今週のお題「間取り」
同居前の賃貸に住んでいた時も、同居になって六畳の部屋一つが遊びや生活の中心になった頃も、らくがき帳によく理想の間取り図の家を書き、子供と遊んだ。
間取り図が遊びのお家。
玩食のおまけで出てきたミニ動物や小さな消しゴムが自分の分身で、自分の部屋に書いたベッドで寝たり、勉強机で勉強したり、リビングに書いたソファに座ってテレビを観たりゲームをしたり。そんな中、私、母の分身は台所でやっぱり料理、でもたまには台所に自分のちょっとした家事スペースを描いて過ごしたり、ストック食料のクローゼットだってあったり。
玄関から出て「お母さん、買い物行って来るね~」と一旦居なくなって、ほんとの家事をしに行ったり。
ようはお人形さんごっこですな。
日替わりで、広くて理想の家で過ごす。
平面なので2階、3階は別の紙に書いたり、カレンダーの裏紙などの大きな紙に書けば、大きな家に住むことも出来る。
温泉のようなお風呂場だって、対面式のキッチンや時には、アイランド式のキッチン。
庭にプールがあったり、ツリーハウスがあったり、ウッドデッキでバーベキューしたり。
長女は器用に自分の部屋に家具を書いて配置したりした後に、小さな弟のリクエストに答えて、弟の理想の部屋の間取り図を描いてやる。
最初のうちは、同じ部屋で、それぞれの机やベッドを配置してたりもしていたなぁ、そう言えば。
実際は、(むちゃくちゃ、ざっくりいいかげんに前の家の間取り図を書いてみた)
(汚い字で申し訳ない、あ、長女の長机です、ベッドの下、ロフトベットで寝て起きたら頭きをつけないと天井で打つ。間違ってますね、何しろブログは内緒なのでこういうの書くタイミングもなかなか難しく、急ぎで)
玄関横の親子4人の生活スペース、六畳に家具満載の部屋、二畳分あるかないかの空いた所で3人で遊んでいた。
いつか新しい家に……夢は広がっていた。
築40年以上のプレハブ住宅だった前の家は、旦那が生まれ育った家だが、長い年月で物を捨てない両親、狭い家はどんどん物に溢れ圧迫されより狭くなっていた。
同居の前に旦那も加わり、ある程度は捨てたが物置き状態のサイドボード、金属製衣装ケース(通称ガンガン)などやギフトボックス、箱がすごい量。2階の5畳の旦那の弟の部屋は物置きだったがそこにも入りきらないものは階段踊り場に。
断熱材などない家は冬は床が氷。
洗面所とトイレに行く通路と洗濯場と風呂に入るための脱衣場がご覧の通り共通でトイレのドアは洗濯機があるので途中までしか開かない。
その脱衣場にはドアがあるのだが開閉で廊下を塞ぐのでずっと廊下側に開いて長年固定したままだったため、歪みで閉まらなくなっていた。
だから皆風呂に入る時はそのままだ。
脱いでない時を察しないとトイレに行ったり出来ない。
察する事が出来ない舅がトイレに来て風呂から出るに出られなかったり、鉢合わせになったり、トイレに行く目的ではなくても私達の生活の部屋の襖を開けると目の前が脱衣。
もういい加減大丈夫だろう、と襖を開けたら目の前に爺または婆の裸!
自分の裸が見られることより、見るのがものすごく嫌だった。
だからホームセンターで突っ張り棒と、いつもの御用達、大塚屋さんで水に強くカビにくい布を買ってカーテンを作った。冬はひどく寒い風呂。外にないだけマシかもしれないが。
風呂場の点々は昭和の人なら分かる、丸いタイル敷きの洗い場です。引戸は木枠で曇りガラス、木枠も部分的に腐って、引戸レールの金属も曲がっていたので、子供では開け閉めが出来なかった。
シャワーもなく、水を湯船にためて沸かすタイプのため、身体や髪を洗うと小さな湯船はすぐにお湯がなくなるので、水を足しながら沸かしながら。
台所も大きな食器棚が2つもあり、ほとんど使ってない食器も大量、隙間にも段ボールが山積み。中身は景品のグラスやいつの買いだめ品?ラーメンやお菓子や引出物の海苔、かつお節……等々。コンロの奥に昔ながらの米びつがありましたが使用してなくただ台に使っていて電子レンジがのっていたかな。
おいても仕方のないものは、片付けたかったのですが、見ての通り台所に立つと、背中の向こうは日中もテレビを観ながらゴロゴロしている舅が居るので、ままならず。
自分が休みの日で、ちょっと病院に出掛けたら隙をみてこっそり片付け。
新居を建てるため仮住まいに引っ越す時、やっと動かしたものがありますが、その中で最強が、電子レンジの台になっていた米びつ。
あの、ここからはお食事中、あるいはお食事後の方、あるいは汚いもの想像しただけでダメな方、こそこそ動くあの黒いヤツ、Gが苦手な方、
ご遠慮ください。
食器棚が動かない限り、動かせなかった、台代わりの米びつ。
こんなものは要らないが、家を壊す際に要らない家具などがあまり多いとお金が余分にかかる。
そして、不要なタンスなど木材製ならそのまま放置で良いが金属製は出来るだけ別にしておいて欲しいと言われていたため、動かした。
ガラガラ音がする。
米が入るべきスペースに何が入っている。
蓋を開けると、昔の油入れだ。天婦羅揚げたあと揚げ油を入れておくやつ。
昭和な花柄付き。
何故こんな所に入れっぱなし、いったい何年間。この頃には私は十二分に姑のこと、理解、だから嫌な予感。
まさか……いや、あの人のことだ。こんな所にこれを入れっぱなしなんだから中身が入ったままもあり得る。
はい、正解。
黒黒とした廃油が入ったまま。
そしてそこには数匹のGの死骸。
と、ここで普通の女性なら「キャー‼️」となる
がそこは私だ。
「うっわー、マジか❗️」
旦那:「何?どうした?」
「来るな‼️来るんじゃない❗️アイツだアイツが大量だ」
旦那:「あ」と言って引き返す。
旦那は大の苦手だ。
姑も何が入ってた?と来たので、説明だけし中を見ないことを勧め、かなりバツが悪そうに自分でオイルポットを外に持って行った。
不燃ゴミに入れたかと思われる。
数々の伝説を生んだあの家で、私が最強だと思った案件。
あちこちのハウスメーカーに断られ、あるいは見向きもされなかった我が家は、無事、新しい家を建て住むことが出来ています。
ローン、大変ですけどね。
安全には代えられない。
そして、私は姑の二の舞を踏むことなく、不要なものは片付ける、手に余る持ち物、増やさない。
心掛けて理想を保ちたいって思っています。
メルカリ始めて、少しずつ不要だけど捨てるには勿体無いもの、売れてます。
こつこつ。