YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

澄んだ冬の青空に叫びたい

今週のお題「大人になったなと感じるとき」
今でも自分が大人だと思えない。この年齢になってもそう思えるのだから、きっと死を迎える時まで大人だと思えないのだろうな。

と言うことは、『大人』に求める定義、理想が高いのかな?

子供の頃は、大人ってもっと何でも知っていて、何でも出来る存在だと思っていた気がする。されど、今の自分は知らない事が多すぎ、出来ないことも多すぎ、「ふがいなし❗️」と思う事が多すぎ。
実際、ここまで歳を取って「こんなもん?中身、高校生の頃、専門学校生の頃とどう違う?」と自分に問うてみる。

あ、あの頃と思うと人と話しが出来るな。

子供の頃は、人見知りが激しく、言葉少なく自己表現が下手な子だった。
母親にいつも「子供らしくない子」と言われていた。
思ったことを言葉や態度であまり見せない、遠慮ばかりしていた。

でも突然、これやる❗️こうする❗️と自分で決めて突き進むので、思考中の過程を見せていないから、母親は「ええーっ」なんでまた❗️ってなって慌てることが多かったかと思う。そのうち慣れたねきっと。


そこからはさすがに成長しているが、中高生の頃も、専門学校生の頃も仲良しグループでつるむことも苦手、特に女子の中にいてもあまり居心地が良くなかった。服や化粧品、音楽や異性のこと、会話に入れなかったから。
きゃーきゃーとアイドルのことや彼氏のこと、会話してる同級生達に、ひいていた。
だからって友達がいなかったわけではなく、グループ作ってーと言われたら入る所もあったし、声もかけてくれた。たまたま人数が合わなければ、抜けて、違うグループに入ることも苦ではなかった。


アイドルに興味なく、趣味と言えば洋画とスポーツだったので、会話がはずむような女子はいなかった。

だから、友達といても、いつも「ふん、ふん、へー」と聞き役だったかと思う。


劇団に入ってからやっと映画の話が出来る相手がいっぱいいた。スポーツも野球やバスケをやる機会もあった。
そこでも、たわいもない会話、というものが苦手だった。それは、今でもそうだな。


世間話、たわいもない会話……

今でもかなり苦手だが、この歳になってようやくちょっとできるようになってきたかもしれない。
段取りよく、説明、案内、いわゆる司会進行みたいなことは得意だ。が、宴席などでたまたま隣の席になった方と楽しげな会話……苦手。

大人?

世間話が出来る、って大人?かな?

知り合い程度の方や初対面の方々と同席して、たわいもない会話で場をつなぐ、「つなぐ」っと言ったら語弊があるかな、相手に気分良く過ごしてもらうような会話、これができたら大人かも。

さりげない気遣いができる方、そして更に上手な会話できる方、おとな~って思える。
私には難しい。

でも、若い頃に比べたら格段に出来るようになった。いつ、まともになったかは自分では分からない。
そして、自分では出来てると思っても相手はそう思ってないってこともありますね。
やっぱり難しい。大人の理想が高いかな、やっぱ。


まともかどうかは不明ですが、あえて自分が大人になったとすれば、親がこの世から居なくなった時かもしれません。
後ろ楯が無くなった。
逃げ場が無くなった。
自分で何とか生きるしかない。

なんとか生きているか、私。

親となって苦しみ悩みはするが、生きています。

大人になったかな、私。

五十も大きく過ぎ、四捨五入で還暦、こんなこと言ってる大人で申し訳ない、「ふがいなし❗️」

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