YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

お弁当作りは力抜く・手を抜く・トマト抜く

今週のお題「お弁当」
ほとんど毎朝お弁当作り、自分の、JK長女の、不登校長男の、そして、たまに夕方に旦那用の。


初めてお弁当を作ったのっていつですか?

私は遥か昔過ぎて記憶にない。

小5の頃には平日ほぼ毎朝、家族皆の味噌汁と父親の弁当を作って、朝ごはんをかき込んで、学校へ行っていた。
なんか、トトロのさつきみたい。


私は長女で、下の妹弟は双子、8年の歳の差ですが、妹の方が小児喘息が重く入退院を繰り返しており、母親も身体が弱い方だったので、妹にかかりきり、朝は起きて来ません。
ご飯は前の晩にタイマーで母親がセットしてあり朝炊けていますが、母が「味噌汁を作っておいてくれ」、父が「おかずがなくてもご飯を詰めて梅干しだけでもいいから弁当を作ってくれ」
こんな感じで小4ぐらいから始まった朝食と弁当作りは小5には当たり前のようにすばらしいスピードでこなすようになっていた。

だって、そんなに早起きじゃなかった。
初めの頃はもっとかかっていたから6時半ぐらいに起きていたのかもしれないが、どんどん手際が早くなり7時ちょっと前ぐらいに起きて、7時36分のバスに乗って学校へ行っていた。


うちは田舎で学区の範囲が広い。
山から30分近く歩いて来ている子もいたと思うが幸い私達の部落は国道へ出れば、バスが通っており、隣2つの部落とともにバス通学、私達の早バスと15分ぐらいあとの遅バスの2つに分かれて通学。
スクールバスじゃなく一般の人と同じ。
一番手前の私達の部落はいつもぎゅうぎゅうで、小さい子から乗せて上級生は入口ステップドアにべったり。班で集合しバス停に行く。小5には私が班長でバスに間に合うよう数人連れて行き、小さな一年生がバスで潰されないよう必見にガードして登校していたような記憶。


班の集合場所まで走って1分、小さい子を連れてバス停まで歩いて約5分、だから家を7時半前には出なければならなかったはず。


ということは、約30分ほどで味噌汁、父のジャー弁当(保温性ある黒のジャータイプ弁当がほとんどだった記憶)、自分で朝ごはんを食べ支度してランドセル背負って、学校へ。
早バスは始業のずいぶん前に着く、ほぼクラスで一番、教室にランドセルを放り込んで校庭でドッチボールの場所取り。


父の弁当はご飯詰め、作った味噌汁を汁入れに、おかず入れには前の晩のおかずや、週末の母との買い物で、佃煮のパックや漬け物などを買ったりして冷凍庫にストック、時には得意な玉子焼きをさっと作って詰めることもあったかな。
佃煮で思い出したけど、トトロでさつきがお弁当を詰める、あの時のグリーンの豆、うぐいす豆の甘露煮、あれうちもパックよく買った、よくお弁当に入れた❗️あれ昭和の定番だったのかな?
桜でんぶも。
ピンクとミドリでキレイだもんね。


父の弁当はめんどくさいなぁってすごく思ってたけど、母にもお願いされ、頼まれたから。
毎日毎日ってわけでもなかった。
「明日は弁当要らんからな」と言われた時もけっこうあったと思う。

大人になってから分かったんだけど、鉄筋業の建築現場は山奥で橋をかけたり、地下道や、崖崩れ防止の土木工事だったり、社長ではあったけど小さな会社、自分も現場に行くことは多々、そんな時は弁当が必要。

今みたいにあちこちに、コンビニもなければ山奥で食事する店もないような事が多く、弁当を持って行かないとすごく困ったらしい。まして、肉体労働なので昼飯抜きは辛い。
だから、日の丸弁当だけでもいいからってことだったみたい。
しょせん小学生の作る弁当、そして、めんどくさがっていたから、食べれるものが入ってればヨシかなりの手抜きなのだった。


朝ごはんの味噌汁も、簡単ですぐできるので、ワカメと油揚げがほとんどだった気がする。
でもまぁ、時には、大根や白菜の時も。
自分は今でもそうだけど豆腐好きなので、豆腐も時にはね。冷蔵庫にあれば。


給食のある小学生でも時には弁当が必要だよね。
行事には。
遠足や運動会。
そんな時は母も頑張って起きて作ってくれたのですが、あれはいつの遠足だった?
今日は遠足なのに、いつまで経っても起きてきてくれず、部屋を覗いても弟、妹と母は爆睡中。遠慮がちに「お母さーん」と呼んでも起きてくれなかった。
泣きそうになった。
どんどん時間がない。

半泣きで、おにぎりと玉子焼きだけ作り、水筒に水を入れ遠足用のリュックで出掛けた。

歩いて歩いて、お腹空いて、ピクニックシートを敷いてお昼ごはん。
仲良しグループで食べるのだけど、みんなはお母さんが作ったキレイなお弁当、悲しくて悔しくて、隠しながら超早弁で食べ終えた。確かお菓子300円分っていうのも持ってきてなかった気がする。
多分、事前に買ってあったかとは思うが、とにかく朝は急いでいたから。談話することもなく、遊んで来るわーと広場の方へ一人先に行きながら顔は泣いていたんだと思う。
何が悔しかったって、母が作れないよって、言ってくれていたら、自分でちゃんとしたお弁当が作れたのに、何にも言わず起きてこないのを待ってしまって何も持って行かないわけにはいかないから、あんなひどい出来の弁当……言ってくれていたら……そんな思いだった。

そして、帰宅後は当然謝ってくれるのかと思ってリュック姿で帰ったのだが、何も言ってくれなかった。


あれは一種のトラウマだな、と思う。
子供の行事弁当は冷食入りの手抜きであっても恥ずかしくないようにと彩りなども考え、おにぎりをキャラのラップで包んだり。
そして、忘れないこと。明日はお弁当だね、と確認して安心させることを心がけていた。
そんなこと私の子供には必要なかったのかもしれないのだが。


自分が中学生になると、平日は給食だったが土曜日(私の時代は土曜日も半日学校だよ)には部活があるので弁当が要る。
もちろん自分作だ。
でも運動部、もち、剣道部だからお腹が満たされればよし、見た目もあまり気にせずだったかと思う。


高校生になると、ほぼ毎日お弁当。
購買でパンも買おうとしたこともあるけど早い者勝ちで男子に負けることがあったから。
今みたいにコンビニもそんなにないし。

もちろん自分で毎日、お弁当用冷凍食品は母がよく買っておいてくれた。海老寄せフライ、まだ生き残ってるよね。長いよね。美味しいからね。高校生は多少の見た目も考えたかな、一応女子だからね、剣道部だけど。


私のお弁当づくりの歴史は長い。
だけど今も昔も、トマト抜き。
トマトが苦手、赤色、あるとキレイだよね。他のものでなかなか赤って難しいけど、うちは赤の役割はタコさんウインナーかな。
長女はプチトマトが食べられるので入れていたが、最近、「お母さん、プチもちょっと無理になってきたかも、食べると吐きそうになる」と言いだしたので、我が家のお弁当にトマトが入るのは、たまーに作る旦那だけだ。


最近の、ある日のお弁当、長女、私(米なし、ジャーにオートミー少量と汁入れている)そして、ほとんど野菜の見えない長男分。
ほぼ、ほぼ、前の晩のおかずの残り。

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実は今度の長女の料理検定、『お弁当』なんだって!今日は初回の実習でけっこうなしっかりメニューなものを作ってきた。参考メニューらしいが、手が込んでいる(一部前日の晩御飯の残り、っていうのなら分かるが今日は一から作ったから大変だったね)
検定は自分でメニューを考えなきゃならんし、使って良い材料の制約、時間制限や煮物は必ず一品、などの必須もある。煮物は簡単で好きなカボチャの煮物にするとのこと。彩りも良いしね。
長女も玉子焼きはお得意なので入れるらしい。
頑張れ、お姉ちゃん。母の娘だから大丈夫さ😁


ハンドバッグみたいな黒い保温ジャー弁当箱の超手抜き、親父飯、なつかしいなぁ。
お父さんの立場なら、娘の手作り弁当、どんなにぐしゃぐしゃで不味くてもきっと嬉しいよね。