉症は辛い。長女はこのスギ花粉の時期が中心なので、今が一番辛い時期だ。私と一緒で何故か雨の日の方が酷かったりする。
頑張れ、あと少しで連休、こんなに休みなんかー、ってぐらい3月は授業がない。受験が始まるので在校生は休みになる。


雨なので洗濯物を室内干し、不登校長男は甲斐甲斐しくお手伝い。自分の朝食も自分で準備。トーストを焼いて、セノビー入りのココアを作る。
お母ぁもなんか食べないと駄目だと言われ、食べたくないが、何とかスティックパンを二本食べた。

会社に休み2日目の連絡を入れる。
前はちょっとの熱ぐらいで動けるなら行っていたが、今はちょっとの体調不良でも休まないといけないし、休む方も休まないと駄目だと言う意識が高くなっている。
だけど今回は本当に動けなかった。久々に身体が重くて動けないってこんなだったか、と思い知った。


その後も長男は甲斐甲斐しい。
昼食も自ら冷凍パスタをチンして食べて、また私にも麺なら食べれるんじゃないか?など言ってくれるが、また朝と同じスティックパン二本で勘弁。

基本、ずっと横になっている。
ずいぶん身体も動くようになったが、頭痛と胃痛がなかなかよくならない。


きっと、食べ過ぎだったんだと思う。コロナで美味しい物食べる、作る、が常になっていたような。
今回は、身体からの警告だなと。
これを機会に美味しいもの食べ過ぎ注意とビールから緑茶に戻そう。前みたいにビールは週末だけにした方がよさそうだ😅


また元通りの元気な母ちゃんで、自らやると言った長男の体力作りに参加したいと思います。
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素振りする姿が懐かしく、胸がキュンとなるほど嬉しい母です。

御殿の組み立てがある雛人形は大変で長続きしません。

今週のお題「雛祭り」
いつも節分が終わるとお雛様を出す、ってタイミングで、いつもは旦那がやってくれることが多い。去年も長女の受験や学校対応でバタバタだった私は、買い物ついでに雛あられなど買って飾られた雛人形に御供えする程度だった気がします。
今年は、旦那がちょっと前までまた忙しさと闇落ちしていたため(現在は大分よくなってきています)、節分もお印程度で終わったし、その後すっかり忘れていて、スーパーで雛あられを見て思い出しました。ちょうど、あっ出さなきゃと思った休日が「建国記念日」大安吉日、私が今年は飾りました。

以前にひな人形自体は写真をアップした気がするので、(もうすぐブログ2年継続で記事が250もあって何を書いたかどんな写真を掲載したか、おばさんの記憶はあやふや)今年は、家のどこに、いつも飾るのか分かるような写真で。
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私達家族4人の生活スペースである2階から階段を下りてくると、一階廊下の棚、目の前に見えます。
一階廊下の壁は棚になっていて、家族全員のタオル、バスタオルなどがカゴに入っています。
その上に見ての通り、賞状や免状の額、旅の思い出の品などが飾ってあり、ひな人形や五月人形、クリスマスの飾りなどが出る場合は、賞状の額をずらしてスペースを作ります。


五月人形も同じように手軽に出せる木目込み人形タイプです。雛人形は亡き私の父親が買ってくれたもので、長男の時はもう父親はあの世だったので、同じ店で、同じように小スペースで簡単に出せるものを買い揃えました。


私の雛人形は、昔ながらのフル装備で飾るスペースはいっぱいいるし、ひな段を組むだけでなく、最上段は金屏風ではないんです!
何と、木組みの御殿を組み立てないとならない😅
毎年、母と2人で出すのに一苦労、そのうちもうしんどくて出さなくなりました。実家にいくつもの箱に入ったまま置きっぱなしです。

そのすごい豪華雛人形は、母親の父、すなわち私の母方の爺ちゃんが私に買ってくれた物です。私は初孫でもないのですが、建設業の親方で『頑固じしい』を絵に描いたような人で、他の孫をあやしたり、抱っこしたりしなかったらしいおじいちゃん。
外孫で初の女の子の私を、唯一溺愛していたらしいです。
雛人形も、嫌がる母親の反対を押し切って店で一番高いやつを買ったらしい。
小さい頃に亡くなったのでうっすらとしか覚えていませんが、可愛がって頂き感謝。
でもあの大変な雛人形と、でかくて不気味な市松人形、きらいだった。申し訳ない。


その経験あっての、娘の簡単に出せる可愛い雛人形


娘の雛人形も可愛いですが、我が家の仲良し姉弟もかわいいお内裏様とお雛様ですよ。

長女は学年末テストがすべて終了、弟に「ちいー、何かゲームやろうよ~」※(ちいー、とはチビの呼び名が進化した呼び方です)
嬉しい長男。
2人で相談しながら、あれこれ突っ込み入れながら、色んなゲームの体験版をやっています。
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小6弟とJK姉、まだまだ仲良く遊べるようです。平和なワンシーン。健やかな成長あれ。

レーズンパンフリスビーの達人

今週のお題「告白します」実は、昔々、小学生の頃、自室の窓から給食のレーズンパンを投げて捨てていました。

パンは今も昔も大好きですが、レーズンが大の苦手、しかも昔の給食のレーズンパンってレーズンがジュルン、ブヨンとしててさらに不味い。地域差があるとは思いますが。
パンは好きなのにレーズンパンの日は超ガックリでした。

食べ物を捨てるなんて罰当たりなことですが、昔って給食は残さず全部食べなさい、って指導で全部食べるまで掃除の時間まで食べさせられてましたよね。アラフィフの田舎育ちの方なら、この苦労、分かち合えるかもしれません。


私は食べるのが遅くて、掃除の時間まで食い込むことが多々。好き嫌いも多い方だったと思いますが、小学生の途中までいわゆる『受け口』(噛み合わせが上下逆)で、噛みことに時間がかかったからだと思います。

その上、レーズンパンだと食べれなくて、机の引き出しにトースト型のレーズンパンを隠すようになりました。

こういう人、けっこういないですか?

学校の引き出しからカビだらけの食パンが出てきたって話よく聞きました。


給食ナプキンは毎日持って行く学校習慣だったので、私は一旦机に隠したパンを、あとで給食ナプキンにこっそり包みランドセルに突っ込みます。
たまにレーズンパンだけでなく、食べきれなさそうだと思うと普通のパンも入れることもありました。
ランドセルに突っ込んだパン、家に帰っても食べられないし、残してきたのがバレると母親に怒られる。ゴミ箱に捨ててあってもバレる。

幸い、ど田舎。私の家は隣接した家はなく、周りは林か畑か田んぼ、しかも2階の私の部屋の窓の向こう、庭を越え、畦道の向こうは草ボーボーでめったに手入れもない空き地が広がっている。

夜の闇が来てから、ランドセルからパンを取り出し窓全開にして、フリスビーの要領で草むらに投げ捨てる。草ボーボーなので全くパンなんて見えなくなります。
たまには畦道に落ちたり、方向がビミョーにずれて畑に落ちパンが丸見えの時も。

でも焦らな~い❗️

ど田舎ですから。

夜になったら、動物ぐらいしか通りません。私の実家、突き当たりの家ですから、道の先は川です。街灯もなく真っ暗です。懐中電灯がないと歩けません。基本夜は誰も通りません。

翌朝、学校行く前に、しれっと拾って草むらにポイっでオッケーです。

休みの日でも大丈夫、寝坊しなければ。
普段から朝起きるのは母よりわたしが先なので。

何年も続いた捨てられたたくさんのパン、草の肥料になっていたか、カラスや他の鳥、虫の、あるいは動物のエサになっていたことでしょう。


でもたまにランドセルのパン忘れて入ったままになってたこともあった気がします。机の中のカビたパンじゃなく、ぐしゃぐしゃのランドセルのパン。あ、机の中に忘れたパンもあったかもしれない。遠~い記憶。
私のランドセルの中、パンの臭いがしたと思います。なんなら、教科書もパンの臭いがしたかも。いや、きっとしてたな。


今は食べられるだけで、多かったら戻しなさいって無理強いしない給食指導ですよね。だから、机の中のカビパンもランドセルのグシャパンもあり得ないと思いますが。


ちなみに、受け口は歯医者で矯正してません。当時の掛かり付け歯医者さんが、「このアゴの状態なら子供だし、テレビ観ながらずっと割りばし噛んでなさい、そしたらいつかスポッと上がはまるわ」そんな風に言われ、母親に割ってない割り箸を渡され、本当にテレビ観ながらクイクイ、ある日突然、普通の噛み合わせになりました。


パンの臭いは、今も昔も、切っても切れない縁。
本日、休日のお昼用、黒ゴマ入りチーズポンデケージョ。切り餅の残り物で簡単に美味しく出来ました♥️一口食べた長女の目がキラッ✨と、まぁるくなりましたよ。笑顔ゲット。
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不登校HSC長男の様子がちょっと変だった話しをこの前しました。
y-k-akado0725.hatenablog.jp

涙を流し、「告白されました」
学校が怖い理由。
ようやく、吐き出してくれた。
教務のT先生が苦手で、最近のある日、傷つくことを言われてしまったようです。
教務なので、担任以外でうちの子の対応をしてくださるのがT先生、去年うちの学校に赴任した新しい先生です。いつもの中学のスクールカウンセラーさんとスケジュール調整など繋げてくださるのもT先生、給食登校時は授業中のため、担任を持たない先生が玄関で出迎え給食食べる部屋まで連れて行ってくださるのですが、ほぼほぼT先生。
新しい先生で初めて会った私の印象は
「え?せ、先生?教務って今おっしゃった気がしたけど先生なんだ。事務員の方かと思ちゃった」

悪い先生ではないんですが、とても事務的な印象でして、なんと表現すればよいか。暖かさが伝わらない?

新しい先生なのでまだ長男と信頼関係ができていない上、ちょっと苦手なタイプです。実は私も。
学校に送って行く時は、怖さが襲って来ないよう、道々たわいもない話をしながら歩いて行きます。さっき観ていた動画や映画の話しや、気が紛れるような話をするようにしていますが、玄関で靴を履き替えながらも話しが続いてしまっていた時があり、学校に着いてT先生が迎え出て下さった時「先生今忙しいんだ、早くして」と角から呼び込まれ、急かされてしまったことがありました。
「あ、すみません、宜しくお願いします」
と私も忙しいのに申し訳ない気持ちとちょっと苦手だなという気持ちと同居していたことがあります。
もちろん、こんな言葉誰だって言います。担任先生だって前の教務の先生だって忙しいタイミングで来てしまったことも多々。ニュアンスというか、言い方が他の先生と違う、めんどくさい気持ちが見えてしまう言い方というか。
うちの長男は敏感です。HSC、他人の気持ちを読みます。すぐ伝わります。
傷つくことを言われたって言いましたが、何を言われたかは絶対に私にも言わないそうです。
ただ、給食登校に行って玄関から職員室前の長い廊下をT先生と歩く気まずい空気が怖い、会議室で同級生が給食を持ってきてくれるまでの時間が何時間にも思えて怖いそうです。
私に言うと担任先生に絶対言う、担任先生に言ったらT先生に伝わって、T先生が落ち込むじゃないか、可哀想じゃないか、と言うんです。先の先を想像し、一人苦しんでおりました。


本人が落ち着いてから、提案し担任先生にお願いしてきました。みんなとの給食は楽しいけど、学校が怖くなってしまい、玄関から会議室の道と皆が来るまでの時間が辛いので、母が部屋まで送ってみんなが来てくれるまで一緒に居ることに。
最初は「六年生にもなってずっと母に付いてきて貰うなんて恥ずかしいだろう」と変なプライドがありましたが、あと数回しかない給食、楽しい時間なら、そこへの道のりが怖くて行けないよりはよっぽど良いと思うよ、と。
担任先生も賛成でした。ありがたい。


おやつに長男の好きなチョコクッキー手作り。
今日は、チョコチップ入りチョコメロンパン風クッキー。もうちょっと丁寧に丸めたら、もっと良い出来でしたね。
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