YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

大きくなる子供たち

今週のお題「急に寒いやん」

ほんとに、急に秋冬物が必要になって焦った!

私はもちろん、破れたりしない限りは買わないので、あるものを引っ張り出して着るだけなのだが、子供たちはそうはいかない。

メルカリで、子供たちの着れなくなった服を出品していますが、出すタイミングも大事で、夏終わりで秋冬物を出すので、ここのところは休日毎に見栄えがするように手入れやキレイな写真を撮って出品と対応、発送にけっこう忙しかった。

先日も長男のお気に入りだった黒赤のパーカーが、出品して間もなく売れたところでした。

息子は春からこの夏、大きくなってあれもこれも着れなくなり、タンスの中のはガラガラです。
不登校君で、外出も苦手なので、お出かけ用の服はあまり必要はないのですが、それでも、家で着る物でさえなくなって来ました。


そして、長男は夏から習慣にしている朝の運動、朝6時半頃起きて、走ったり、散歩したり、懸垂してみたり。

少し前に、いつもの寝起きの格好、半袖Tシャツ1枚にスウェット長ズボンで運動に出かけていった息子、30分後、「寒ぃ~いわ、外」と言って帰宅。

でもその赤黒の小さくなったスウェット地のパーカーも売れてしまい代わりの物と言ったら、レインコート兼ウインドブレーカーみたいなメンズSサイズもの。
次の日は、それを仕方なく着て出たものの、動きにくく、雨カッパでもあるので裏地がペッタリ引っ付いて、通気性がない。

学校の体操着は前開きではなく被るタイプで脱ぎ着が不便だし、何より学校のは嫌がる。

他には真冬用のダウンジャケットか、冬にホームウェアとして羽織っているフワモコモコのフリース。

そして、ロング袖のTシャツも、ちょっと小さめかも、まぁ、私服で出かけるところもないからチンチクリンな部屋着でいいんだけど、いざ、どこかに出かけるとなったら、ちょっとましな白ロンTが1枚とマイクラの絵柄が前面にあるロンTが1枚。

これはまずい。


食材の買い物ついでに、衣料品店で何かよさそうなの見てくるよ、と長男に言う。

すると、なんと

長男「買うんだったら、自分で見て選びたい」

お、おう、そうなんだ、出かけられるんだ、とちょっと意外だった。


長女に週末GUに行くことを伝えると、娘も秋冬の服を買わないと着るものが少ないから一緒に行くとのことで、長女のバイトの都合に合わせて3人で出かけることにした。



そして、その朝、出かける準備、ましなロンTを着ようとした長男:「きちぃー、無理」

私:「え?マイクラの絵柄のはだめ?」

長男:「いや、無理だよ、あれを外で着るのは、こないだ買った半袖のでいいよ、あれ大きいからけっこうあったかいし」


着れる物を買うのに着て行く物がそもそもなかった!


幸い、半袖でも大丈夫な気温だった。



パーカーが欲しかったのだけれど、どれもゴワっとしてて、重くて、前開きのは冬仕様で気軽に羽織れる感じの物がなく、とりあえずメンズSサイズのロンTを2枚、カゴに入れる。

長男「あの赤黒のパーカーならな~、あれはもう着れない感じだった?」

私:「朝、着れないキツイって言ってたロンT160だよ、あのメルカリで売った赤×黒パーカーは150」

長男:「あ~、運動のだからジャージみたいのでいいんだけどな」

そう、前は自転車で行ける範囲、食材も買っていた総合店に『スポーツデポ』が入っていてとても重宝していたが数年前に撤退してしまって、遠くにしかない。

長女も試着したり、色々探したのだけど、今回は、これという物がなく、学校帰りにでも他店に寄ってみるとのことで、ちょっとがっかりなモード。

私:「ん~、『しまむら』なら寄れるけど、K(長男)がもう無理かも(メンタルが)」


長男:「俺はまだ大丈夫だ、よし行こう」

そう、お姉ちゃんのがっかりそうな顔を見て、頑張る弟。

しまむら』にはメンズのSサイズは置いてない。だから長男の服はないと思ってた。
でも、これいいんじゃないと思うカットソー生地の軽いスタジャン、Mサイズを着せてみた。

大丈夫だった。

あら、もういいじゃんMでも、ちょっと大きめだけど不恰好な感じじゃないし。

長女も、ロンTとベストと靴下を購入。

どれもこれもお安くゲット。

そして、私がおすすめしたスタジャンはかなりお気に入りになった様子。
朝活にも着て、ちょっと涼しい時にも家の中で羽織っている。

「これさぁ、今日のこのズボンにもぴったりな感じだね」と白サイドラインの入った黒スウェット長ズボン姿の嬉しそうな長男。

めでたし、めでたし。

祝㊗️15歳

我が家の長男、中三、不登校5年目HSC.LD息子が本日誕生日でした。

15歳の誕生日にご所望されたものはこちらです。

ガンプラです。

何度聞いても覚えられなかった名前、LINEで書き込んでもらいました。ふふっ

特徴的なホルムのこれを作ってみたかったそうです。


15年!……ほんとに?

長女も「15歳?15……やば」


15歳、高校受験生。
先日家から一番近い通信高校に願書提出に行きました。
学区から一歩出ただけの距離にあり、自転車で10分ちょっとなところ。

だけど、提出には車に乗っけて行き、向かいのコインパーキングで私は待っていました。
読み書き障害の長男が何度か練習しえんぴつで下書きし、ボールペンで清書した願書、自分だけで出しにいかせました。


しばらくして、

キッーーー!!!

急ブレーキの大きな音。コインパーキングに駐車してある車たちの向こう、目の前の通りの黒いワンボックスカーが急停止。

え?

世界が停止。

ゆっくりスタートして通り過ぎていく車のワンボックスカー、そして、私の車の方に歩いて来る息子。

死ぬとこだった、俺の不注意だ、と。

きっと緊張してふわふわしてたんだと思います。
反対車線側の車にまで注意が及ばず通りを渡ろうとしてしまったかと。

家に帰っても私は落ち着かず、何をすればいいのか、何をしていよう……今度は私がふわふわしてました。
だから、長男の部屋をノックして入り、「ん?何?どした?」と立ち上がった長男に、「はぁーっ、ちょっとごめん、どうにも落ち着かないから」と息子をギュッーと抱きしめました。

ほんとに何もなく良かった。
運転手さんは生きた心地がしなかったでしょ、ほんとに申し訳ないです。ごめんなさい。
ほんとにほんとにありがとう。良かった~。

無事15歳を迎えられた息子です。

ありがとう。

母の記録

特別お題「わたしがブログを書く理由

私の母は、私が結婚する前、今から約26年前に病死している。
一人暮らしとなった父もその9年後に肺炎で急死した。第1子の長女が一歳の頃だ。

だから、私の子供達2人にとって、お婆ちゃんお爺ちゃんは、現在は同居している旦那の両親の二人だけ。

私の思い出話に出てくる『じいじ』と『ばあば』は写真の人。


晩婚で、子供が欲しがったが、稽留流産を繰り返し、不育症で大学病院にも通った私。
4度目の妊娠が何事もなく順調に安定期を過ぎお腹の中で元気に大きく育った長女。
陣痛が始まり、一旦病院に行ったものの、なかなか出てこなくて家に戻り、しばらくして再度入院、結局出産まで48時間かかった!
3000グラム超えのミニチュアお父さんな女の子だった。これ言うと激怒だな、長女。

稽留流産も不育症も、妊娠も出産も、高齢出産の子育ても、母が生きていたらなぁ~と何度思ったことか。里帰り出産なんて出来なかったとしても、産後しばらくのお手伝いをしてもらわなくても、せめて、疑問に思ったことや相談にのってくれるってだけでも、どんなに助かったかなぁ~、と。

第二子の長男は、7度目の妊娠で育ち、小さく生まれ、男の子だから、よく病気もした。

長男の産後、退院してから一週間は、旦那の母親、今は同居している姑が私達のアパートに寝泊まりして仕事に通ってくれる予定だった。
でも、長男の出産から入院中に長女の保育園の送り迎えや家事の手伝いのためにアパートに来てくれていたため、私達が退院して来た時には、姑は一週間ほどすでにこちらから仕事に通う生活をしていた。
だからもう嫌になっていたみたいで、旦那が夕食不要な時、ウインナー炒めただけ、野菜切っただけ、みたいな散々たる物がチョロっとテーブルに並ぶだけで、ちょっとびっくりした。
とりあえずは4歳の長女がお腹いっぱいになればいいかと、私はほとんど食べれなかった。

私の入院中、「これからまた○○に食べに行く」とか、けっこうな外食ペースだったからそんなに料理を作る機会が毎日ではなかったはずだった。
そして、退院から2日ぐらいの日、姑が「仕事に遅れて行ったり早退したりしてるから意地悪を言われる、だからもう帰るわ」


帰ってしまった。絶句した。
内孫ってこんなもんなんかなぁ。

私が姑の立場なら、仕事仲間や上司に嫌味を言われようが苛められようが、大事な家族、とりわけ孫の世話ならまず第一で、何だかんだ言うなら辞めてやる!って仕事も辞めちゃうぐらいのスタンスだ。私の母が生きていたら、多分倒れそうなぐらい身体が辛くても何をおいても手伝いに来てただろうなぁ~と思う。

生後、二週間もたたない長男を外に連れ出すのが不安で、かといって家に一人で置いておくのもかなり不安で、長女の保育園の送り迎えは、仕事の都合で旦那ができないことも多く、近所に住む友達に「見てるだけでいい、泣いても見てるだけでいいから」とお願いしたりして、やりくりしていた。

近所のママ友が姑の手伝いがなくなってしまったことを知って、よければ一緒に何か買い物するよと連絡してくれたり、時には赤ちゃん代わりに見てるから買い物してくる?と言ってくれて、感謝で泣きそうだった。
すぐ近所の長女と同い年の男の子のママ友は義母義父と同居でもあったけど、ご自身のお母さんもまだ若くてよく手伝いにも来てくれるらしく、ほんとに助かった。

退院後、3日目には通常の家事をこなしながらの幼児と乳児の世話。何たって高齢出産ですから、キツかった~。

そのうち、見ててくれる友達のやりくりも難しくなったり、いつまでも甘えているのもなぁと思い、長男は生後三週間ほどで外に出ることになった。横抱き抱っこ紐にのせて、長女の保育園の送り迎えや買い物。腕の中の長男にいつも「ごめんね、病気にならないでよ」と心の中でいつも謝っていた。

赤ちゃんだからと下の子を優先してしまうと、上の子がいじめるようになるかもしれないと聞いていたから、長男がグズって大泣きしてても、長女のことを優先していたら、長女の方から「Kが泣いてるよ、私は大丈夫だから、Kのところ行ってあげて」と言うようになり、お風呂も湯船に一緒に入るようになってからは長女が先に出てパジャマを着たら声かけしてくれる。
「出ていいよ~」

バスタオルの上に長男を置くと、長女が拭いてくれ、その間に私は急いで自分の身体を拭きパジャマを着る。
寒い冬は本当に助かった。
長男の離乳食を食べさせてもくれたし、よく面倒を見てくれた。
長男がグズってどうしようもなく泣き止まず、夕飯の準備が出来ずにいた私に「私が作ってみる~」と台所に立った娘。ウインナー炒めと豆腐に納豆をかけただけの納豆豆腐、きゅうりを切って穴につめた竹輪、4歳のお姉ちゃんは頼もしかった。

私自身も長女で下は8歳離れた双子の妹弟、私も離乳食食べさせたりミルク作って飲ませたり、オムツ換えたり、あやしたり、おんぶに抱っこ、8歳だから色々できた。
でも、うちの娘はその半分の歳で色々頑張った。

お姫様な格好が大好きな子だった。

そんなお姉ちゃんを中3になった長男は今も大好きで頼りにしている。



先日は大学の研修で台湾へ、初海外、初飛行機体験へ。

早朝、最寄りの駅まで送ってやった母に、あの頃と同じ笑顔で手を振る娘はこんなに大きくなった。


私の母は、家計簿も続かなかったし、何かあると書き留めていたけど、それも数ページで終わって続かなかった。日記も買って書こうとしていたけど1冊書いたことはない、遺品整理の時もそんな中途半端なものがよく見つかった。
子育ての参考にはならず、自身の子供の頃、妹、弟の育児の記憶が頼り。あの頃とは、全く色々違い過ぎます。
やっぱり困った時には『なんで、さっさと死んでしまったんだ!』と涙して、生きていてくれたらなぁと、何度思ったことか。

だから、長男を長女のサポートで子育てしていた頃に、思った。

娘が出産して子育てする頃までは、自分は頑張って元気に生きていようと。


でも、私は高齢出産だし、うちの家系は女が早死にだ。

生きていてあげられないかも、手伝ってやれないかも……それじゃあ、せめて記録しておこう。

何を考えて、何に困って、何に喜んで、どう対処してきたか。

お母さんは、あなた達が生まれてきてくれたお陰でここまで生きて来れました。
もちろんこれからも一緒に生きていくつもりではありますが、
一旦、ありがとう。

懐古

田舎、自分の実家が他人のものになったため、自分の部屋だった所に保管していた昔昔のコレクションたちが今の住まいにおります。

少しでも、今の生活費の足しになればと、春頃から少しずつメルカリに出品しています。

実家から自身の車で我が家に運んでくれた姪っ子が「レコードけっこう売れると思うよ」と言ってくれましたが、はい、意外と売れました。
まぁ、高い値段設定にしてないからかもしれませんが。好きな人はいるもんなんですね、今の時代も。
レコードはプレイヤーがないので試すことも出来ないのですが、オーディオ用のチェストに保管していたたので状態は良い方、機器がないから自分で聞くこともないし、ゴミにするつもりだったけど、持ってきてもらって良かったです。

レコードはさほどないのですが、小学生の頃から趣味の映画鑑賞で必ず購入していたパンフレット、すごい数でした。1/3ぐらいは売れたかな?

何と言っても出品するのが面倒です。
まとめ売り、どーん!と適当に出せばいいのかもしれないんだけど、少しでも生活費に、と注意深く傷や汚れを確認したり、きれいな写真掲載(自然光で撮るのが一番だから天気の良い昼間に撮影しています)や丁寧な説明文を書いてると……
仕事が休みの日などの隙間時間にやってるから、なかなか進みません。
そして、さらに……

3冊から5冊程度のセットにするため、出演者や監督、またはカテゴリーで揃えてみたりしているので、中を見ちゃう、読んじゃう!

途中で忘れていたことや発見があったりする。
「あれ?これ、この役ってこの人だったのかー」
とか、「ありゃ、この作品ってこの監督だったか」「え~?私こんな映画も観てたんか」とか。
そういえば、これ観に行った時、こんなことあったなぁ~とか。


昔を思い出して懐かしんでしまってます。


仕方なし。

そして、これ昔の自分へ感謝を感じてます。
少ないお小遣いや貯めたお年玉で電車賃と鑑賞料とパンフレット代、費やしてたなぁ、ここに。バイトするようになっても、うちの長女と違って私はお洒落や化粧品なんて興味なかったから。もう1つの趣味の旅に費やすところは一緒だけど。

捨てずに大事にしまってあった物たちを大事に供養しながら、現在の生活費に役立てています。

中3受験生長男の夏休み

夏休みが終わりましたね。

パートが休みの今朝、メルカリで売れた映画パンフレットを梱包しコンビニ発送、借りていたレンタル映画DVDを返却、そう、夏休みの楽しみって映画ぐらいだったな~、ついでに食材の買い物を、と10時過ぎに家を出ました。

すると、通りは中学生でいっぱい。

所々に保護者。

始業式後の引き取り訓練で帰宅中、すぐの中学校門前では教頭先生が横断用の旗を片手に挨拶しながら生徒と保護者たちを送り出しているのを、反対側の通りから横目で見て、自転車で素早く通りすぎました。

うちの中学生長男は登校しないので引き取り訓練もなしです。

長男の登校予定は一週間先、スクールカウンセラーさんとの面談日が2学期スタートの予定です。


夏休み中、6時半の目覚ましでゆるゆると起きて氷水の入った水筒と携帯を持って、身体を動かしに出かけていた。

ナイス、いいぞ、息子よ、偉いぞ。

夏休み前、小学校からの仲良君2人とゲーム通信で相談しているのを聞きかじっていたけど、時には寝坊したり、時には体調良くないからと休むこともお互いにあったりしたけど、学区内の公園6時40分集合だったらしい。
時には一人だけだった時もあったみたいだけど。
走ったり、散歩したり、公園の鉄棒で懸垂、グローブ持参してキャッチボールしたり。

よく頑張ったよ。

みんなは夏休み終了で始業式の今日、長男はやっぱり6時半の目覚ましでゆるゆると起き、トイレ行って顔洗って、水飲んで、氷を水筒にカランカラン!っと入れ水入れて、

私:「今日から学校だよ、みんな」

長男:「知ってるよ、俺も行かなきゃいかん?」

私:「いや、今日は行かないって言ってあるよ、一人で行くん?」

長男:「うん、行ってくるわ」


40分ほどして帰宅、汗だくないつもはシャワーを浴びるのですが、「今日ね、わりと涼しい、風あるし」と言ってタオルで汗を拭いただけでした。

この夏、懸垂が4回出来るようになったそうです。

長男の夏休みのリクエストは『川遊び』でした。

外出が大の苦手な長男のリクエスト、何とか叶えてやらなくちゃ、っとずっと思ってて、スマホで、昔よく行っていた隣県の川プールの道順など調べたり、もっと近くに何かないか?と調べてみたものの、観光地や子供の遊び場のようなところは人、人、人……長男には無理だなぁ……
車もほとんど毎日旦那が乗って行ってしまうし、お金もないしなぁ……

どうしようかなぁ……なんて考えてたら

長男「別に(私の田舎)のいつもの川でいいよ~」

私:「え、あんなんでいいの?」

長男:「うん、あそこでいいの」

ということで、実家の下の小川で良いとのこと、でも、実家は売却済みのためもう立ち入ることは出来ないですが、川へは反対側の道(といっても農道)から行けるし、車を止めても誰も何も言わない。たまたま田んぼに用事の誰かが来たって、川横すぐの田んぼは知り合いの田んぼ。

長女のバイト休みとスケジュール合わせて、車も使いたいと旦那に事前にお願いしておき、墓参りも兼ね私の故郷へ。
長男の大好きないつもの蕎麦屋(今回看板をよく見たら、うどん屋だった!実家から歩いてすぐの所にある店)で、昼食、せっかくだから、実家の前を通って行こうと相談。

実家はまだ表札も私の旧姓のまま、何も変わらずそこにありました。

その足で、数分離れた弟宅に菓子折り持って訪問、実家はまだ内装やってから入居予定だそう。弟のお嫁さんだけが在宅で、一旦上がらせてもらって冷たい麦茶とエアコンの効いた部屋で涼んでから、お墓参り、そして、いつもの川を反対側から車で。


カーゴパンツの裾ゴムをギュッとして上げてサンダルに履き変えて川へ下りていった長男

「お母ぁー、流れがすごいぞ、なんか思ってたんと違う」


まあ、いつものようなゆるゆる感ではないだけでそんな大した流れではないんですが流れ落ちてくる水量がいつもよりはありました。

「なんか、もっとあちこちに岩とかゴロゴロしてたよね?ないなーなんかすっきりしてない?」

確かに。でも流れていく先の方、カーブの所にはゴロゴロたまっている箇所もあったので、少し前に何度か豪雨だったから、その影響かもね、と説明。

「あー、やっぱり川はいいね~」と満足げです。

誰も居ないしね、なんなら周辺の田んぼや畑にま誰も居ない。近くの家の庭にも人影なし。

川には私と長男だけ、そして上の崖、車の前には日傘を差して見てるだけの長女。

長女も一旦、川へ下りて来ようとしてのですが、虫が飛んでいたので、「きゃー、無理、無理、無理」とあのポジションへ。

暑いのにご苦労様。

さすがに、川へ下りると流れもあるので気温が違う、断然涼しい。

ほんの15分か20分程度の川遊びでしたが、こんなんで満足したようで、母はほっとしました。

受験する通信高校も決め、いよいよ、本格的な準備。ゆるゆるとマイペースで何とか頑張ろうね。

おやじみたいな母


2本のビールじゃなくて、表面と裏面を写しただけで1本です。

半端なく暑い中、通勤し、仕事も半端なく大変でおかしくなりそうなので、ビール1本、我慢できずに買ってしまった。

晩御飯を汗だくで作ったあと、冷えたビールからゴクゴク、プハーッ

お行儀悪く、ベンチ型のダイニングチェアに片足のっけて膝立てて、あるいは倒して。
だって足が熱くて痛くて上げていたいんですよ、少しでも高い位置に。
右足、左足、交互に。


ザ・日本のビール、って味わい。

これぞ、おやじのビールって感じ。


子ども達にとって、私は母であり父でもあるかな。

どこに遠出するわけでもないし、旅行に行くわけでもないけど、出かける計画や実際連れて行くのも私。
自転車の空気入れやメンテナンス、時計の電池交換や修理、虫退治、空き缶やペットボトルも洗って乾かしてバリバリ潰す……



つい先日の夜、私の寝床に長女が添い寝、べったり甘えん坊、そのうち、「何してんの?」と長男まで来て、夜更けまで、三人でおしゃべり。

子どもの頃の話で記憶がすりかわってる事もあって、「え?あれー?そうだったの」とか「あれはそういうことだったのか」と今になって分かったこともあった。

私は眠くて「寝かしてくれ~」と言うのだが、2人とも、「えー、もっと話そうよー」

仲良しで何よりですが。

たまにはこんなんもありですね。

眠くて頭痛くなってましたが。




今日は、明日会社が休みの日曜日、清掃業者が入って床クリーニングがあるため、床面に置いてあるものを、入力業務を済ませてから、ひたすら机や棚などに上げる作業をしていました。

新システムは未だにエラーやバグ、不具合だらけで、一つ一つの注文内容も、間違い探しみたいになっています。
でもシステム業者さんは、お盆休みです。

思考力低下。目も頭も疲労こんぱい。

さらに、明日のための肉体労働。

印刷物の束の包みや箱がむちゃくちゃ重い!

思わず、声も出る!

汗も出る!

これ、休み明けの月曜日に元通りにするのは誰?

私?





飲まずにはいられない。

生誕58周年が過ぎ、もう8月、長女はやっと夏休み

今週のお題「ゾッとした話」

先月末、私の誕生日、ケーキやご馳走などで祝うこともなかったけど、長女がTシャツ2枚買ってくれたし、自分で買い物ついでに見つけた抹茶スイーツを買って長女とおやつに食べた。

抹茶カヌレ

還暦まで、あと二年ない………ゾッとする。



でも、
誕生日の前後に、大好きな子供たちとちょっとした色々が出来て嬉しかった。


子供たちが小さな頃から必ずと言っていいほど毎年行ってたフェス。
ドイツオクトーバーフェスト
コロナ禍で、グッズ販売だけだったり、ビル中でソーシャルディスタンスを保ったままの音楽なし、無言飲酒だけになったり、中止になったり、だから、ずっと行ってなかった。

今年、ようやく、ほぼ元通りな開催となったので、長女がどうしても行きたいと(まだ19なのでビールは飲みません)
学校帰りに大学の友達と寄ったけど、一種類のソーセージしか食べてないからと満足できず、まだやってる間に私と行きたい、と。


不登校長男は地下鉄苦手、人混み苦痛なため、行けないから早目の時間に行って、長男にテイクアウトして帰ろうという計画で、学校帰りの時間に合わせ、待ち合わせした。

私は一足お先に、一人で空いてる席に。

流れてくるドイツ音楽の演奏と歌を聴きながら、ドイツビールとカレーブルストで、長女を待つ。

暑いけど、こんな陽のあるうちに野外でビールなんて!嬉しすぎるだろ、贅沢だろ


お初の醸造所のビール(ヴァイツェン)を飲み終える頃、長女合流。

さっそく、大好きなミュンヘナー(ミュンヘンの白ソーセージ)とプレッツェルを買いに行く。

私は、2杯目のビールを買いに。

日本のビールはピルスナーがほとんどなので、オクトーバーフェストでは黒ビールかヴァイツェンビールを選んで飲むことにしているし、その2種がとても好き。

一杯目がヴァイツェンだったから、黒にしようとも思ったのだけど、今回が初だとの売り文句につられて、別の醸造所のヴァイツェンビールにしました。

向かいでは、嬉しそうにプレッツェルを頬張る長女。



お留守の長男には、プレッツェルと、ソーセージ盛り合わせをテイクアウトしてお土産に。


その長男は、不登校児ではありますが受験生。

通信制の高校に行くつもりで、頑張ってオープンキャンパスに私と行ってきました。

アンケートに記入してね、と言われ、まだまだ練習を始めたばかりの自身の個人情報記入………
住所はスマホで漢字を見せながら何とか記入したものの字を小さく書くことができない読み書き障害の息子、番地が欄に収まらず!
ドンマイドンマイ、よく頑張った、まだまだこれからこれから。

そして、先日は、入試説明会にも参加して来ました。
オープンキャンパスの時は、今にも「帰りたい」って言い出しそうな顔つきでしたが、入試説明会の後、担当の先生が、まだ学校内を見て回ってない長男を、案内してくださり、自分から会話を持ちかけたり、問いかけに応えたり、いい雰囲気でした。

子供たちとは良き時間を過ごせてます。

が、


仕事はとんでもないことになってきており、
パート仲間が先日、現社長を「殺してやりたい」とまで発言。ゾッとしました。


8月から、新システム導入、これも現社長が独断で決め、そんな一年やそこらで最初から開発してのシステムがうまくいくはずもなく、それでもシステム開発を受け持った会社に急がせゴリ押し。
8月1日、案の定、注文入力が全くできない不具合、エラー
2日、不具合、エラー、やがてどの判定で入力できるのかは不明でしたが、エラー落ちせずに注文入力できたものが少し……


今も不具合は数々ありますが、入力はできて、発送も追いついています、というか、土曜日の私が出勤した時にひたすら入力して、当日分まで追いつきました。


私の定休日だった金曜日、かなり社長のお怒りと出荷ができる人がいないのに(私を出荷から外したのは社長だから、私に、ほれみたことかと突っ込まれるのが嫌で私が居ない金曜日に来た?新システム導入なのに1日も2日も3日も夕方ちょっと顔出しただけらしいのに。
ドンピシャかもしれん)
地獄の金曜日だったそうです。
今年度、定年退職した知り合いの男性を週3日4時までの出勤で約束し、雇用。本来は製品の安全や保管管理などの業務。最初は社長の社内メールの長文にも、「素晴らしい考えですね」とか「刺激をうけます」などヨイショな返しをしていたそのおじさんも、「日曜日に会議室の設営手伝いに出勤して欲しい」など電話してくる社長に
「僕は日曜日は駄目だって言ってるんだけど、あの人何言ってるのか、分からない」と言い出し、化けの皮がはがれてきました。
そして地獄の、金曜、伝票を出せ出せと怒る社長、でも出荷で梱包する人手なし。宅配業者さんが集荷に来てしまっているのを待たせていたそうです。
とうとうやむなく、その男性も駆り出され初めての出荷での梱包業務。


少し前、側近のような存在の先輩女性も、社長の、あちこちの業者さんへの無理強い、ゴリ押しに、「さすがに非常識が過ぎる」と課長の子と話しているのが聞こえた。


もう、誰一人味方はなく敵しかいません、社長!
しかも殺意まで言葉にする人まで出てきましたよ。体調不良で休む人もいっぱいになってきました。忙しいのに閑散とした会社www。
いつも、私が退社するころ出勤してきますが、私も会社であなたの姿を目にする日があるかと思うとゾッとする。


だから、私もいっぱい有休と夏休みを取って子供たちと楽しい時をたくさん過ごそうと思います。