今週のお題「大切な人へ」#不育症
またまた、子供たちになってしまう自分がいる。
だって、この子達に会えるまで、それなりの苦労があったから。
#不育症 当時は不妊治療には補助があったが、こっちには全くなく、貧乏役者世帯はさらに医療費貧乏になった。お友達が市議になり、不育症に補助がない事を知り、国会議員を連れて来て、数年後、新聞に『不育症』とデカイ文字。補助金制定へ、みたいな。びっくりした事思い出す。
— y-k.akado1965 (@akado1965) 2020年2月12日
不育症ニュースの記事を見てツイートしてみたが、
みんなすごく悩んで苦しんでいるみたい。
私が最初の妊娠が稽留流産になり、不育症との戦いが始まった頃、もう17年ぐらい前の事だから、さらに不育症なんて言葉は全くと言ってよいぐらい知られていなかった。調べても著書なんてなく、あったのは、どなたかの体験談、エッセイのような本が唯一で、その方も、全く本がないから自分の体験談を書かれた。医学的な記述はほとんどなかった。
妊娠し、産まれてくれば、自治体からの補助金も出るが、途中で妊婦ではなくなるから、それまでの通院費、流産後の処置術や手術ともなれば入院費、不育症の診断で検査や特別頻繁に通院しなくてはならないから、どんどんお金はなくなっていく。
ボロ古賃貸住宅の同じ一階で子育てに奮闘していた玄関ドアが向い合わせのサラリーマン家庭が、ある日市議さんのご家庭になり、お互いの子供を家の前で遊ばせながら、奥さんに愚痴った。
しばらくして、旦那さんのお知り合いの国会議員さんが、会って話しを聞きたいって言っているから、伺っていいかと打診、狭い暗い汚ない玄関口で、不育症の現実をお伝えした。
そして、あの新聞の見出しだ。
その頃は、出世のお手伝いをしただけかな、ぐらいにしか思ってなかったが、今は多少なりとも補助金もあり、不育症専門外来や専門医がすごく増えた様子。
始めに色々調べてみようか、と専門ではないにしても可能性を探るように診察にあたった市民病院の主治医、私は後学のためになるなら、モルモットでも良いと思っていた。
幸いにして二人も授かった高齢母は、毎日格闘中だが。それも二人がいてこその苦労と幸せだ。
苦しんでいらっしゃる方の中には、流産した子達の供養をする日々とあった。
私も長女を授かるまで、三人流産していて供養もしたが、一度の祈りでさよならとする事とした。
それは、長男までの5回目、6回目、長男の後の8回目もそうした。
2回目、3回目、苦しみ、悲しみ、冷たい激痛
旦那の見た夢と私の見た夢、そして、感情とはどこか違う所で感じた事、感覚?何か次元の違うもの
我が家に来るべき子供の魂は決まっていたのではと思う。流れてしまった子達の魂は、ここ、我が家ではなかったのだと、そんな気がするようになったからだ。
長女の魂は我が家の長女のもの、長男の魂は我が家の長男のもの。
誤解や不快を生んでしまうかもしれないが、流れてしまった赤ちゃんは入れ物だけで、魂は私と旦那の所に来るべき子ではなく、違うどこかに行くべき魂、さようなら、ありがとうを込め祈りを捧げ、霊は解放してあげる。
きっぱりサヨナラして、行くべき家庭へ送り出してあげる気持ちへと私と旦那はいつか、変化していった。
あるいは、本当に入れ物だけで、魂はまだ降りてきてなくて、上から様子を見てるんじゃないか、何て気もする。
さよならした霊は、きっとどこかのお母さんのお腹の中の赤ちゃんの魂に。
いつまでも、悲しみにくれ、嘆いていては、離れて行けず、行くべき母の元にたどり着けず、また私の所に来るべき子の妨げとなってしまうのではないだろうか、とも思っていた。
こんな事言っても、現実に苦しみ悲しみの底にいる方には何の救いにもならないかもしれないが。
私たち夫婦が通ってきた道のりの話です。
旦那は夢に出て来る女の子がいつも同じ子でお寺に居て、お坊さんに「この娘はずっとあんたの面倒をみてくれる子だから大事にしなさい」と言われた夢。
私は、フワフワとした白っぽいものが自分の周りを漂っていて、それが、そのうちかたまりになり、光を放ってあちらこちらへと飛び立って行く夢。
そうなって欲しいと自分の奥底の願望からきた夢だったのかもしれないが、でも何故か、私の所に来なかった魂は何処かの子に宿り生きている、あるいは、まだ自分の番が来なくて、待機中なのかもしれないな、なんて思うんです。
甘え上手な長女は、そこをうまく利用、土台として、意外にしっかりとした判断と行動、世話好きな所は母に似たか。
ブーブー言いながらも、きっとずっと父の面倒を見てくれるんだろう。
生まれながらの特質、HSC敏感長男は、この母だから、こんなお姉ちゃんがいてくれるから、ここなら、この人たちの所なら大丈夫かなぁと来てくれたのだろう、と改めて思う。
よく、子供は宝物だね、という言葉を聞くし、実際、演劇の大先輩にその言葉を手紙で頂いた事がある。
大変失礼ながら、返信で書いたが、「宝物はなくても生きて行けるもの、私にとって宝物と言う言葉では足りなさ過ぎる。無くては生きてゆけない存在」そんなふうに書いた気がする。
大切という言葉でも足りない。
多分、私の命そのものなのだろう。
ここまで書くと、何だか、いつまでも、ずっと側にいて、子離れできない、子供を溺愛するダメ親になりそう?
そうならないよう、少しずつ準備しておくよ。
毎年、バレンタインには手作りチョコを作る長女の代わりに、今年は俺が作る❗️と、男子の長男が初めて作った。溶かして、垂らして飾るだけですが、「いつもお姉ちゃんのやるの見てたから、できたね」と嬉しそう。
母は、残った材料と家にあった材料、ホットケーキミックス、牛乳、卵、ココアで、計量もせずに、こんなもんかなぁ、って混ぜて広げて、オーブントースターで焼いたブラウニー❗️想像以上にちゃんとでき、うまかった♥️
我が家に来た魂は、私の魂をも少しずつ吸収し、大きく揺るぎないものとなり、いつか私の元を離れ、自ら輝きを放って旅立って行くことを願って止まない。
そうなると信じて母はあなた達を大切に想う。毎日を生きる。
あなた達が母を信じてこの世に降りてきてくれたから。