家からすぐの障害者就労継続支援A型事業所にパートで入って半年が経った2025年新年、約1年前の今頃は、年末年始休暇中にタイミーさんとしても、初めての仕事先に赴き奮闘していた。
そして、これを書いている今日もタイミーさんとして飲食チェーン店の洗い場で働いてきた。
お正月休み、買い物客で賑わう複合店内のフードコートにあり、家族連れがとても多くて、下げ物棚がいっぱいにならないようにだけには気を付けて、必死に下洗いし洗浄機にかける。かけている間に次にかける物の下洗いをし、休みなく洗浄機を回したいのだけれど、キレイになった食器類を一旦置いておくスペースが狭過ぎて、すぐに置き場がなくなるのでスタッフさんの邪魔にならないよう人をかわしながら、声かけしながら狭い店内を器の山を持って定位置に片付けに動かなければならない。
一旦シンクの底が見えるようになる瞬間はあったものの、終わりの見えない洗い物の山。
退勤時間、山積みではない程度の状態にして業務終了することは出来たと思う。
半袖で慣れない場所での洗い場、腕や指に覚えのない傷がいくつもできていた。
転職から約1年半経った今でも、転職前の目標月収にはほど遠いため、出来る時に出来そうな仕事があれば、タイミーの仕事を入れるしかない。
2025年夏、還暦を迎えた私の身体のあちこちが悲鳴をあげている。

二十年ほど、通販会社の電話オペレーター兼様々な担当業務をこなしてきた。
間に2人の子供の出産と育児もあった。
コロナ禍を乗り越えたかに見えた会社は、その少し前から勢いはなくなって来ていた。
そして、どんどん、どんどん、電話が鳴らなくなった。スタッフもどんどん減っていった。
50代のうちなら、転職も何とかなるかと思い、理不尽な配置換えになってすぐ、私も思い切って辞めた。
残った後輩や同僚に目を真っ赤にして泣かれたり、抱きしめられたり、けっこう辛かったが、結婚出産が遅かった私はまだまだ子育ては続くし、収入を上げないとならなかった。
クレーム対応もしていた年季の入った元オペレーター、電話対応も自信があるし、書類作成の担当もしていたため、どんな業界でもいいからデスクワークの仕事で雇ってもらえるだろう人手不足だし。簿記出来ない、計算苦手だけれど。
甘かった。
非常に甘かった。
最終学歴は専門学校、元劇団所属俳優で正社員として企業で働いたことなし、派遣業務かパートの職歴。
58歳のフルタイム転職、出来ませんでした。
退職前1ヶ月、有給休暇消化中にハローワークに通い、応募書類を送っても送っても、面接もしてもらえない。
やむを得ず派遣で得た9時5時のデスクワークの仕事、3ヶ月限定のものだったけど、空きが出たら別部署で継続の可能性も、と言われた。
空きは出なかった。
失業手当をもらいながら、
タイミーで小銭を稼ぎながら、
ハローワークに通いながら、
履歴書と職務経歴書を何枚も何枚も書いては応募した。デスクワークだけでなく、軽作業をも含めて応募した。
面接に進めたのは、今の勤務先を含め3件だけだった。
1件は1人だけ採用のところに16人も応募がきて採用担当者がテンパっていたデスクワーク、他の方にお願いすることになりました、とご丁寧なお電話で不採用。
1件は仕出し屋さんの電話受注件事務、でも面接で残業出来るか聞かれたのと、料理配膳もお手伝いする匂わせがあり、あれもこれも全部やらなくてはならなくなるのを感じた。電話で是非来て欲しいと採用の連絡を頂いたのだけれど、お断りしてしまった。
そして、今の勤務先、家から自転車で3分。
面接のその場で、採用だった。
一旦考えさせてもらった。
というのも、9時5時勤務程度が希望で探していたけれど、ここは16時までの募集、計算して16時まででも土曜日出勤あり、祝日は休みではないので、目標ギリギリ届く月もあるかもしれないと思い応募した。
ところが面接で、
「ここでの仕事は15時半までです。その後は別の所にある事業所に移って社員は17時半頃までそこで作業や車運転して納品に行ってもらったりしますけど、ここは15時で利用者さんが帰ってから、その後片付けや掃除ぐらいしかないから半までですね。」
「社会保険希望ですかー、失礼だけど、その年齢で、はいそうですか、って社会保険には入れられないなぁ〜様子見かな。
この条件でいいって事ならうちはすぐ来てもらっていいので」
ハローワークでも社会保険、厚生年金加入を条件として探してもらっていた。パートでも条件に書いてあったはずだが、全員というわけではなかった。
正社員募集もあったのだけど、運転必須、しかも、7人乗りやハイエース、普段、軽のマニュアル運転の私には無理だったため、16時までのパートで応募した。
悩んだ。
でももう次を探す元気も時間もなかった。
3ヶ月失業。
旦那の両親同居、子供2人、6人分の食費や生活雑貨などの現金支払い分は私が担っている。
通勤時間が5分、時間が有効に使えるし、昼休みは家に帰って食べれるから節約にもなる。子供達が居る時は一緒に食べれる。
電話でタイミーのダブルワークを了承してもらい、働くことになった。
軽作業と言う名の肉体労働だった。
手作業が多いと聞いていたので、少しは座るタイミングもあるかと思ったが、初日、利用者さんが出勤前の時間帯、スタッフの女の子が座って作業内容を教えてくれていたのでならって隣に座って同じように作業していたら、面接官でもあった女社長が「座らない!椅子は利用者さんの物。座って仕事ができるなんてこと教えないでよ!」とスタッフの子が怒られてしまった。
スタッフはずっと立ち仕事なのだとその時に知りすでに後悔したことを思い出す。
でも、最近、週3日だけのパートさんが入り、私の時とかなり対応が違う。私よりもかなり若い40代ほどだが、「そんな立ってやってると腰をやられるよ、座ってやりなよ、スタッフ用の丸イスあるでしょ」と気遣いが、すごい。細身で力仕事が苦手そうな女性だし、辞められては困るからなのだと思うけど、私の時との差がひどくないですか?と言いたくなる。
私は未だに座れないどころか、動きっぱなし、力仕事も率先してやっているので、夜は這うようにして布団に入り、朝も這い出て、階段は手摺を持って上り下りしないと落ちて大怪我をしそうな状態、いつも仕事に行けるだろうか、仕事が出来るだろうかと不安になるが、家事をこなしているうちに少しずつ身体が動くようになってくるから不思議。
それでも、この仕事で、もう以前のようには戻らないだろうなという身体の箇所がいくつかできてしまった。
コロナ禍前までは剣道現役だったが、今は自分が立ち上げたホームぺージの管理人兼問い合わせ対応と稽古場確保の事務方だ。大事な箇所を痛めたこの身体では復帰は出来ない。でも、剣道会の子供達の成長や見守りも私の拠り所なので、そこは忙しくてももうしばらく頑張れる。
仕事場は狭い、利用者さんは椅子に座り机で手作業、その間を時にはかなり重い物も持って動き回る事も多い、置いてある物越しに必要な物を取ったり、出来上がった製品を重ねたり、その場所の狭さがより身体に負担がかかる。
基本の仕事は駄菓子のパック詰め袋詰めだが、間に様々な作業が来て、どのように作業するか、誰に何をしてもらうか段取りも難しい。
利用者さんの障害は様々で出来ること、出来ないこと見極めも大切、身体的障害だと聴覚障害の方が現在2人いるが、どちらも色んな事が器用にできるので、頼れる。知的障害、発達障害の方も多いが、メンタルを病んでる人が1番多い。
社長が最初言っていたが、「障害者の人って基本ワガママだからね、意地悪も平気でしてくるから。
壁貼ってある決まり事、暴言、いじめ禁止、それはスタッフに対しても同じ事、何かされたりしたらすぐに報告してね。」
報告しなくても、狭い場所なので声は筒抜けだったりする。私が入ってすぐに退所となった利用者さんもいた。
そんな所なので、スタッフは続かない人が多い、若いバイトは特に。1年半で4人?かな?1日でいなくなったバイトの男の子もいた。
体力も忍耐力も瞬時の適応力も必要な仕事。
社長は、言う事がコロコロ変わったりするので、難しい事もあるが、豪快に笑い、スタッフの一員となって一緒に作業することも多い人、そして、私の家庭環境と経済的な事情も知っているので、毎日のように食材やお菓子など帰りにお土産をくれるし、私の利用者さんのかわし方と仕事の技量を認めてくれている。厳しい業界なので、給料は上がらないけど。
少し前に、嬉しい事もあった。
古い利用者さんだが、若い男の子、人と関わりを持つことに大きな壁を作っている。昔はよく暴言や暴れるようなこともあったらしい。でも、何でも上手に出来るし、色々できる頼れる存在、苦手なタイプの人も多いが、信頼関係が出来ている人には話もできる。でも自分のテリトリーを邪魔されたくない子。
その子と、外の手洗い場で2人になった。
私は作業後の一段落で台拭きを洗いに行くと、その子が丁寧に几帳面な手洗いをしていた。
最近、スイッチ2を手に入れて休憩毎にゲームをしているので、ゲームの話をしてみた。
すると、すっごい普通に、敬語も使ってくれ、笑顔も交えてゲームの話をしてくれた。私が2人の子供のお母さんってことも、もう今となっては知ってる事だろうからというのもあっただろう。私も息子のゲーム事情も話して、会話が成り立った。
他の人がこの場面を目撃したら、目を丸くして固まってたかも。
子供好きの私としては、この年代の利用者さんと交流出来た事が何より嬉しく、疲れも身体の痛みも吹き飛んだ出来事でした。
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by マイナビ転職