YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

不登校児の母

数ある自分の肩書
その中で一番苦労して、悩んで、一番自分の時間と心を削っているものではないかなと思われるのが、これだろう。

長男の小学校不登校、五年生から始まり今年は六年生、来年は中学。
だから、何かと忙しい。そして、母自身も凹むことが多い。


目標であった修学旅行参加が達成できたのだから、良しとしなくてはと思う。
本当に良かった。
本人も5年生の頃から行きたいと言っていたことだから、目前になって尻込みしていた瞬間も垣間見れハラハラしたが、行けた。
少し自信がついたのでは?と思った。


だからか、行かない、行けない、と言っていた校外学習に行くと言った。

週一の給食登校の日に、担任に修学旅行と同じ班で行動するから行かないか?と勧められ科学館への校外学習に行くと返事したのだろうと思った。


しかし、
コロナの影響で、延期になり、予定に入っていたプラネタリウムがなし、時間も短縮、皆でお昼はお弁当を広げて昼食だったのに、昼には学校に帰って来て、行事食を食べることになった。


延期になって、気持ちも途切れたのか、楽しみがなくなったのか、行かなかった。


修学旅行前も、散々、作戦を練った。担任先生とも、スクールカウンセラーさんとも。
それほどではないにしろ、今回の校外学習についても担任先生と、朝何時までに出掛けられなかったら、電話とか、こうなったら、こうしよう、など話した。でもそれが延期になり仕切り直し。
母としても、家で長男の様子を見ながら、明日あたりに、変更になった予定を伝えるかな、荷物の準備はギリギリでいいかな、など段取りを考える。
そして、朝、皆と一緒に電車に乗れなくても、市内で近いから、車で送って合流させよう。
途中でしんどいから迎えに来てくれとなるかもしれない。会社の有給休暇を取る。


朝、「行かない」「無理」と苦しそうな顔の息子。学校に電話する。
「どうしても行けないそうです。夕方のカウンセラーさんの面談登校は行くと申しております。スミマセン」

また無駄な休暇。担任先生も、色々考えて下さったのに、申し訳ない。
凹む。


診療内科のカウンセラーさんにも言われたが、修学旅行に行けたんだから、じゃあ次は、って焦らないでください、決して、辛抱です、ゆっくり。

そう、分かってます。私としてはゆっくりのつもりです。

夕方、カウンセラーさんの時間が終わる頃、迎えに出ると学校すぐの交差点の所で立ち話の長男の同級生達。
部活帰りだ。何やら相談している声が。小学校の部活は教師の指導ではなくなった。市が委託している団体に指導者として登録している人が来る。
6年生で中心的存在だろう三人、何か問題、これまでと違ってやりにくい事も出てきているのかな?
「おかえり~」と声をかける。

虚しくなる。
涙が出そうだ。

中学前の最後の小学校時期、遊ぶ、学ぶ、運動して、疲れて泥だらけ、夕方、「お母ぁ、腹減った~疲れた~」と帰って来る息子。
そんな事、私には起こらない。
そうなるものだと思っていたのに。


そして、6年生のため、卒業アルバムの写真撮影が
数回に渡って入り、学校の都合、カメラマンさんの都合、その日の生徒の出欠によって変わるんです❗️
学校に通っていたら、何てこともない、人数揃ったし、撮影、ってなるんでしょうが、段取り組んでくれる先生にも申し訳くて。

「月曜日の予定がカメラマンさんの都合が悪くなって」
「この日の朝、全員揃ってたら朝電話します、ダメなら次の候補は木曜日です」
「学習発表会の生徒観覧の日、観に来てくれるなら学年写真も撮れそうです」
「この日はもう二人欠席を聞いてるので撮れなくて」


学校に行った時に相談したり、学校の電話からの着信みて折り返しの電話をして、聞いてメモをとり、また自分の仕事の予定を変更したり。


無事にクラス写真、学年写真、グループ写真撮れましたが、何度も、何日も、嫌になったんだろう。
「俺、写真嫌、嫌いなんだよ」と言っていた。

もうこれで最後だから、と前日カウンセラーさんの面談後の帰り、先生に見送られ、言われ、頷いていた長男。
先生もやっとこぎつけホッとしてらっしゃるだろう、居場所を作ってくれた委員会とクラブの写真。
行こうと言い行きかけたが、家の階段で、苦虫を噛み潰したような顔で「嫌だ」としゃがみこむ。

あぁ、最後、頑張れないのか、頑張らないのか、この子は。
怒りたいのをぐーっと堪え、「じゃあ、委員会とクラブの写真はなしでいいです、他の子だけで撮っちゃってくださいって学校に電話するよ、今日は給食の日だよ? 行くのね? 給食には行きます、って伝えるよ」
「うん」と言って階段を駆け上がり自室のドアをバタンと閉め籠る息子。

学校にその旨と謝りの電話をして、凹む。

どうしてこうなったのか、何がいけなかった、やっぱり私が悪いのかと考えてしまう。


長男は少し前に言った「俺ってどんなふうだったっけ?」
自分で自分が分からなくなっている息子。

不登校になり、思春期もきて、連日ゲームやYouTubeばかりで変な知識がいっぱい入り、変わった。
映像を見て突っ込みを入れ悪口を言う、汚い言葉も使い、うるさい。
可愛くて、優しいだけの息子ではなくなった。
人に対しての気づかいが出来なくなってきていて自己中心的にも思える。行儀が悪い。


春雨登校の頃、大好きだった前担任に悩みを相談したいと、面談し、これまであったこと、辛かったこと、女子に囲まれ悪口を言われ恐いこと、色々打ち明けた、涙ながらに。
先生は「授業でやったよね、コップのお水の話。」と。
「これまでいっぱいいっぱい、自分のコップのお水、皆に分けてあげてきて、自分のコップの中身空っぽになっちゃったね、もうあげなくていいよ、ゆっくり休んで自分のコップのお水いっぱい貯めて」
と言って下さったが、その通りで、一切自分の水は分けてあげません、嫌なことは嫌だからやらない、他人に気づかいなんてしない、これが俺だから、この俺を受け入れないヤツは俺も受け入れない。そんなふうに変わってしまったかのようです。



前はどんな子だったって?

「サッカー部の先輩が◯◯にひどい事を言う」と涙をポロポロ。
「帰りに校庭でふざけて走ってた◯◯が転んで口から血が垂れてきた、保健室行ったけど大丈夫かな?」と涙ポロポロ。
「◯◯が最近、学校あんまり来ないからお兄ちゃんに聞いたら『死んだ』って言われた」と苦しそうな顔。
転校生に声をかけて仲良くなったよ、と満面の笑顔で報告する子だったよ。
「◯◯に絶対内緒って言われたからお母さんにも言えない」って、ふと会話に出ても絶対言わない、今でも守ってる。
「◯◯が殴られてたのを止めに入ったら、◯◯が穴空きパンチで二回も殴ってきた」と血が滲んだたんこぶを頭に作って帰ってきた。

優しくて友達思いで、笑顔が素敵で、他の子が気が付かないことにも気がついて心配する。争いが起きないように自分が我慢する子。
お友達がいっぱい。毎日のように誰かの家や公園、わが家に連れてきたり、遊んでいた。
でも……不器用で、声も笑い声もでかい、勉強も運動も目立って出来る子じゃないから女の子をイライラさせるかも。

でも、あなたをよく知る先生方もまさかあなたが不登校になるなんて思っても見なかったと。


そのうち「やりたかったのに、ゲームやらせてもらえんかった」
「俺の意見は聞いてもらえない」
遊びに行ってもそんな言葉が増えてきた。

長い間、みんなを思って自分をいっぱい殺してきたんだよね。
気がついてあげられなかった母がやっぱり悪いよな。
なんでもっと……と思い巡らせ、元気に優しい笑顔のあなたを思い出し、この分では中学にも行けないかもしれないな、と涙が止まらず。
学校に行って欲しいのは勉強して欲しいのではなく、友達とワイワイ、時にはケンカも、元気に身体を動かして欲しい、思い出作って欲しいの、母は。
思い出は生きる力。
HSCな子なんて、他にも、同じクラスにだって他にも居る。
自分一人で立って、生きていけるようになって欲しい。



給食登校、学校に行く時間に部屋に声かけすると、「ホイホ~イ」とあっけらかんと降りてくる。
朝、苦虫を噛み潰したような顔で階段にしゃがんでいたヤツはどこだ。

泣いていた跡の私の顔に、凹みに凹んでいた私に、
「なんだ!お母ぁ、機嫌悪そうだな?調子悪いのか?寝てたのか?」


「ずっと泣いてたんだよ❗️」


「………ふあぁ~🥺」と両手を広げ駆けよって、私にギューっとハグする息子。

「どうだ?元気になったか?よし、行くか」
と学校に給食食べに出掛けた。


はー、😞💨、この息子、どうしたら、どうしてやればいいのか。

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