YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

息子と娘の弟

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

ラッキーセブン、7回目の妊娠で無事生まれてきてくれた息子の誕生、二人目となる出産は、ごたぼうにもれず医師到着間に合わず、助産師さんが取り上げてくれた。
経産婦だから、早目に準備するわねと助産師さん、分娩台に移動して間もなく突然な痛みでこられらず、側の旦那のシャツを掴み引っ張り「ダメだ~」
助産師さんが「え?まだ待って、あ、いや、いいもう全開だ、いいよ、もう、大丈夫」

その言葉に、安心し、長女の時には感じなかった激痛にびっくりしたが、あっと言う間に息子は誕生。
お腹の上に、ひょいっと助産師さんが置いてくれた生まれたばかりの息子の何と小さいこと!そしてなんとキレイな整った様子の赤ちゃん。CMや映画に出演できそうだ、そう思った。

ごめんね、お姉ちゃん。お姉ちゃんだってすっごい可愛かったけど、大きな赤ちゃんで、お父さんのミニだったから。

きっとあなたは幸せになる。


お腹に息子をのせて、小さな体を手で包んで、長女を想った「やったよ、お姉ちゃん、可愛い弟できたよ、やった~」

不育症の母は4回目の妊娠で長女を授かることができ、彼女が可愛くて愛おしくて、彼女の母になれたことだけで満足だったけど、母のように早目に両親が亡くなったら一人でさみしいだろうな、心細いだろうなぁと心配。
弟欲しかったもんね、お姉ちゃん。


ほんとに可愛がって、一緒に遊んで、いっぱい世話焼いて、ここまで来たね。
f:id:y-k-akado0725:20210719214516j:plain

笑顔がなんとも言えない息子は、毎日のように見知らぬおばちゃんを引き寄せた。
「いや~、まぁ、こんなおばちゃんに笑いかけてくれるの!なんてかわいい赤ちゃんなの」
と寄ってくる。
そしてJKまでも「キャー😆やばーい、あの子、むっちゃかわいい~」
おんぶ紐で背中にいる息子はあちこちに笑顔を振り撒いていたらしい。
老若男女。
他のお子さんのパパでさえも……「うわ~、たまりませんねその笑顔、将来が楽しみですね~」


長女が一緒の時、お姉ちゃんは誇らしげだった。『私の弟かわいいでしょ~』と言わんばかりに。
アレルギーとアトピーと喘息持ちの弟は入院もよくしたので、お姉ちゃんは母を取られて寂しい思いもしただろうけど、決して弟を責めたりしなくて心配してくれた。


今現在、乳児さんにすごく流行っているというRSウィルスにも感染して入院した時は、母も一週間付きっきりでお風呂にも入れず大変だった。

まだ同居前、父の実家、まだ汚いボロ家だった頃、風呂にも入れない犬も室内で飼っていて。何かの行事?お盆だったかな、泊まりに来て、長男は高熱を出し、痙攣を起こして泡を噴き出した。

母はほんとはまだ1歳半の長男をこの家に泊まらせるのすごく嫌だったんだ、病気になりそうで。そしたら高熱で痙攣、あぁやっぱり連れてくるんじゃなかったと思った。

救急車を呼んで病院、すぐ点滴、そのままその実家近くの病院に入院。
検査でRSウィルス感染が判明し、他の子達と同室出来ないからと個室、空いてるのが特別室しかないからと通常料金で入れたのはいいけど、この総合病院は付き添いが使えるシャワーなどなく、他の子供は入れないので、ずっと長女にも会えなかった。
自分の食事もままならなかったけど、ぐったりして、手に痛々しい点滴、呼吸をサポートする酸素のチューブ、心配しました。
写真は、ずいぶん回復してきて起きるようになった頃だね。
f:id:y-k-akado0725:20210719224735j:plain


そんな弟は小5で不登校

お姉ちゃん、想像しなかったよね全く。

お姉ちゃんが中学生になってしまって、小学校にいない、一緒の登校じゃなくなって寂しそうだったけれど、平和主義の弟はみんなにも先生にも好かれ、お友達もいっぱい。勉強は出来る方じゃないけど得意なこともいっぱいあった。

三年生の時、学級崩壊寸前で、お友達に殴られ怪我したり、仲を取りもって、とばっちりで蹴られたり、大変だったけど、仲良し君達と助け合って頑張っていた。
そしたら、お姉ちゃんも本人も大好きな先生が四年生で再度担任になってくれて安心したよね。
でも、この頃から、あいつは、色々苦しんでたんだ。

そして


自分の奮闘と娘のやさしさと、HSP息子の不登校の始まり、涙が止まらなかった記憶のあの日
y-k-akado0725.hatenablog.jp

もうあれから二年がたったのか・・・


あの日はほんとうにいっぱい泣いた


普段泣かない母の涙をいっぱい見たでしょ?息子よ。
お母ぁが泣いたとこ一度も見たことないって言ってたよね昔。
いっぱい見たよね。


ほんとうに悲しくて、切なくて、そして嬉しくて。


死を口にするようになった息子、「学校に行かせない方がいいと思います」とスクールカウンセラーさんのすすめで、この五年生の一学期を最後に登校を止めた。


母はあの日が忘れられない。頑張り過ぎてた母と息子。
休むこと、手抜き、あきらめる、焦らない、頑張らない

ネガティブなようで視点を変えたらポジティブな作業。
手探りで進んで来て、今は、未来のことを語るようになった息子。
もちろん、まだ不登校で勉強にも手を伸ばさず毎日ゆるゆるな生活だけど生きて笑顔も見せてくれる。大きな声で笑う。
不登校になってからHSCだとは知ったけど本人には伝えてない。
今年、中学生になってから、読み書き障害だったと分かって、それは伝えて、本人も一時ショックを受けた。でもそれを今後は武器にするらしい、そう、『これから』との言葉、未来の話をしてくれる。


母は今でも気持ちが凸凹して、上手な子育てとは言えない母だけれど、母にしてくれた二人が生きていてくれるから、母は全力で人生を生きています。


今日は私の誕生日。

母の母が命をかけてこの世に送り出してくれた日です。

そう、誕生日って、ただ歳をとる日じゃないんだよね。

56年、楽しい事も苦しく悲しいことも、そして今の長女のように自分は何者か、生きていることに意味が見いだせない、どうすればよいか分からないイライラもいっぱいあった。
生きている意味なんて必要ない。
生きていよう、生きて行こう、手を取り合って。

先日、長女が自分とお揃いで買ってくれたTシャツを今日着ようと思います。

ちょっとしたことに幸せを感じて明日を迎えたら、またその次へ。

そしてまた次へ。