YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

重い口、胸の締め付け、息子の涙

今週のお題「2020年上半期」
ここのところブログが書けなかった。何故自分がこんな状態なのかもよく分からなかった。元演劇人だったから?息子を持つ母だから?
何だろう、彼の苦しみを思って、身近な人の辛さを思って未だに涙すら流れる。
私はファンでもなければ、出ていたドラマや映画をほとんど観た事がない。でも名前もよく知ってるし、顔も知ってる。

日常を過ごしている。仕事にも行くし、昨日は剣道にも会議のために顔を出した。家でも普通に、子供達と話すし、笑ったりする。でも元気が出ない、身体中の皮膚の内側、自分の中身が一回り縮まってグレーな濃い霧で包まれているような感覚でずっと過ごしている。

昼から買い物に行き、長女の壊れてしまった傘の代わりにお買い得製品で長女の好きなスヌーピーの傘を見つけた。帰って階段を上がり2階のテレビの前で観たい、録画しなきゃ、超長いけど、と言ってた歌番組を観ていた長女に後ろから声をかける。

「お姉ちゃん、傘、スヌーピーのあったよ、安かった」

ピピーと鳴ってテレビにテロップが流れる。



え?



長女がスマホを手にしながら、
「死んじゃったって、自殺らしいって」

なんで?

「いや~わかんないけど、またSNSとかで言われたのかなぁ」

え?なんで?だった。

皆さんと同じように。

でもなんで?は本人しか分からない、詮索する事じゃないし、事実は変わらないし、知ってもいないのに、とやかく言うものじゃない。だから、ずっと内側で沈んだままで、書けなかった。



身近な人達が、お蔵入りにしないでくれ、観てやってくれ、聴いてやってくれ、と言い始めた。
ファンでもなければ、会ったこともないようなオバサンがこの片隅でショックを受けているほどの人だったよ、って記すことにした。


三十歳、男優としてはここからだ。
残念で言葉にならない。


目にする言葉。真面目、優しい、いつも周りに気遣いができるいい子。

長男のこと?
保育園、小学校のどの担任にも言われたワードが並ぶ。
長男が不登校になった時、前担任や教頭先生に「え?何で?」と言われた。


テレビでショックを受けたあの日、長男に銀魂に出てた役者さんが死んでしまった事を伝えた影響か、夜の公園から帰り道、そして家に着いてもずっと私に泣きながら不登校になった理由、心が折れてしまった原因の一つを吐き出した。

これまで、学校で女子にひどい事を言われたり、その女子がグループで囲んで怒られる、怖いって、サッカー部でも理不尽な目やら顧問が苦手で辛かったと不登校の原因を話していた。
剣道での辛さも話していたが、より具体的で細かな心情を今回は伝えてくれた。

剣道会で長男の同級生はいなかった。1コ上もいなかった。中学生になると部活と学業優先で稽古は休みがちになるので、稽古挨拶や号令は小学生の最上級生に任すのが恒例だったため、五年生になった時、長男がやらねばならなかった。
自分しかいないプレッシャー、真面目なので四年生の時に、体操の種類の名前と順番を紙に書いてくれ、覚えるからと。順番なんてみんな適当だよ、いつも同じじゃなくていいし、適当で大きな声だけ出せればいいよ、と言ったが真面目な彼には適当が出来ない。
上手く出来ない、ちゃんと覚えられなくて前に出て号令かけるのがすごく辛かったと。それまで、下の子達と並んでわちゃわちゃするのが楽しかったのに、並ばずに前に出ないといけなくなった。

二個上の男の子と仲良しで良く相手になって稽古してた頃は楽しかったけどその子が大きくなってきたら、自分はチビだし相手に選んでくれないし話もしなくなったから、寂しかった。だから、小さい子達と仲良くするようにした。小さい子達とも仲良しになり稽古の後に片付けしながら、たわいもない話をするのも楽しかった。
上手く出来て気分がのってる時は楽しい時もあったから辞めてしまうのもすごく心残り。
途中、同級生の男の子が入ってきたが初心者で、「俺より人見知りで他の子と話さない」と話し相手にはならず、その子が号令で前に出るも声が蚊の鳴くような声で聞こえず恥ずかしそうにしているのを長男の方が「やめてあげてよー」と辛そうだった。
一番辛くて悲しかったのは、まだ初心者に近い状態の上級生の女の子が基本稽古の相手だったタイミングで、長男が先生に怒られたそうだ。
え?俺じゃないのに、俺は先生の言った事理解出来てないみたいだからちゃんと説明したのに、女の子の方が分かってなくて間違えてるから出来なかったのに俺のせいにされて怒られた。
でも俺の方が先輩だからちゃんと教えてあげられなかった俺が悪いんだって思ったんだけど、稽古の後で上級生だからその女子が謝りに来てくれると思った、でも来なかった、何にも言ってくれなくて、折れた。あの時一言何か言ってくれたらまだ剣道は大丈夫だったかも。
その子は、中学生になるタイミングで「向いてないから」って辞めちゃったよ、と伝えたら、
「それ、オラのせいじゃん、完全オラがちゃんと教えてあげられなかったからダメなんじゃん」
そんな言葉をいっぱい吐き出して涙を流し、ウルトラマン柄の自分のタオルが散歩後の汗と涙でビショビショになっていた。


いやいや、あなたのせいでは決してない。

長男は超敏感君、HSC、言われた事、言われなくても感じた事、怒られたこと、他の人が怒られてるのを見ても、人の何倍もダメージを受ける。


一番上だからって言われ、誰にも、先生や大人の人たちも、お母さんにも頼っちゃダメだと思ってたと、過剰な重荷を背負ってつぶれてしまった長男だ。



重なる。背負わなくていいものも背負ってしまって苦しかった。長男は不登校になった頃よく死を口にしていたが、今は将来を語れるようになった。

重なるが同じではない。
映画やテレビは押さえた演技、演技に見えない演技、独特な距離感が必要だけど、取り直しが出来る。でも舞台は、板に乗ったら一発勝負、そのために何度も何度も稽古する。観客や相手の反応で本番も変わる。いい方にも悪い方にも。真面目な人ならハンパない恐怖と神経を磨り減らすだろう。評価が上がれば上がっただけ、失敗は出来ない、成長しなくては、もっと先へ、とどんどん重くなる。

舞台で賞をとった女装とメイクでインタビューに答えていた映像を覚えている。腹がすわっていた。観劇した大先輩女優さんの記事にも「腹くくって出てきたな」と思ったと書いてあった。
歌も素晴らしかったらしい。

一昔前は芝居が上手い役者はあり、でも歌えない。踊って歌えるけど、芝居下手。
演劇とミュージカルは違うからと、壁があった。

旦那も板の上、舞台の芝居は上手いし、殺陣も出来て踊りも出来る、でも映像畑の芝居は??、そしてハンパなく歌は下手。
そんな端くれ役者の旦那も鬱が酷い時、寝室のドアノブに、先が輪っかになった電気コードが結んであった事がある。
旦那は一線を越えなかった。

今回、頭の奥の奥にしまいこんでいた記憶がよみがえった。
一線を越えた仲間がいた。
演劇養成所は夜間クラスに通った。だから、会社員やお店、異業種の仕事をしていて通っていた。
私のようにバイト生活で通っている子も。だから年齢幅があり、最年長女子のその人は至極真面目で不器用だった。私もみんなも「ねーさん」と呼んでいた。ねーさんはよく「○○(私)ってすごいね~」「○○、ゴメ~ンここ、どうするんだっけ?」とよく褒めてくれて、頼りにもしてくれた。
一年で卒業公演後辞めて、本来の職業に戻っていく者、二年続けた後違う世界や自分で演劇グループを作った者もいた。夜間同期で上の劇団に入ったのは私と男優一人、二人だけ残った。
ねーさんは、その後も私の舞台を観に来てくれたがやがて遠ざかり、他の養成所時代の仲間とは連絡を取り合っていたようで、そこから、ねーさんが結婚した、と聞き、やがて、おめでた、女の子を出産して母になったと聞いた。
そして、間もなく、死んでしまったと聞いた。
ドアノブで首をつった。乳飲み子を残して。
他の仲間とともに、お家に呼ばれて行った。
旦那さんとお母さんが来てやって欲しいと、本人が一番輝いていた頃の仲間に手を合わせてもらいたいと。
連絡を取り合っていた他の仲間はともかく、私は場違いな気がしていた。気の弱そうな優しそうな旦那さん、年老いたお母さん、小さな赤ちゃん。
こんな小さな子をおいていってしまったのか、と怒りさえ覚えた。他のこと、記憶が飛んでいて思い出せない。なんだか夢の世界にいたようなフワフワした感じ。あれは夢だったのかもと思うようになり、やがて記憶から消えた。消したのかも。



かなり昔、ニューヨークに行ったとき、憧れのブロードウェイで私は芝居を観た。ハリウッドの役者でもブロードウェイの舞台に出させてもらって名声を手に入れたいと思っているような時代だ。

芝居が出来て、歌って、踊れる、そんなブロードウェイで勝負出来そうな役者さんだと思っていたと鴻上さんが言っていた。


悲しいね。
悔しいね。


今年はすでに、日本は光をいっぱい失った。
コロナウイルスで笑いの神様と笑顔の素敵な肝っ玉母さん女優。


残された者は辛いけど生きて行くしかない。
前に進まなくてもいい。停滞して力を蓄え、やっぱり進めなければ、時には後退すればいい。
逃げればいい。

引いて引いて後ろに大きく大きくさがったら、その先に違う道が見えてくるかも。



息子よ、生きててくれてありがとう。
旦那も生きててくれてありがとう。

また、コロナウイルスが広がってきた。

不安と恐怖ばかりでもっと暗い後半かもしれない。
でも生きていたら、何かがそのうち見える。

毎日、毎日、小さな小さな光の欠片見つけてみよう。
集めて集めてほんの少しずつ、少しずつ、灯して生きていこう。
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#不登校#子育て#剣道#HSC