YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

どんなバイトした?バイト歴多数あり、書き残してみる①

長女がバイトしたいって言うが、果たしてこののんびりマイペースなゆとり世代のJKに勤まるのかと心配だ。

でもそれは母親側から見た長女。第三者から見たら違うかな~。でも中学の担任で部活の顧問であった先生が「マイペースで私からするとイライラすることが多い」と言った時、「お母さん、それがアイツの良いとこですよ」と。やっぱりはたからみてもマイペースか。
県立高校だからバイトは禁止、一年生は部活に所属は必須、なので時間的にも無理。つまらない楽しくない部活を二年生で続けるのか疑問。
特別理由があればバイトも許可される。
うちは十分、経済的理由が成り立つ。

パン職人になりたいパン好きな彼女、前々からベーカリーでバイトしたいと言っていたが、以前には常に貼ってあった求人広告、今はどこも提示していない。コロナ禍の影響だろう。


私も劇団若手の頃、パン屋さんでバイトしていたこともある。店には出ない。裏方だ。
というのも、早朝からのバイトで昼前に終わるから、劇団の稽古には影響が少なく、一応、公演や公演前の追い込み稽古で時々休むことを了承してもらってのバイトだった。ご夫婦で営むお店で、表側、店頭は奥さんとパートさんが一人いたような記憶。何年続いたかなぁ、けっこう勤めた。今でもマスターから年賀状が届く。私が働いていた頃、赤ちゃんと幼児さんだったお子さんに子供が出来、孫が可愛いとメッセージもある。お店は私が辞めて数年後に、経営が難しいと閉めてしまい、ご夫婦一緒にチェーンベーカリー店の雇われの身になった。

朝五時半には、サンドイッチ作りながら、マスターの補佐、トッピングや、主にはでかいオーブンで焼き担当でした。しょっちゅう天板で火傷していた。
出勤前のお昼ごはん用に買っていくお客さんに間に合わせるために時間との勝負。焦がしてしまって、マスターがブチギレたこともあります。でも、よくやった、できたほうだと思います。持ち前の腕力、脚力。だから、いまだに年賀状をくださるのだと思いますが。

劇団の方が若手から中堅になりつつあり忙しく、そして失礼ながらお安い時給にしんどくなり、元のバイトの業種に戻ったかと思います。

以前書いた気がしますが、元々は長く配膳人紹介所所属で、ホテルレストランでウェイトレス。英語がある程度活かせて、重宝されていたのですが、黒服さんの一人と口ケンカしてその日に辞めた。公演の度に、一週間ほど休むことがあり、良く思ってなかったのは気が付いていましたが、支配人はじめ、他の黒服さんにも若い社員やバイト仲間に応援、ご理解していただき、出勤の時は精一杯目一杯オーダーこなして働きました。
「一週間休む?ふざけるな」の言葉から芝居をやっていることを侮辱され、辞めちまえと言われたので、「分かりました辞めます、長くお世話になりました」と一言放って、その日に辞めました。
制服をお返しがてら支配人の事務所へ急に辞めることのお詫びとご挨拶に行きましたが、思い直すよう引き止められても、武士に二言はない、といったところ。無理です、申し訳ないとお詫びし、これまでの御礼を伝え、去りました。

このホテルに配膳人紹介所から派遣で専属になり、長くお世話になりましたし、朝食6時から出来る時はランチ終了の2時まで、毎日パントリーは戦場のようでしたが、料理皿4枚、ライス皿なら5枚一度に運べるようになり、ワインやシャンパンの開け方もここで培いました。
調理場とパントリーの間の役割、オーダー表を見て何番テーブルに何をいくつ運ぶか、ホールの人間を大声で呼び止め出来上がった料理を運ぶよう指示を出す、オーダーを通すポジション、デシャップ。
スゴく度胸と機転を要し、体力ないとできない大変なポジション。通常は社員が交代でやりますが、バイトでは一人ローテーションに入っていました。調理場の気の荒いシェフ達相手に、出来上がった料理は冷めないうちに、次に料理を見極め、ライスなのかパンなのか、サラダが必要か、パン焼いておく、ライス盛っておく、冷蔵庫からサラダ出しておく、パズルを解く頭脳と素早く動く運動能力、後々の貴重な役立つスキルとなりました。
舞台の裏方スキルにも大変役立ちました。



パン屋さんの後は、劇団の稽古、公演、たまにテレビやラジオの仕事なども入るようになったので、より融通の効くバイトが必要でした。
そのため、別の、以前所属していたところから独立した人の配膳人紹介所に入り、黒服さんランク程の時給を頂き、固定の場所に勤めない、ヘルプポジションで働きました。
公演や稽古都合で、バイトが出来る日と時間を選んで、あちこちのレストランやホテルへ単車で駆けつける。
忙しく固定スタッフでは足りない所へ派遣されるので、ポッと初めての場所へ行っても役に立たないといけません。紹介所の評判にかかわるので。
立食パーティーの大皿運びやビールケース運び、大量の下げもの、力仕事、婚礼も良く入りました。着物の事も分かるので、重宝され、婚礼の流れ、段取りが分かっているため、よくご両親のテーブル担当にされました。立って一礼するタイミングや、ご挨拶の誘導等々が分かっていないとなりません。


紹介所とホテル、レストラン側の約束で、ヘルプの人間は指名できません。何日、何時、何名、(但し、時給の上限は依頼出来るようです、1200円以下の人で、とかあるようです。予算があるから)
スケジュールが合っても、依頼ランクが合わなくて、よく紹介所側から「ごめん、時給下げて行ってくれる?いい?」と言われました。
指名はダメですが、何ヵ所かとは馴染みになるし、こっそり担当から私がいいって言われたんだけど空いてない?とか、いつもの所に派遣で行くと、「明日も空いてない?会社の方には言っておくから」など当日依頼されたり。
久々な場所に派遣されて行くと「やった~😃Kちゃんだ❗️助かった~」と黒服さんに喜ばれることも増えました。呼んだ側は、当日まで誰が派遣されて来るのか分からないのが普通なので。
現場でよく一緒になる男の子もいて、ツーカーな仕事分担が出来たりするので、二人一緒になると依頼担当の黒服さんは「ラッキー、KちゃんとO君じゃん、今日は楽勝ですよチーフ」と俺、良いくじ引き当てたでしょう、的な様子が面白かったです。

期待して頂く分、二人揃うと連携良く効率良く、しっかり働くようにどんどんなりました。
ちなみに、最初のうちは大学生で卒業してからもやってたような子だった気がします。かなり歳下なので、重いものなど率先してやってくれて、それに身長高いので、小さな私が届かない備品なども、ヒョイッと、私の頭の上から😅

そのうち、その紹介所からも枝が伸びるように独立した会社を作った所に出向することも。
所属派遣会社の社長とは、すっかり仲良しで、難しい所にも時給を下げてでも行くようにしていたので、かなり融通をきかせてもらいました。芝居の小道具で備品もこっそり貸してもらったこともあったと思います。
その社長から、枝分かれした先の会社の代表Aさん所のスタッフとして、いくつかの現場に行って欲しいと頼まれました。派遣先ホテルの最初の印象が大事だからと、私やO君や、他の古株も。飛び出して辞めたAさんなのに、親心だなぁと社長の人柄に感心しました。社長と言っても、デスクにいることは少なく、同じように現場に黒服着て毎日出ているような方です。いつもヘロヘロになってた印象。
そんなヘロヘロなガリガリしたおじさんに「Kちゃん、お願い、この日、ダブルお願い、ほんとお願い、人数足りない」って言われると、しんどくても劇団の方がなければダブルヘッダーに行きました。朝から昼過ぎ3時までレストラン、急いでバイクに股がり、次は4時からホテルの宴会場で、夜のパーティー準備から片付けまで9時10時。これ、ほんとしんどい。第一現場の仕事終わり3時頃昼ご飯、次の現場、パーティー開始前に4時半にまかないの夕飯、なんてこともざらにありました。さすがに食べれない。


劇団、演劇の世界も不健康、バイトも不健康でしたね。

あっちのレストラン、こっちのホテル、YAMAHAのZealにまたがって、このバイト、結婚しても続いていました。


高校生で初めてバイトして、そこから色々やりましたが、また次のお話で。