YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

9・11と遥か昔の記憶

もうあの衝撃の日から何年経ったのでしょう。

ニュース映像はまるで映画の世界、でも現実だった。

そうか、あれから19年?

アメリカ、ニューヨーク、ワールドトレードセンタービル。もうあの地に建っていないのが今でも信じられない。


その数年前に、私はそこにいた。


学生時代にアメリカ、カリフォルニア州のある市にホームステイした。そのホストファミリーを再度訪ねて、その10歳違いの末娘さんのお家に滞在させてもらった。

学生時代の滞在は西海岸やメキシコ。
他の地も訪ねてみたいと、思い、あちこち一人旅の計画を立てた。

アメリカ、カリフォルニア州、リバーサイドシティの一軒家、末娘は仮にモニカとしておきますがモニカの家。庭付きの平屋でベッドルームは確か2つ、1つはモニカ自身、もう1つは既にスイスの友人滞在中。
なので、私は、モニカの広~いベッドルームのベッド横の床にマット?ブランケット?だかを敷いてもらって寝てました。
彼女の家での寝泊まりは確か2日か3日、あとはそこを拠点とさせてもらい、ラスベガスやグランドキャニオン、そして、東側、ニューヨークへ単身。
彼女の仕事先、リバーサイド大学に一緒に付いて行って、彼女の仕事中は、大学の演劇舞台部?らしき所に紹介され(もうすでに演劇人だったので)、そこの学生が色々、大学内の舞台や設備も案内してくれ、どんなことをやってるか、勉強しているかなども教えてもらいました。
とても興味深かった。
カフェテラスで、カフェラテ飲んだりランチ頼んで食べたり。
大学行ってない、最終学歴専門学校出の私、ひととき、大学生になった気分、しかも日本じやなくて、アメリカのキャンパスライフを楽しませて頂きました。



その当時まだモニカの家は購入してさほど経ってなく、リフォーム中。

キッチンの床をタイル貼りにしていて、作業は彼女のお兄さん、家の修復などが本業です。学生時代のホームステイ中にもよく会っていたので知った仲。

彼にも、モニカにも、一人でニューヨークに行って来るという私を「Are you crazy?」と。
一人でニューヨークに行く事にかなりホストファミリー達は心配してくれました。
アメリカ人の私でも、一人でなんか行けない、行かない、って。


そう言われてビビる私ではありません。


注意して対策を立てて危険な場所に行かない、危険なことをしない、これで大丈夫。

飛行機でニューヨークに降り立ち、街をウロウロ、目的であった舞台鑑賞、オフブロードウェイの芝居を一つ観ることができました。
宿は確か、ブロードウェイに行きやすい場所に取ったかと思います。
劇場へはジーンズにTシャツでは入れないと聞いていたので、ワンピを持って行ったか、ジャケットとシャツだったか記憶にありません。

それ以外は、街の散策、履きなれたスニーカーでよく歩きました。
ジーンズに、軍隊の払い下げか何か?っていうようなカーキのくたびれたジャケット、よく使い込んだお気に入りのリュック、そんな格好の日本人女子一人。
小綺麗な服着て、ガイドブックなんて見てたら日本人観光客バレバレですから、大まかな地図は頭に入れて歩く、歩く。
そして、セントラルパーク横の大きな交差点でキャリアっぽい黒人女性が道を聞いてきました、私に。

どこのことを聞いたのか覚えてないんですが、地図で記憶にある割りとメインな場所だったかと思います。
方向は分かっていたので、指をさして「over there、I think. not sure」
そんなふうに答えた気がします。

観光客には見えなかったんでしょうね、私。

ほんとは、おもいっきり観光客ですが。

ここニューヨークに住んでるバイト帰りの東洋人、って感じだったのかな😁


まだできたばかりのビルの展望室からの景色が良いと聞いていて、歩いて向かう。


そう、ワールドトレードセンタービルの展望階。


ベンチに座って時を忘れました。


そこでずっと景色を観ていた。


ちょっと、なんて言うか、NYに夢を掴みにやってきた若者が摩天楼を眺めて、勇気を振り絞って頑張ろうとしている?そんなシーンを思い浮かべてしまう、浸ってました。


やがて、キレイな夕焼け

気がついたら素敵な夜景に。

ずっと、ずっと

何時間そこに居ただろう……


あ、いけない、真っ暗だ、危ないから大通りを選らんでホテルに帰らなきゃ。

ホテル近くのチャイニーズ惣菜の店でテイクアウトしてホテルの部屋で余韻に浸り一人夕食。



あの思い出の地はもうない。


あそこには戻れない。


私が座っていた、かの地に飛行機が……
あの天を仰ぐ高いビルが崩れさるのをテレビで見た。

あそこに何時間も座っていた若き日の思い出の地は、悲劇の場所となってしまった。


現在の私の生活の地も、今は目に見えない敵に多くの苦しむ人々で溢れている。
誰かの良き思い出の地が崩れ去ることのないよう、願うばかり。
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