YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

#不育症の事

子供たち二人と出逢えて感謝。こんな可愛い二人、授けてくれて主人に感謝。
三十も大きく過ぎてから劇団の後輩と結婚、子供が欲しかった私は、ハネムーンベビーに「早すぎたかな、旦那にちょっと悪かったかな」と思いながらもすごく嬉しかった。通いやすい家から近い個人病院に通う事にした。初診で小さなおたまじゃくしみたいな赤ちゃんは、元気に心臓もプクプク動いてはっきりとした映像。自分自身が宝物になったような、ふわふわしたとても不思議な気分。普段ジーンズばかりでスカートを持っていない私は、健診とかで不便だからとスカートを買ったり、先にママになった後輩から要らなくなったマタニティをもらったり、バイトをちょっと減らしたり、準備も楽しんでいた。初診からわりとすぐ3ヶ月健診だったので「そんなに大きくはなってないだろうな~」と思いながら受診、普通に目の前のモニターを見る…何か変、先生の「ん?」がカーテンの向こう…しばらくの沈黙。
大きくなっているどころか、ピクリともせず、ぼやけた感じ、先生の「残念だけど、心音なくなっちゃってるね、もう死んじゃってから結構経ってるみたいで溶けてきてるから、これそのままにしておくと不妊症になっちゃうから早く摘出した方がいいね。明日手術予定入れていいかな?」
真っ白に、だけどポロポロと涙、早い方がいいの言葉に頷くしかなく、翌日予約して主人に電話、涙が止まりませんでした。翌朝、病院の受付へ行くと「あぁ、中絶手術の方ですね」と他の患者さんも居る所で言われ『え、あっ、これも中絶というのか』
とショックを受けました。全身麻酔で手術、意識は真っ白なまぶしい世界に数万もあろう真っ白な様々な大きさ厚さの板が飛び交う中をさ迷い、浮かび、寒さに震えていた記憶。とにかく、寒い、助けてと思っていると「○○さん、○○さん聞こえますか?」パチッパチッっと頬っぺた叩かれました。その後ドアを開けて主人を呼び入れる看護士の声。足が氷のようで寒くて寒くてと主人に訴えていたかと思います。 これが、最初の[稽留流産
その後、私は、少し鬱状態だったかも、人の目が見れない怖い、外に出たくない、そんな状態の時もちょっとだけありました。現実から逃げたくて、ハネムーンに行ったドイツへ、楽しかったドイツへ、貧乏劇団員にはきつい状況でしたが、クリスマスマーケット時期のドイツに主人と再度訪れ、おとぎの国は現実と戦う力を私に与えてくれました。
あの看護士の言葉に傷ついた私は、あの産科には二度と行く気にならず、二度目の妊娠は歩いても行ける距離にあった市民病院の産科にしました。やはり二度目も途中で不正出血する、なかなか心音が出ない、[稽留流産]、でもここでは中絶手術とは決してだれも言わず子宮内摘出術と言ってた気がします。市民病院なので様々な環境や事情をもった妊婦さんもいて待ち合いは他の科の患者さんもいて気が楽でした。手術の日程までに自宅で大量出血、激しい腹痛で夜間に市民病院へ、ほとんど流れてしまいましたが、残っていると良くないからとその場で麻酔もなく鎮痛剤だけで処置。先生によると麻酔使用となると入院になって今日帰れなくなってしまうからと、産科外来の処置室で。鎮痛剤はほとんど無意味、金属の器具で子宮内を掻き出します。気絶しそうなほどの痛みをかなりの間絶えました❗️本当に味わった事のない痛み❗️これを耐えられれば出産なんてなんの、って感じです。これの次に痛かったのはアキレス腱断裂した時の手術かな。
子宮内摘出術を麻酔なしでする痛みは激痛と寒さと悲しみを伴った、冷たい痛みです。5回の稽留流産の内、麻酔で痛みなく手術ができたのは初回と後一回だけ。初回は個人病院で麻酔覚め時が寒く気持ち悪かった。この市民病院で麻酔科医による麻酔で手術した時は本当に深い眠りから気持ちよく目覚めたので、あれは何だったんだろう、って。
本来三回稽留流産が続くと「不育症」と診断する事が多いそうですが、担当の先生が、不育症として色々調べてみる?と言われたのでお願いし、私だけでなく主人も調べてもらいました。主人の精子は何の問題もなく、私の子宮の傾きが少しおかしいのと、染色体に『モザイク染色体』という部分がある、でもこれが原因とは考え難いとの結果。うちではこれ以上調べる事ができないからと大学病院の不育症外来を紹介してもらい通う事に。結局、はっきりとした原因はわからずでしたが、年齢も年齢だからちゃんと育つ卵がなかなか排卵しないのかも、って。妊娠出来たら、また受診して下さいねって。
貧乏役者世帯は医療費ばかりかさんでいきました。不育症はまだ世間では知られてなく、稽留流産も病気ではないから実費、不妊症治療には一部補助金も出てた時代でしたが、不育症には何も。最初の稽留流産でバイトも事務職に変えました。二度目も三度目も劇団の舞台で無理をしたわけではなく…それとも次の舞台があるからと思ってるから子供が来てくれないのか、この親は親としてまだ準備できていない、自分の事ばかり考えてるからサヨナラしよう、ってなってしまうのか、いや、そんな訳ない、ただ先生の言ったとおり、なかなか育つ卵がでないだけ。そもそも、私は本当に母になりたいのか?……
そう、芝居で誉められるより、有名になるより、私は今母になりたい、子供が欲しいの❗️
提案のあった二人芝居、ずっと一緒に頑張ってきた同期との二人芝居、やろう、凄い大変な芝居、稽古時間も夜中に組み込まないと公演までもっていけないけど、最後に気の合う大切な仲間と引退公演やろう。そして妊活、母になる努力をしよう。長年の稼業にサヨナラの決意をしました。
バイトに主婦に芝居の稽古、衣裳や小道具、スタッフワークも、芝居自体も二人でコロコロ衣裳換え、何役もこなすコメディ要素満載。不眠不休で本番、大先輩の大女優に「東京のほんもんの方も観たことあるけど、あんたの方がいい、好きだわ」これでやめられる😌その後気がつきました、妊娠していたこと!あの大変な日々と運動会のような舞台本番を乗り越えた4回目のお腹の赤ちゃんはスクスクと育ち、安定期へ。出産は近くの病院が良いだろうからと大学病院から、元の市民病院へ。順調に育ちましたが、出てくるまで2日かかりました。大きな元気な女の子は、弟思いの優しいお姉ちゃんに育ちました。この子に姉弟を作ってやりたいと、またその後、2回稽留流産。7回目の妊娠ラッキーセブンは我が家の癒しアイドル、現在不登校気味で心が風邪ひいた可愛い長男です。
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#「迷い」と「決断」

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