YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

過去からの贈り物

先日、古い古い知り合い、いや、知り合いって言葉では軽すぎる。

師匠?先生?友人?仲間?戦友?んー、どんな言い方が合うのか分からない存在の人。

その人にとって私は、『何でなのか会わなくてもずっと気になって仕方がない古くからの仲間』らしい。

10歳ほど年上の女性のその人が、わざわざ、繁華街のお洒落な店の美味しいランチとそのあとのお茶(コーヒー)もおごってくれた。

そして、帰り際にはプレゼントも。

一緒に行ったもう一人の『気になって仕方がない仲間』と色違いのお揃い。
濃い色か薄い色か好きな方でと言われたので、濃い方を頂いた。どう見ても私らしい方がこっちだったから。

1月15日から3月31日まで私が派遣で働くことになった場違いな繁華街のキレイな高層ビル内オフィスの下の階にあるカフェの前で渡してくた。
(正社員登用で再就職活動をしたけど、どこも面接まで行かずに不採用で萎えて萎えて…またその話は別の機会に)

「オフィスカジュアルで、って言われたけど、持ってない。ハンカチもいつも景品とかでもらったタオルハンカチ、それじゃまずいから、これ、使わせてもらいます。」



仲間と言うにはおこがましく、初めて会った時は『先生』と『生徒』だった。

遥か昔、劇団員になる前、劇団の養成所、演劇の授業で外部からの先生としての立場だったが、名のある流派の日舞の先生でもあるその人は、大きなお腹をしてスタジオに座っていた。
娘さんを妊娠中だった。

日舞の師匠でもあるが、その中ではやはり異端児、踊りより演劇をやりたい人。
演劇のつながりで結婚した旦那さんと娘さんの3人家族、うちと同じように経済的な苦労を長年してきた。いつも自転車でケガしている印象だった。それもそのはずで、朝刊の新聞配達とヤクルトレディと演劇の授業と日舞の先生、いくつもかけ持ちの生活。


その人の日舞の舞台を、都合をつけて出番の所だけ久しぶりに観に行った。いつものように案内状と招待券が届いたし、引っ越しする前に会いたいと書いてあったから。

そして、公演後の楽屋で、「えー、あんたち二人は絶対来れないだろうって思ってた~」衣裳を脱いだ汗だくの下着姿のまま、抱きしめられた。ビチョっとなった。www

「ごはん、ごはん行こう。来年引っ越す前に。な!奢るから、お前に奢りたい。お前達2人と御飯食べたいから都合調整してー」
と、その日連絡を取り合って一緒に劇場へ足を運んだ養成所時代の仲間Kに要請する。
実はKは私の劇団同期と結婚し、娘さんは過去不登校児、そして、彼女は乳癌サバイバーだ。
吹けば飛んで行ってしまいそうな体つきは病気のせいもあるかもしれないが、昔っから細身で手のひらに顔も全部入っちゃうほど小さい可憐な子。


幸い?
私は仕事を辞めることになり、有休消化でスケジュールを合わせやすかった。

引っ越すのは、長年住まいとしていた賃貸が取り壊しとなることと、一人娘さんが30歳にして結婚することになり、旦那さんの実家が空いているので娘さん夫婦とも同居することになったらしい。

先生は店が分からないから、いいとこ探して、どこでもいいとのことで、店の予約やスケジュール合わせはKがしてくれた。
というか、先生も私もそういうことは自然とKにお任せなのだ。級長みたいなポジションだったから。
もちろん、どんな店がいいかはLINEで私も相談にのり、Kは量も、油っこいのも食べれないからとのことで、私が豆腐料理のお店はどう?とおすすめした。私もこよなく豆腐が好きだから。


Kにとっては、先生は尊敬する先生という存在でしかないが、私は少し違う。いや、もちろん尊敬してますが。

私達が通っていた養成所は昼間の授業ではなく、皆昼間は会社員だったり他の学校に通いながら演劇を学ぶ夜間だった。Kは会社の総務課の主任だった。
私も昼間はアルバイトをしながら夜間の授業に通い、その後皆が劇団に入れるわけではなく、半年毎の発表公演後、そのクラスでは私とKの旦那だけが劇団へと上がった。
その後は新しく入ってくる夜間授業クラスの子たちも含めK達の授業の手伝い、先生が演出する発表公演の演出助手などをした関係で、Kたちの仲間ではあるけど、副担任でもあるみたいな、微妙な存在になった。

そして、K達が卒業し普通の生活に戻っていったあとは、劇団公演で先生と一緒にスタッフしたり、また先生独自の芝居の公演などに出演したりスタッフとして手伝いに入ったりしたため、先生ではあるものの、苦労をともにしてきた戦友のようになっていった。

そのうち、先生も家庭や日舞の方の活動が中心になり、私も演劇から離れ結婚や出産など、お互いに、めったに会わない存在となった。

でも、服装も似たような趣味(ランチの時カーキ色のトップスがかぶってた!)、言葉使いも男言葉で、上から物申すような人に対して物申す人、黙ってりゃいいのに言っちゃう、世渡り下手で、お金もないのに後輩や生徒が困ってたらお金を代わりに出す、常に貧乏生活がついてまわる。
ランチでの会話で、お互いにすっかり、キャラがかぶってるんよ、と認識した。

高層ビル街のお洒落な店には場違いな感じなのよね、私と先生は。

なんで、先生が私とKが気になって仕方がないのかも分かった。

先生と同じく、旦那が演劇人。

優しいけど、自分にも優しいから苦労する配偶者との生活。


先生は、芝居を書きたいのだそう。
何年かかけても。
そして、私達に出演してほしいのだと言う。
私に剣を持たせて舞台に出てほしいのだと。

田舎の方に、引っ越すので、ちょっと焦って前のめりになったらしいが、ちょっと落ち着いたとのこと。


私はもう演劇にも、舞台にも興味はないけど、
お互いの苦労を乗り切った先に、どうしてもというご要望がくれば一肌脱がなきゃならんかな?

そのいつかの日に、それまで、お互い元気でいようと約束して別れた。


そう、元気でいよう。