YK-akadoの『不』日記

元劇団女優・まだ細々俳優鬱治療中の旦那の両親と同居で頑張る2児の母・剣道に息子と通う有段者で役員、その息子は不登校児に・長年勤務の パート主婦 、色んな立場で感じた事やぼやきを書き綴り、最愛の子ども達に何か残ればいいな。

人生最大稼働の時代平成

f:id:y-k-akado0725:20190420102631j:plain今週のお題「平成を振り返る」
平成がスタートした頃…うわー、20代か❗️しかも、芝居の世界に足を踏入れたころ😱
その頃、八歳年下の旦那は中学生?剣道部でがんばってた時代でしょうか、まだまだ高校で演劇部に入るとは考えてもいなかったのかなぁ。
三河の田舎から名古屋に出て一人暮らし、バイトしながら演劇の修業に舞台稽古、「稼働時代」とは題してても、稼いでいたわけでもなく、家賃を滞納しないようギリギリの日々、劇団内でも下っ端のうちは、スタッフワークが半端ない❗️三日間寝ずにバイト行って稽古きてシャワー浴びてまたバイト行って、深夜の衣裳の縫い物しながら、目は開いてテーブルを見つめているのに「ガクン!!」って舟漕いだ時には自分でも、周りの子達も超ビックリ‼️「え~❗️今寝てた?目開いたまま固まってたから考え中かと思った~😰」と。その時、思い出した事が『そういえば、中学か高校の剣道の試合の帰りの電車で、立ってつり革につかまったまま、外の景色は見ているのに、寝てたことがあったな、人間、目を開いてても眠ることできるのか、私って忍者みたいだなぁ』と思い出した事を思い出した。
劇団で舞台や、たまにあるラジオやテレビの仕事、貧乏生活や様々な体験をして一番踏ん張りがきいていた頃を経て、同じ劇団に入ってきた高校演劇部上がりの八歳年下後輩と結婚。その時点では、もう母親は他界してて、父親が田舎で一人暮らし、その父も私の長女が一歳の時に肺炎で急死。
30歳も過ぎての結婚は、子供が欲しいから二人の時間をゆっくりは無理、それでもいいならという条件を出し、ハネムーンベビーで妊娠しましたが、3ヶ月健診の時に医者が「ん?あれ?」…妊娠確認で医者に行った時にはもう心拍があっておたまじゃくしのようなものが激しく動いていたのに、全く動きなく、「残念だけど、心拍止まっちゃったね。もう回りがボヤーと溶けてきてるみたいだから、摘出しないと不妊症になりかねない、早く処置しましょう」冷たい異次元に一瞬で移動したような、『無』の世界に入って、手術の段取りや手続きをしていたような記憶、迎えに来てもらう旦那に電話をかけ、心拍止まって死んでしまっていた報告で涙が溢れ、言いようのない罪悪感のようなものに覆われました。最初の妊娠が稽留流産で終わり、そこから、さすがの私も精神的に少々やられ、旦那以外の人と話ができなくなり、こもっていた時期も少しだけありました。二児の母になるまでの戦い。挑戦が始まりました。稽留流産を繰り返す『不育症』は今では割りと聞くようにはなりましたが、まだまだ知らない人の方が多い気がします。私の『不育症』の戦いはまたに記すとして、長女は4度目の妊娠で、長男はラッキー7、7度目の妊娠で授かりました。長女が産まれてきた事も奇跡で十分なのですが、可愛いくて仕方ない彼女にどうしてもきょうだいを作ってやりたかった。さっさといなくなった自分の両親、私に妹、弟がいて本当に良かったと実感したから。まして高齢出産の母はとっととこの世からいなくなるかもしれない、支えあう家族をこの子に。と貧乏役者の世帯の贅沢な思い。7度目の妊娠で無事産まれてきた小さな赤ちゃん、コマーシャルに出せるんじゃない?って出てきた瞬間思ったぐらい可愛いキレイな赤ちゃんは愛娘の弟でした。何時だったか、長女が「○○がいて良かった~。1人っ子ってほんとつまらんだろうね~、だってさ旅行とか遊びに行っても親と遊んだり話したりしかできんでしょ?○○いるから一緒に遊んだり色んな事できるもんね」と言ってくれた事があります。写真の息子は生まれて初めて芝生に寝ころがって、チクチクするくすぐったーいと言って旦那と笑ってる私の大好きな写真。我が家のアイドル、大切な存在です。
長女を産む時に私は劇団を退団、旦那はそのまま、この3月末まで長年在籍していましたが、存続に限界、そして若手が増えず、いつまでも役者兼スタッフの立場、過労と父として夫としての重圧か、精神を病み、適応障害になった原因でもあるためとうとう辞めました。ちょうど、縮小し事務所移転した機会に。舞台は劇団に所属してなくてもお声はかかるでしょうし、プロダクションに所属できているので、タダ働きはなくなりそうです。いつまた、適応障害の症状がひどくなり引きこもらないか、仕事に穴を空けないか、ヒヤヒヤですが。
息子が「あぁ、平成の人になっちゃうなぁ」とちょっとおじさんっぽい発言。そんな彼は小学五年生、お父さん似の宝物=娘は、受験生、中学三年生になりました。私は母親が病院で亡くなった年齢まであと二年、まだまだ元気でいなくては。平成は、挑戦、疲労、喜び、落胆、敬愛、戦場、飛躍…色んな言葉で表す事の出来る、私にとって「平らではない」大きな大きな動きのあった時代です。
令和は、子離れ訓練をして、自分のメンテナンスを心がけ、いつまでも、カッコいい母の背中を子供達に見せてあげれる努力をしようと思います。もう一つ、剣道の段を上げようかな☺️。性格上、平らには出来ない、でも少し緩やかに過ごしてみたいと思っています。f:id:y-k-akado0725:20190421101235j:plain