YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

板の上、世代交代は進む

ドラマのお題が出たので書こうかと思いましたが、小松さんが亡くなったニュースが飛び込んで来たので、後回しにして、板の上の事(舞台の事)を少し書き残そうかと思いました。


小松さんの師匠は亡き大スターで、その師匠と私、端役で同じ板の上に立ったことがあります。もちろんその大師匠が座長の舞台です。

でも、あれ?何か小松さんにもあった気がするなぁ、と思って、昔の資料を見返していたら、同シリーズの次の作品に出演されていて、同じ板の上立っていたのはやはり端役で出ていた旦那でした。

あぁ、だから今朝の旦那の一言「小松さん、亡くなっちゃったね~」だったのかと。

同シリーズだったので、友達になった東京からの出演者も居て、さらにうちの若いもん達が数人端役で出ていたので失礼のないよう、初めの頃の準備品のアドバイスや陣中見舞い、ご挨拶に楽屋に行きお見掛けしただけなのかと思います。

遠い昔の記憶です。

今朝も旦那に「ねえ、Tさんって知ってる?よね?今度舞台共演するのTさんの甥みたいなんだけど、Tさん、なんかチャキチャキっとしたおばさん」

聞いたことあるような名前……遠い昔の記憶です。

旦那に「んー聞いたことあるような名前だけど、もう昔の芝居の事とか覚えてないんだよね~」と。
旦那:「え~❗️そんな寂しい事言わんでよ」


本当に、何かのきっかけで思い出すことはあるんですが、忘れていることがとても多い。


だから、小松さんのことも楽屋で姿をお見掛けしてた時の残像のようなものが思い浮かぶだけで。
「お世話になります」と挨拶をしたのか、しなくてお見掛けしただけなのか……思い出せない。


今回、お亡くなり記事をいくつか読ませて頂いたことと、昔のその旦那が出演した方の舞台のパンフも残っていて、小松さんのこと、大師匠の言葉にありました。あいつと話すと舞台の話で夜が明けてしまう、と。
舞台をこよなく愛してらしたようです。
テレビでも大活躍でしたが、基本は板の上がお好きだったようですね。
ご挨拶したのかしなかったのか、思い出せません。
失礼ご容赦ください。
その節は、若いもんがお世話になりました。
ありがとうございました。
父親代わりだった、男気たっぷりお師匠様に今ごろ「おいおい、まだお呼びじゃないぞ」と言われてませんか?
ご冥福をお祈りします。


少し前には、私の養成所時代の舞台演出もしてくださり、ちょいちょいその後も頼りに呼んで頂いた方も、ご年配で黄泉の国からお呼びがかかるお歳ではございましたが、ガンでお亡くなりになりました。

先にそちらに行っています。
舞台の話、思う存分してください。


そろそろ、私の同期達の年代が必死に板の上を守っていく時代になりましたが、悪い時代です。
私の時代も舞台だけで食べていくのは困難な時代でしたが、演劇、舞台ではますます食べて行けず絶望的です。
公演自体が成り立ちません。
コロナ対策でお金をかけて公演決行しても席数減らしや入場制限で黒字にはなりません。
今度の旦那の舞台も文化財団から補助金が出るから成り立つのと、元々は一般から募集しオーディションで素人さんの発表の場の舞台でしたが、コロナで一般募集が出来ず急遽、中止にはできない諸事情があるため、周辺舞台俳優に出演の依頼が来たものです。

演劇は、このまま、どんどん衰退の一途を辿って行く運命だと、感じていますが、一部の小さな灯りは細々と長く消えないで進むでしょう。ファイト🚩

天の上の方々も衰退を悲しみながらも、ご理解頂けるのではと感じています。

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